13
ほぼ不意をついて出たその名前に今まで和気藹々としていた空気が少しだけ変わり、澤村と菅原が日向の方へ顔を向ける。その人物には鶫も興味があったので作業する手を止めて西谷たちの方へ顔を向ければ、西谷は少々不機嫌そうな顔をしながらもその人物について話をしてくれた。
「……烏野のエースだ。“一応”な」
「エース……!」
「? なんだよ」
「……おれ、エースになりたいんです!」
「あ?」
「あいつまだあんなこと……!」
真っ直ぐで純粋な目標を口にした日向に西谷は訝しげに首を傾げ、その後ろでは話を聞いていた影山がいい加減にしろと眉を寄せている。しかし日向の目標や憧れを否定することは誰もできない。それは日向に限らず誰にも当て嵌まることで、それをよく知っている鶫は静かに彼らの話に耳を傾けていた。
「何年か前の“春高”で烏野のエースの“小さな巨人”を見てから、絶対ああいう風になるって思って烏野来ました!」
「その身長でエース?」
バレーボールの世界には男女限らず身長の壁が存在する。一センチでも一ミリでも身長が違えば、その差がプレーとチームに大きく影響する。暗にそれを口にした西谷の問いかけに日向はぐっと息を飲んだものの退くつもりはなく、その問いかけに対して静かに首肯した。すると西谷は表情を明るくして日向の肩を叩き、日向と周囲の面々を驚かせた。
「いいな、お前!」
「!?」
「だよな! カッコイイからやりてえんだよな! いいぞいいぞ、なれなれエースなれ!」
「!」
「今のエースよりも断然頼もしいじゃねーか!」
「……」
明るい口調で口にされた言葉に別の意味が込められているような気がした鶫だがその場で言及することはなく、鶫の他に深読みをしている部員はいないようだった。
「けどやっぱ“憧れ”といえばエースかあ」
「ハイ! エースカッコイイです!」
「“エース”って響きがもうカッコイイもんな、ちくしょう」
エーススパイカーという花形に比べれば、セッターやリベロは一見地味に見えるポジション。バレーを詳しく知らなければ、セッターやリベロなどのポジションを知らない人が多いのもまた事実。
「――けどよ」
試合中、会場が一番“ワッ”と盛り上がるのは、どんなすげえスパイクよりスーパーレシーブが出た時だぜ。
「高さ勝負のバレーボールで、リベロは小っちぇえ選手が生き残る唯一のポジションなのかもしんねえ。けど、俺はこの身長だからリベロやってるワケじゃねえ」
たとえ身長が2メートルあったって、俺はリベロをやる。
「スパイクが打てなくてもブロックができなくても、ボールが床に落ちさえしなければバレーボールは負けない」
「!」
「そんでそれが一番できるのは、リベロだけだ」
「! か、カッコイイ!」
「バッ、バカヤロウ! そんなハッキリ言うんじゃねーよんニャロー! ガリガリ君二本食うか!?」
「オス!」
「ソーダ味とナシ味な!」
「オス!」
恰好良いと西谷のことを褒めて目を輝かせる日向と満更でもなさそうな西谷。悪く言えば単純良く言えば純粋な二人のやり取りに月島がやや呆れた表情で眺めていたが、呆れすぎて突っ込むことも面倒くさそうな様子だった。
「――で、お前の特技は? “エース志望”」
「えっ」
「レシーブはへったくそだしな」
「うっ」
「なんかあんだろ」
「……お、とり」
「あ? 鳥?」
「おっ、囮……」
そう口にした日向の表情は何時もより曇っていて、声色にも自信がない。それを不思議に思った西谷が何故そんなに自信がなさそうに言うのかと首を傾げれば、日向は今まで何度も思ってきたことを彼に包み隠さず話した。
「“エース”とか”守護神”とか”司令塔”とかと比べて、なんかパッとしないっていうか……」
「呼び方なんて関係ねえだろ」
「でも」
「お前の囮のお陰で誰かのスパイクが決まるなら、お前のポジションだって重要さは変わんねえよ。“エース”とも“守護神”とも“司令塔”ともな」
「……ハイ」
「まあ俺お前の出てる試合見てねえし、その囮がショボかったら意味ねえけどな!」
「!」
カラカラと笑って日向の背中を叩いた西谷はレシーブ練再開するぞと口角を上げ、再び日向たちを相手に練習を始める。レシーブ練習は相変わらず擬音語ばかりで上手く伝わるか謎のままだが、その様子を見ていた菅原がゆっくりと口を開いた。
「……そうだよな」
「?」
「今の烏野には“最強の囮”がいるんだよな……」
「……」
「今まで決まらなかったスパイクでも、日向と影山のコンビがいればきっと決まるようになる」
「……うん」
「武田先生が言ってた“化学変化”で、俺たちはもっと変われる気がする」
そう言った澤村の視線の先には口喧嘩を始めた日向と影山の姿があり、その傍では鶫が困ったように微笑みながら彼らの様子を見ている。まだまだ不安定な彼らだがその分だけ不確定要素も多い。
「良い方に変わればイイけどなあ……」
「弱気やめろよ!」
翌日の放課後。何時も通り影山が迎えに来たと思えばその隣には日向の姿があった。この二人が揃って鶫がいる教室に来るのは初めてで、珍しいこともあるのねと鶫が首を傾げれば影山が隣の日向を指し示した。
「“エース”に会いに行くってコイツが煩せえから部活前に一緒に行く」
「旭先輩に?」
「煩いって何だよ!」
「ああ? 煩せえモンは煩せんだよ。まあそういうことなんだけどよ、お前はどうする?」
「私は大丈夫。二人で行ってきて」
「分かった。俺はそのまま部活行くから迎えに行けねえ。転ぶんじゃねえぞ」
気をつけろと暗に言った影山に鶫はそんなに子どもじゃないと少しだけ渋い顔をしたが、彼はやりそうだから言ってんだよと念を押して日向と共に教室を後にし、そこに取り残された鶫は少々腑に落ちないまま少しだけため息をつく。すると後方から部活へ行こうとしていた月島と山口が歩み寄ってきて、教室の出入り口にいた鶫と目が合った。
「まーたアイツ迎えにきてたの? マメだねー」
「ホント毎日来てるもんね」
「心配性なの、昔からずーっと」
でも私がプレイヤーの時と比べものにならないくらい心配性になった。
――正確に言えば、心配性にさせてしまった。
「舞雛?」
「ううん、何でもない。真っ直ぐ部活に行く?」
「そのつもりだけど」
「じゃあ一緒に行っても良い? 飛雄くん用事済ませてから行くって言っていたから」
「別に良いよ。転ばないようにしてよね」
「飛雄くんと一緒のこと言わなくても良いのに!」
「ははは、膨れた顔」
さっきと同じ顔だと笑う月島に鶫は少々不服そうな顔をしたが、部活が始まった頃と比べると柔和になった月島の態度に少しだけ表情を和らげた。