17
五年前の五月。
「今年こそは全国の舞台でな!」
「ソレ毎年言ってるけどな!」
「うっせえ! 今年こそだよ!」
翌六月、IH予選。烏野高校は決勝で白鳥沢学園に接戦の末に敗退、全国出場を逃す。音駒高校もまた東京代表の枠に惜しくも残ることはできなかった。
翌年の三月。烏野高校は宮城代表として音駒高校は東京第2代表として、互いに春の高校バレー全国大会に出場。しかし烏野は第三回戦で敗れ、音駒は準々決勝で烏野を待つも対戦は成されず、音駒もまた準々決勝で敗退。
幾度となく練習試合を重ねても公式戦の舞台で兵刃を交えることは一度も叶わぬまま、両チームの監督が引退。
それを期に両チームは衰退の一途を辿ることとなる。
――そして現在。五月二日、GW前日。
烏野高校では普段通りの授業が行われていたが、ゴールデンウィークという連休を前に生徒たちは少々浮足立っていた。進学クラスの四組もまた生徒たちの浮足立った話が飛び交うが、その中で月島はうんざりとした顔で机に頬杖をつきため息をついた。
「……むさ苦しい連中とゴールデンウィーク一緒とか信じらんない」
「月島くんは連休でどこか行きたいところとかあったの?」
「え?」
「ちょっと残念そうだったから」
「あー……」
隣の席から鶫がそう訊ねてきたので月島は連休があったと仮定してどう過ごすかを考えてみたが、そのほとんどは休日や帰宅後にしていることばかりで特別やりたいことやしたいことは浮かばなかった。
「……別にないけど。音楽聞いたり本読んだりするくらい」
「いつもヘッドホンしてるもんね。なに聞いてるの?」
「割となんでも聞くけど……洋楽が多い」
「そうなんだ。良かったら今度CD貸してほしいな」
「別に良いけど。好みは?」
「うーん、友達に勧められて色々聞くけど……洋楽はほとんど聞いたことがないから月島くんのお勧めで」
「……分かった。今度持ってくる」
「うん、ありがとう」
少々関わりにくい性格をしている月島に憶することなく話しかける鶫。クラスの中だけでなく一年生の中でも目立つ月島と鶫が顔を揃えていたり話しをしていたりすると自然と人の目を引くが、月島はそれに気付いていながらも面倒なことにならないように無視を決め込んでいる。気配に敏い鶫も当然気付いてはいるものの見られている根本的な理由に気付いていないので、時折視線が向けられる方を向いては不思議そうに首を傾げて曖昧に微笑んでいた。
そんな二人の輪の中に入りたいと思うクラスメイトはいるものの月島の冷ややかな対応を恐れて近付かず、今日もそれは変わらずクラスメイトは山口を除いて月島と鶫の輪に入ろうとはしなかった。
「ツッキー部活行こう!」
「煩い山口」
「ごめん、ツッキー!」
「舞雛はどうする?」
「多分そろそろ――」
「鶫」
ホームルームが終わりざわつく教室の中、教室の外にはスポーツバッグを下げた影山が姿を見せていた。特に用事がなければ毎度鶫のことを迎えに来る影山に、今日もマメだねーと言いながら月島は山口と共に一足先に教室を出て行き、遅れて鶫が教室の出入り口に出てきた。
「お待たせ」
「そんな待ってねえよ。ほら行くぞ」
「揃ってんな」
「オス!」
「四日後には音駒と練習試合。終われば直ぐにインターハイ予選がやってくる。時間がない」
第二体育館で顔を揃えた部員たちに向かって烏養が最初に話して聞かせたことは、烏野の現状と課題について。現段階で男子バレーボール部に所属している部員は決して多くはないが、個々の才能には目を見張るものがある。それは練習試合を見た烏養もよく分かっているので、これから先は今まで空いていた穴をどう埋めるかが課題となりそうだった。
「勝つ為にやることはひとつ――練習、練習、練習」
ゲロ吐いてもボールは拾え。
「オス!」
「オーッス!」
気合いを入れ直して始まった合宿初日。合宿では普段の練習メニューとは違うものが取り入れられ、その内容は鶫が基礎を練りそこに烏養と打ち合わせをした上で作られている。影山曰く北川第一時代よりも気合いが入っているその練習メニューは色々な意味で“効いた”ようで、合宿中盤頃になると部員たちがバテぎみになっている様子が窺えた。
その練習メニューをこなし烏野高校に併設されている合宿用施設に部員たちが到着したのは午後八時前。少々使い古された合宿施設を見た月島がため息を吐き山口がなんか出そうと眉を下げている脇では、日向が目を輝かせながら合宿施設の中を見て回り感動している。
「うおおおお!」
「お前ちょっと落ち着け」
「だって! 合宿って初めてだしっ!」
