10




 カウントは10-09。烏野が一点先取という状況下ということもあり、あちら側は日向をより警戒していた。烏野側にチャンスボールが上がり日向が再びセンターから飛び出してくると、金田一は日向をマークしてブロックをするために跳んだ。

「来るって分かってたら怖くねえんだよ!」
「なんだとおらあああああ!」

 しかし影山のトスはレフト側の田中の元に上げられ、ほぼノーマークだった田中は気持ちよくスパイクを打ち相手コートにボールを沈めた。

「おれに上がると思ったのにーっ!」
「どうだ、“らっきょう”くん!」
「!?」
「 試合で見てみろって言ったろ!?」

 影山のTシャツの袖を掴みながら得意げに声を上げる田中に金田一が悔しげ眉を寄せている傍では日向が打つ気満々で叫んでしまったことを恥ずかしがっていた。その独り言を偶然聞いた影山は日向を笑うことはなく、それで良いんだよと相手コートを指し示した。

「お前が本気で跳ぶから相手もつられて跳ぶんだろ」
「そういうモン?」
「そういうモンだ」

「くそっ」
「焦んなよ金田一」
「!」
「点差が開いてるワケじゃない。こっちの攻撃だってちゃんと決まってる。呑まれんな」

 そうじゃないと舞雛の思うツボだぞ。

「!」
「お前もその辺りは分かってんだろ」
「オ、オス!」

 ベンチからコートを静かに見つめる華奢な少女。その脳内で数多の作戦と対策が練られていることを、影山と青葉城西の一部の面々は知っている。そしてそれは静かかつ着実に相手を追い詰めていくことも痛いほどよく分かっていた。

 試合が16-14という二点差まで動いたところで青葉城西のタイムアウトが入り、鶫は腰を上げて清水と一緒にドリンクやタオルを出していく。しかしその耳や目は周囲の動きと会話を捉えていて、情報収集を欠かすことはない。清水がメンバーのタオルを出しながら鶫の肩を指先でトントンと叩くと、彼女はビクリと体を震わせて驚きで丸くなった目で清水の方へ顔を向けた。

「驚かせてごめんね」
「あ……い、いえ。大丈夫です。何かありましたか?」
「何かみんなに言いたいことあるならそっちに行ってもらいたいと思って」
「え?」
「指示出ししたいこと、あるんでしょ?」
「!」
「いってらっしゃい」
「ありがとうございます!」

 清水の厚意に甘えた鶫は彼女の一礼してから指示出しをしていた澤村と影山たちの輪に加わり、直ぐに鶫に気が付いた影山が慌てなくても良いと釘を刺してから彼女の頭にポンと手を置いた。

「何か言いたいことあるんだろ?」
「うん。ええと、少しだけお時間をいただけますか?」
「勿論。何でも聞かせてくれ」
「ありがとうございます。まずはブロックのことから。青葉城西の速攻はこちらよりほんの少しだけタイミングが遅いので、ブロックする時には少しだけ溜めて跳ぶようにしてください」

 澤村に促されてブロックのことを指示した鶫は現時点でブロックの要である月島が小さく頷いたことを確認すると日向へ顔を向け、彼の爪先へ目を向けた。

「日向くんは踏切を少しだけ浅く。その方が多分跳びやすいと思うけど、今は練習試合だし普段の練習で癖をつけてからでも大丈夫。できるだけで構わないから意識してみてくれると嬉しいな」
「分かった、ありがとう!」
「飛雄くんはちょっとだけ脇を締めてブロック。インダイレクトはもう少し山なりに」
「分かった」
「私が言いたいことは以上です。このあとも頑張ってください」

 指示を出している時は凛とした雰囲気だったがそれが済めば直ぐに何時も通りの鶫に戻り、少しだけ照れた様子でチームメイトにささやかながらも声援を送る。戦略家としての顔とマネージャーとしての二つの側面を持つ鶫に少しだけ日向が頬を赤くした時、試合再開のホイッスルが鳴った。

