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「――よし! じゃあ軽く掃除して終了。お疲れした!」
「したーっ!」

 武田の運転で烏野に戻った部員たちは第二体育館でのミーティングを終えると、各々モップや雑巾を手にして掃除を始める。鶫もまた清水と共にタオルやボトルの後片付けを始めたが、エネルギーが切れてモップを持ちながら器用に居眠りをする日向とそれを心配した縁下の二人を見て思わず口を緩ませる。

 そんな心地いい騒がしさの中で澤村が今日のお礼を武田に伝えている様子が偶々目に入り、作業する手を少しだけ止めた。

「先生、今日はありがとうございました!」
「いやいや、皆お疲れ様! 僕びっくりしたよ。強い強いって聞いてた青葉城西高校に勝っちゃうんだから」

 向こうの選手たちも監督さんも皆を見てびっくりしてて勝手に鼻が高かったよと嬉々とした表情で話す武田だが、その話を隣で聞いていた澤村は手放しで喜んでいる様子はなく、そうですねと相槌を打ってからモップをかけている部員たちへ目を向ける。

「……でも、まだ足りないんです」

 日向と影山が機能しているお陰で何とか攻撃が決まっていること、それでも日向がブロックに捕まりだしたりレシーブを乱されたりすることがあれば為す術がないこと。

 弱点を挙げればそれこそキリがないのが今の烏野であり、今持ちうる手札の全て。

「そういう状況になった時、俺が監督とかコーチみたいな立場で指揮取れるかどうか……。舞雛がその手のことが得意とはいえ、任せっきりにもできませんし」
「成程……」
「スミマセン! 先生が力不足とかじゃなくてですね……」
「ははは、分かってる分かってる。指導者の方は僕に任せてくれ。アテはあるんだ」
「えっ?」
「何度かお願いしててまだ了承は貰えてないけど――」

 きっと何とかしてみせる。

「!」
「じゃあ体育館任せて良いかな?」
「あ、はい」
「じゃあお疲れ!」

 何時も通りの笑顔で体育館を後にした武田は何時も以上に頼もしく見え、鶫は思わず目をしばたかせる。

 そんな鶫の傍にある倉庫では山口が柄が折れたモップを偶々見つけ、それを手にしながら近くにいた菅原に声をかけていた。

「この真っ二つのモップ、危ないから捨てちゃって良いですかー?」
「! 良いんだそれは!」
「?」
「直せばまた使えるだろ……」
「? はーい」



「鶫は此処で待ってろ」
「うん」

 部活の帰り道で坂ノ下商店に立ち寄った日向と影山と田中。鶫は影山に言われた通り一緒にいた澤村と菅原と共に店の外で待っていると、店内から騒がしい話し声が聞こえてきた。澤村と菅原には“騒がしい”程度の認識しかできない話し声だったがその会話の内容がはっきりと聞き取れた鶫が思わず苦笑いをした時、近くにいた澤村と目が合った。

「舞雛、今日はありがとうな。助かった」
「いえ、私は何も」
「そんなことないよ。舞雛の指示は的確で分かりやすかったし」
「そうそう、大助かりだって」
「そう言われると少し照れます」

 ちょっとだけ擽ったそうに笑った鶫に澤村と菅原が笑ったところで店に行った三人が出てきて、その手には中華まんの代わりにぐんぐんバーが握られていた。

「それにしてもよ、あの優男のサーブ凄かったなあ。最初からあれやられてたらヤバかったぜ……。さすが影山と鶫ちゃんと同中の先輩――あれ?」
「どうかしましたか?」
「影山と鶫ちゃんって、何で烏野にいるんだっけ?」

 県内一の強豪校といえば白鳥沢学園。県ではトップクラスのバレーの名門校で、全国でも8強に食い込む強豪。元からバレーをするという目標があり影山のように高い志を持つ選手なら、白鳥沢や及川が居る青葉城西高校に進むのがベターな選択肢といえる。

 バレーをしている人間なら当然の疑問をぶつけられた影山と鶫は顔を見合わせ、影山は何てことはないというようにあっさりとその理由を話した。

「落ちました、白鳥沢」
「落ちた!?」
「白鳥沢から推薦来なかったし、一般で受けて落ちたんです。試験が意味不明でした」
「へえーっ。王様、勉強は大したことないんだねえ」
「チッ」