「一日中むさ苦しい連中と顔つき合わして何が楽しいのさ」
「おい月島てめえ、半径五百メートル以内に潔子さんと鶫ちゃんがいる空間はむさ苦しくねえんだよ!」
「清水は家近いから用事終わったら帰っちゃうよ。何時もそうじゃん」
月島に反論した田中と西谷だったが菅原の言葉で撃沈して床に倒れ込んだが、鶫がいるならむさ苦しくないなと互いに肩を抱き合い唯一の癒しに涙を流していた。そんな彼らの様子を見ていた鶫は少しだけ苦笑いをして、一足先に合宿施設で食事の準備をしていた清水と武田の元へ急いだ。
自分に割り当てられた部屋に行って荷物を置いてから食堂に行くとエプロン姿の清水がカレーを煮詰めている大鍋をお玉でかき混ぜていて、鶫は手近な水道で手を洗うとエプロンをつけて彼女に歩み寄った。
「潔子先輩、こちらのことほとんどお任せしてすみません」
「気にしないで。向こうはどうだった?」
「問題なしです。こっちの準備ができたら呼ぶように伝えてあります」
「ありがとう。じゃあ鶫はこっちの方をお願い。先生は今施錠でちょっと席外してるから」
「分かりました」
後から武田も合流し三人で用意に取り掛かれば、八時半には食事を用意することができた。お腹を空かせた部員たちの喧騒の中で食事を済ませて食事の後片付けを終えると、これから帰宅する清水を合宿施設の玄関まで見送るため鶫は彼女と肩を並べて廊下を歩く。
「鶫、もしなにかあったら連絡して。時間とか気にしないで良いから」
「はい分かりました。潔子先輩は帰り道一人で大丈夫ですか?」
「学校から直ぐだから大丈夫。何時もこうしてるから。じゃあおやすみなさい」
「はい。おやすみなさい」
少しだけ微笑んだ清水が玄関のドアを閉じてその足音が徐々に遠ざかる。鶫が見送りを終えてよしと改めて気合いを入れた時、ちょうど風呂を上がってきたらしい東峰と鉢合わせた。
「お疲れ」
「お疲れ様です、東峰先輩」
「こんな所でどうした?」
「潔子先輩のお見送りです」
「あ、もうそんな時間かー」
風呂入ってたから見送りできなかったなあと申し訳なさそうに眉を下げた東峰は自分よりもひと回りもふた回りも小柄な鶫を見下ろし、少しだけ言葉に迷うように視線を彷徨わせてから頬を掻く。
「あのさ、舞雛には一度言っておかないといけないと思ってたことがあって」
「何ですか?」
「えーっと、取り敢えず立ったままなのもあれだし座らない?」
適当な場所にあったベンチに肩を並べて座ると東峰は鶫のほうに体を向け、少しだけ気弱な表情の目尻がゆるりと下がる。
「その……ありがとう」
「え?」
「俺と初めて会った時、言ってくれただろ」
“私は皆にそうなってほしくありません”
「あの言葉に背中を押された気がしてさ、部活に戻ってみたいって思わせてくれた」
「東峰先輩」
「だからお礼言わないとなと思って」
これからはバレー部の一員として宜しくなと微笑んだ東峰に鶫はしっかり頷いて、こちらこそ宜しくお願いしますと笑顔を見せる。その笑顔に一瞬東峰は目を見開いたが鶫は何かに気付いたようではっとした顔でベンチから立ち上がると、部員たちのお風呂が終わる前に自分もお風呂を済ませてきますと彼に頭を下げて慌てて廊下を歩いていく。
頼もしいマネージャーかと思えば年相応に少しだけ抜けている部分もある鶫の一面を垣間見た東峰はきょとんとしていたが、しばらくするとふっと息を抜くように笑った。
東峰と別れた鶫は一度部屋に戻って入浴セットを持ち女湯の方へ向かえばちょうど隣の男湯の方が一年の順番だったらしく、脱衣所から湯殿へ入っても賑やかな日向と影山の声が聞こえてきた。当然此処には鶫しかいないので彼らの話に耳を傾けながらお風呂を済ませ、大きめのTシャツとハーツパンツに着替えると髪を適当にポニーテールにまとめて脱衣所を出た。
「あ」
「?」
脱衣所のドアを開ければちょうど月島と鉢合わせ、鶫は月島の声に釣られて彼を見上げた。部活後ずっと気怠そうな顔をしていたので少々気に留めていたが、食事を取って風呂に入ったことで大分疲れが取れたようで多少すっきりした顔をしている。しかしそう思ったのもつかの間、彼は鶫を視界に入れると少しだけ不機嫌そうに眉を寄せた。
「……あのさ、此処男しかいないんだけど」
「? 分かってるけど……」
「分かってないから言ってんだけど」
「どれってどういう――」
月島が言っていることがイマイチ理解できなかった鶫が不思議そうに首を傾げていれば、彼は呆れたと言いたげにため息をついてから自分の首にかけていたタオルを鶫の首にかけ、タオルをかけられた鶫は驚いて目を丸くした。