 烏野と青葉城西共にプレイヤーがコートへ戻っていく中、青葉城西側の監督は椅子に腰かけながら深く息を吐き、その心中を察したコーチが苦笑いを溢す。

「ふう……凄いですね、影山。それに的確に指示出ししてる舞雛も。やっぱりウチで獲れなかったの痛かったですね。声はかけてたんですよね?」
「うん。でも……影山がウチに来たからと言ってあんな風なプレーをしれくれたかは分からないよ」
「え?」
「“烏野だったから”――あの5番と舞雛がいたからこその、今の影山なのかもしれない」
「? はあ……」



「……あ」
「どうした、舞雛」

 再開された試合をじっと見つめていた鶫が不意に何かに気付いたように声を漏らしたので、傍にいた菅原が何かあったのかと首を傾げた。菅原が見た鶫の横顔は体育館に到着した時と比べると幾分か顔色が青いように見えたが、彼女は静かに首を横に振ると脇に置いていたハンドタオルを手にしてベンチから立ち上がった。

「……すみません、少しだけ席を外します」
「分かった。気を付けていっといで」
「はい、すみません」

 鶫は菅原に頭を下げて真っ直ぐに体育館の外に出ると入口から少し離れた場所で腰を下ろし、壁に頭を凭れかからせるとハンドタオルを口元に当てて深呼吸を繰り返した。

「ちょっと張り切りすぎちゃった……」

 でもこのくらいなら少し休めば大丈夫なはず。
 試合の様子が分かる程度の場所で、少しだけ休まないと……。

「あれっ、鶫ちゃん?」
「!」

 少しだけぼんやりとしている鶫が聞き慣れた声に気が付いて顔を上げれば、そこには一人の男子が真っ白なジャージ姿で立っていた。セットされたサラサラの茶髪をした彼はその長身を屈め、綺麗に整った顔に光るチョコレート色の目に映した鶫を心配そうに見つめている。

「もしかして体調良くない?」
「及川、先輩……」
「良いよ、そのままで」

 鶫に及川先輩と呼ばれた彼は立ち上がろうとした鶫を制して彼女の隣に腰かけ、自分が着ていたジャージの上着を彼女の華奢な肩に触れないようにしながらそっとかけた。

「及川先輩、体、冷え――」
「良いから良いから」

 選手の体を冷やすことを懸念した鶫だが及川は彼女の話を受け流し、彼女の額にそっと手を当てる。その額から伝わる体温は程よい温かさで、発熱している様子はない。しかし鶫の顔色は以前青く、少々ぼんやりしている。それらの様子を見て取った及川はなるほどねと小さく呟き、持っていたミネラルウォーターの蓋を開けて彼女に差し出した。
 
「はい、どーぞ」
「でも……」
「飲む気分じゃない?」
「いえ、そうじゃなくて」
「それなら気分転換になるからさ。ね?」
「……」

 ちょっとでも良いからと勧められて受け取ったミネラルウォーターのボトルに鶫がそっと口をつければ及川はほっと息を吐き、彼女から返ってきたボトルの口を閉めるとそれを自分の脇に置いた。

「鶫ちゃん、ちょっと触るよ」
「!」
「静かに」

 肩を抱かれた鶫は驚いて目を丸くしたが、及川は穏やかな表情で微笑んで彼女の顔を自分の胸に引き寄せるとポンポンと彼女の背中を優しく叩く。

「え、ええと」
「ちょっと目を閉じて深呼吸。今は何も見聞きしなくて良いよ」

 トントンと一定間隔で背中を叩きながら少しだけぼんやりした頭を労わるように及川がその小さな頭を撫で始めると、鶫は今まで自分の中で荒ぶっていた映像や音が落ち着いていくのを感じていた。

「大丈夫、大丈夫……。鶫ちゃんはちょっと頑張り過ぎ」
「……そう、ですか?」
「そうそう。ちょっとくらい力抜いても良いのに。それに――」

 何で俺のトコに来なかったの?
 トビオちゃんより俺の方が、鶫ちゃんの夢を叶えてあげられるのに。

「それに、なんですか?」
「ん? 何でもない。……さっきより落ち着いてきたかな」

 腕の中で大人しくしている鶫の顔を覗き込めば、先程までの顔色が嘘のようにすっかり良くなっていて呼吸も落ち着いていた。大丈夫そう? と問いかけてきた及川に鶫がそっと顔を上げれば予想以上に彼との顔の距離が近かったことに驚いて目を丸くし、そんな彼女の驚いた顔を見た及川はクスリと笑って彼女の体を開放した。