 その話を通りがかりに聞いていた月島がそれをからかいながら脇を通り過ぎ、鶫がジャージの袖を引いていたので影山は舌打ちひとつだけに留めて苛立ちを息と共に吐き出した。

「あそこは普通に入ろうとしたら超難関だもんな……」
「舞雛は白鳥沢受けなかったのか?」
「一般で合格したんですけど、烏野に来ました」
「どうして?」
「飛雄くんが一緒に烏野に来ないかって誘ってくれたので」
「へえー」
「やるな影山」
「な、何ですかその目!」

 鶫が烏野を選んだ理由に澤村と田中がほうと言いたげに影山に視線を向ければ、影山はその妙な視線に居心地の悪さを感じて微妙な表情を浮かべる。当本人の鶫はありのままを話したのか表も裏もないらしく、澤村と田中の意味深な視線に不思議そうに首を傾げていた。

「で、なんで烏野? まさかお前も“小さな巨人”に憧れて?」
「……引退した烏養監督が戻ってくるって聞いたから」
「うかい?」
「無名だった烏野を春高の全国大会まで導いた名将と呼ばれていた監督のこと」
「へー」

 影山の口から語られた人の名前に鶫が補足を入れれば日向はそんな人がいたのかと目を輝かせたが、影山は何故小さな巨人を知っていて烏養監督のことを知らないんだと呆れた顔で日向を見下ろす。

「その頃は監督目当てに県外から来る生徒もいたっていうぞ」
「ほーっ」
「“烏野の烏養”って名前がもう有名だったよな。凶暴な烏飼ってる監督だっつって」
「二年と三年は去年少しだけ指導受けたけどすげえスパルタだったぞ……」
「……!」
「なんで羨ましそうなんだよ」

 当時のことを思い出しながら冷や汗をかいている菅原に対し日向と影山はそのスパルタの練習に興味があるようで目を輝かせ、そんな二人を見た菅原は思わず苦笑いを溢す。

 しかし当の烏養監督は本格的な復帰をして直ぐに倒れてしまったらしく、現在復帰の予定はない。歳も歳で若い頃に無茶もしたらしくそのツケがきているのではないかという話だった。

「けど、どの高校に入ったって戦う相手は同じ高校生。勝てない理由なんかない」
「飛雄くん……」
「負け惜しみはよせ! カッコつけて言っても無駄だぞ!」
「違いますよっ! カッコつけてません!」

 影山の言葉を白鳥沢に入れなかった負け惜しみと取った田中がそう言って笑ったが、彼の隣にいた鶫は彼がその言葉を本心で言っているのを分かっていたので彼らのやり取りを楽しそうに眺めていた。

「実際、今日四強に勝ったじゃないですか!」
「まあなー。あの青城に2ー1! 俺もフリーで決められたし、日向の囮のお陰だな!」
「あっ、あザース!」
「本人的にはどうよ、デビュー戦は!?」

 高い壁、目の前に張られたネットをボールが越える感覚。影山のボールが自分の手の平へ吸い込まれるように運ばれる空気感――それらを思い返しながら静かに拳を握った日向が何かを言おうとした瞬間、その肩に田中の手がポンと静かに置かれた。

「まあ1セット目、盛大にやらかしてたけどな」
「得点と同じくらい失点もしてんだから満足すんなよ」
「何でそういうこと言うんだよ!」
「……そうなんだよ」
「?」
「俺たちにはまだ色々足りてなくて、今日の勝利もギリギリだった」

 澤村の言葉が自分に向けられたものだと感じた日向が焦った様子でいっぱい練習しますと声を震わせたが、澤村はそういう意味じゃないんだと慌てて誤解を解くと、静かに息を吐いて暗くなった空を見上げた。

「今の烏野は、根本的にメンバーが足りてないんだよ」
「?」
「リベロとエーススパイカーですね」
「ああ」

 守備の要の“リベロ”、コンビネーションが使えない時でも敵の三枚ブロックと勝負出来る“エーススパイカー”。

「あとは技術の指導とか試合中の采配を取る監督とかコーチ……。技術指導はしばらく舞雛にやってもらうつもりでいるけど」
「頑張ります!」
「そんなに気張らなくて良いよ。一緒に頑張ろうな」
「はい」