「それ、部屋に帰るまで取らないで」
「どうして?」
「……ホント分かってない」
「??」
取らないでよと念を押した月島はそのまま足早に大部屋の方へと向かったが途中で足を止め、行き場をなくしたモヤモヤを吐き出すように深いため息をつく。その顔は先程と変わらず不機嫌なままだったがやや耳の端が赤く、くそと悪態をつきながら眉根を寄せた。
「……ホント分かってない」
自分より身長がある相手から大きく空いた襟元がどう見えるかとか普段上げてない髪から見える白い項とか、そういうの全然考えてない。バレーのことになると妙に敏い癖にそういう話題は疎い。厄介すぎる。
そういう話題についても敏くなってくれないだろうかと月島は渋い顔をしたが本人にそれを言うことは何となく憚られたためタオルだけを渡すだけに留めたが、今後もこういうことがあれば言わなければと眉を寄せ、止めていた足を大部屋の方へと向けた。
そんな月島と浴場の前で別れた鶫は未だに月島に言われた言葉の意味を考えていたが答えが出ず、首にかけられたタオルを指先で弄びながら廊下を歩いていると、食堂に灯りがついていることに気が付いた。食堂の後片付けと清掃は鶫と清水が揃ってしたので消灯のし忘れということはあまり考えられず、誰かいるのだろうかと室内を覗けば奥の席に菅原がこちらに背中を向けて座っているのが見えた。
「……菅原先輩?」
「うわっ!?」
静かに歩み寄って声をかければ菅原は鶫の気配に気付いていなかったらしく驚いた声をあげてこちらの方へ振り返り、彼女の姿を視認するとほっと胸を撫で下ろして表情を緩めた。
「なんだ、誰かと思ったら舞雛かー」
「すみません、驚かせるつもりはなかったんですけど……」
「いいよいいよ、俺が気が付かなかっただけ。あ、座る?」
「じゃあお言葉に甘えて」
「うん。はい、どーぞ」
菅原が隣の椅子を引いてくれたので鶫はそれに甘えてそこに腰かけると、彼が此処で何をしていたのか直ぐに分かった。テーブルの上には何枚かの紙と筆記用具が広げられていて、Aクイックや平行などという単語とバレーのサインと思われる手の形、ボールの運び方が書き込まれていた。
「菅原先輩、これってサインですか?」
「まだ教えてなかったからあとで一年に配ろうと思ってさ。舞雛は必要?」
「いえ、大丈夫です。練習で見ているので知ってます」
「流石。何となくそうかなーとは思ってたけど」
歯を見せて笑った菅原はじゃあ四人分で良いなと再びペンを走らせたが、不意に自分の鼻を擽る柔らかく甘い匂いに気が付いてペンを止めた。その匂いの元へ顔を向ければこちらの手元を見ている鶫の姿があり、菅原のペンが止まり視線がこちらに向いたことに気が付いて首を傾げた。菅原は慌てて何でもないと曖昧に笑って顔を戻しペンを走らせたが、先程までの集中力は戻ってこない。
「……気付かなければ良かった」
「何がですか?」
「いや、独り言!」
「?」
男子にはない甘い匂い。それとなく視線を向けてみれば風呂上がりなのか少しだけ毛先が濡れているようにも見える。見れば見るほどその“違い”に気付いてしまう菅原は内心で焦っていたものの、先輩や男としての意地で表情に出ないようにするためにも気を逸らすことにした。
「……そうだ。舞雛は休まなくて平気?」
「まだ大丈夫です。あ、少し待っていてくださいね」
「? うん」
席を立った鶫はキッチンの方へ向かい、菅原は首を傾げながらも再び作業に取りかかる。数分もすればキッチンから鶫が戻ってきて、菅原が広げている紙の邪魔にならないところにホットミルクのマグカップがコトリと音を立てて置かれた。
「ホットミルク?」
「皆には内緒です」
「!」
「蜂蜜もちょっとだけ入っているので、飲み終わったら歯磨きしてくださいね」
「ははは、分かった。ありがとな」
口元を指し示しながら歯磨き忘れたら駄目ですよと笑った舞雛は、お邪魔になるといけないのでとそのまま食堂を出て行った。普段しっかりしてるし仕事もできる子だから、年相応の一面を見てちょっとだけ擽ったい。胸の中がくすぐったくて妙にムズムズするけど、嫌な感じじゃない。
舞雛が淹れてくれたホットミルクに口をつければちょっとだけ甘くて、辛党の俺には少しだけ物足りない。でもこの味が嫌いじゃないのは、多分舞雛が俺だけのために淹れてくれたからだ。また恥ずかしくなって二口目を啜ったところで、遠くの方からお前ら煩いと叱りつける大地の声が聞こえてきて、ちょっとだけ苦笑いをした。