「試合、戻ろうか」
「は、はい! これありがとうございました」
「どういたしまして」

 及川に借りていたジャージを鶫が返せば、少しだけ鶫の甘い匂いが移ったジャージに気を良くした及川が口元を少しだけ緩めた。

「それじゃあ及川先輩、また後で――」
「待った。せっかくだから一緒に行こうよ」
「え、でも……」
「ほらほら!」

 及川に手を引かれるまま体育館に戻れば及川の登場に色めきたった女子生徒の声が聞こえ、鶫は少しだけ気まずそうに彼を見上げたものの手を離してくれる気配はない。そのまま青葉城西側のコートに連れて行かれた時はいよいよ及川のジャージの裾を抓んで静止したが、彼は大丈夫大丈夫と言うだけでそのまま監督の元まで歩いていく。

「アララッ! 1セット取られちゃったんですか!」
「おお、戻ったのか! 足はどうだった!」
「バッチリです。もう通常の練習イケます! 軽い捻挫でしたしね」
「全く気を付けろよ……向こうには影山と舞雛を出せなんて偉そうに言っといて、こっちは正セッターじゃないなんて頭上がらんだろが!」
「スミマセーン」

 すみませんとは言いつつもあまり反省している様子はない及川は声援を送ってきた女子生徒に軽く手を振り、鶫は気まずそうに及川の背中に隠れている。当然青葉城西側の監督は鶫がいることに気付いていて、彼女を見てから及川に視線を戻した。

「何で舞雛と一緒なんだ?」
「さっきそこで偶然会ったんで連れてきちゃいました」
「連れてきちゃいましたじゃないだろ……」
「あの、そろそろ向こうに戻らせてください……」
「ええー、せっかく久しぶりに会えたのに?」

 勿体ないなあと及川は残念がっているが今は練習試合中で、彼と鶫は知り合いではあるものの今は同じチームではない。青葉城西側のコートにいることに複雑な心境になっている鶫が及川に握られている手を少し引っ張ってはみたが、彼はニコニコと笑うだけで離すつもりはなさそうだった。

「影山くん、あの優男誰ですか。ボクとても不愉快です」
「……“及川さん”」

 超攻撃的セッターで攻撃もチームでトップクラス。

「あと……見て分かるように、性格が悪い」
「お前が言う程に!?」
「月島以上かも」
「それは酷いな! お前と知り合いってことは北川第一の奴かよ?」
「はい。中学の先輩です。……俺、サーブとブロックはあの人見て覚えました。実力は相当です」

 及川に捕まったままの鶫を迎えに行こうと影山が足を踏み出した時、及川の方から鶫を連れて烏野側のコートにやってきた。その手はしっかりと鶫の手を握っていて、鶫は困った様子で及川と影山を見比べて眉を下げている。

「やっほートビオちゃん」
「……」
「久しぶりー、育ったね。元気に王様やってるー?」
「……鶫を返してもらえますか」
「えー、どうしようかな?」

 久しぶりに会ったからまだ一緒にいたいんだけどなーと言いながら鶫の頭を撫でる及川に影山の眉間の皺が一層深くなった瞬間、青葉城西の監督が及川の名前を呼んだ。

「及川! お前はアップ取ってこい! 何時もより念入りにだぞ!」
「はあーい。残念だけどここまでかな。じゃあね、鶫ちゃん」

 監督に呼ばれて仕方なしに鶫から手を離した及川は青葉城西側のコートへ戻り、ベンチの傍で上着を脱ぐとアップを取り始める。鶫が解放されれば早々に影山が彼女を回収し、早々にベンチに座らせ後を菅原に任せてコート内へ戻っていった。

「舞雛、大丈夫か?」
「菅原先輩。はい、大丈夫です。ちょっと驚きはしましたけど……」
「それなら良いんだけどさ」
「はい、大丈夫です」

 仕事ちゃんとやりますねと微笑んだ鶫の顔は体育館を出る前と比べるとかなりすっきりしている様子だったが、何となく菅原はそれに気付いていたものの深く追求することはしなかった。

  

PREV   TOP   NEXT