 一時的とはいえ技術指導を任された鶫が気合いを入れて両手で拳を握ると、澤村はその仕草が頼りがいがありつつも微笑ましく思えたのか少しだけ表情を緩めて笑う。その脇では日向がエーススパイカーならおれがなると騒いでいたが、影山にお前は最強の囮だとバッサリ切られていた。

「でも“守護神”が戻ってくるって言ってましたよね」
「うん」
「ウチは強豪じゃないけど特別弱くもない。今までだって優秀な人材は居たハズなのに、その力をちゃんと繋げてなかった。でも、また皆が揃って一年生の新戦力も加わってその戦力ちゃんと全部繋げたら――」

 夏のインターハイ、全国が。

「ただの“遠くの目標”じゃなく“現実に掴めるもの”にきっとなる」
「夏のインターハイ……! 聞いたことあるっ!」

 夏のインターハイといえば高校バレー界では憧れの場所。日向が目を輝かせて嬉々とした表情を浮かべているが、鶫は先程の菅原の“また”という言葉が引っかかり一人静かに視線を落として考え込んでいた。言葉自体は何の変哲もない単語だが、どうしてもその言葉に重みがあるような気がしてならなかった。影山は静かに何かを考えこんでいる鶫の様子を見ていたが、ふと何かに気が付いて彼女から視線を上げる。

「けどその、これから戻ってくる人は今までどうしてたんですか?」
「一週間の謹慎と約一ヶ月の部活禁止だったんだ」
「!?」
「ふ、不良!?」
「違えよ」

 一週間の自宅謹慎と一ヶ月の部活禁止と聞けばその発想にならなくもないが、少々飛躍してはいる日向の予想に思わず苦笑いをした鶫は顔を上げて菅原に視線を向ける。先程までどことなく陰があった様子だったが今はすっかり何時も通りになっていて、鶫から向けられている視線に気付いた彼は眉を下げて微笑んだ。

「どうした、舞雛?」
「あ、ええと……特に用事はない、です」
「何だよー。そんなに見られると恥ずかしいだろ」
「ご、ごめんなさい!」
「ちょ……なんで恥ずかしがってんだよ」

 ジロジロ見すぎて配慮が足りなかったと気恥ずかしそうに鶫が少しだけ頬を赤くすれば、それを間近で見た菅原もそれに釣られて顔を赤くし頬を掻きながら視線を逸らす。どうしたものかとしばらく視線を外してはみたものの、視線を下ろせば気恥ずかしそうに眉を下げている鶫の姿が目に入ってきた。

「……ううーん」
「菅原先輩?」
「あ、いや。何でもない。まあ、あの、気にしないで良いからさ」

 これ以上は気恥ずかしくて仕方ないと菅原がヒラヒラと手を振った時、ようやく日向の誤解を解いたらしい田中が“守護神”と言われる人物のことを誇らしそうに語り始めた。

「それにアイツはな、烏野で唯一天才と呼べる選手だ!」
「!」
「まあ今はクソ生意気影山が入って来たから“唯一”じゃなくなったけどな」
「……」
「ソイツが戻ってきたら“先輩”って呼んでやれよ、日向。田中みたくバカ喜びすると思うから」
「バカとか……」

 その言い方はどうなのかと微妙な顔をした田中だが澤村はそれを訂正するつもりはないらしく楽しげに笑い、そろそろ行くべとその場にいる面々は揃って帰り道を歩く。そんな彼らの後方にある烏野高校の職員室では武田がある場所に電話をかけていて、見えないに相手に向かって真剣に語りかけていた。

「……しつこいかもしれませんがお願いします。未経験者で今年着任したばかりの僕では情けないですが力不足なんです」

 男子バレーボール部のために一人で戦っている武田の背中は何時も以上に頼もしく見えたが、それを見ている人物は誰もいない。

「あの子らの可能性は素晴らしい。どうか彼等の指導をお願いします――烏養くん」

 

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