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 五月六日、午前九時前。烏野総合運動公園の球戯場前にバレー部の面々が足を進めていた。緊張した面持ちの烏養は自分の服に染み付いた煙草の臭いを気にしてファブリーズしてきたことを武田に話すと、ラベンダーの香りなので大丈夫ですよと彼は親指を立てた。

「鶫。事前に音駒の試合は見たか?」
「ううん。合宿に集中したかったから見てない。いまから凄く楽しみ」
「あんまり無茶すんなよ」

 球戯場の前に出れば音駒高校の面々とみられる赤いジャージの集団が立っていて、それに気付いた澤村が集合の声をかける。鶫は見覚えのあるその赤いジャージに少し驚きながらも部員たちの後を追うようについていき、彼らの少し後方で足を止めた。

 それとなく音駒高校の面々を見ているとやはりその輪の中には夜久の姿があり、こんな偶然もあるのかと鶫を驚かせた。しかしその驚きもつかの間、日向が何かに気付いたようにあっと声を上げて部員たちの視線を引く。日向の視線の先には金髪をプリン頭にした男子がいたが、日向はやってしまったというように慌てて口を押えて黙り込んだ。

「挨拶!」
「お願いしアス!」
「しアース!」

 双方が頭を下げて挨拶を交わすと双方準備に入り、先を歩いて行った清水に続いて練習試合の準備に取りかかろうと体育館へ足を向けた。散り散りになった烏野と音駒の部員たちの中で鶫がふと横から向けられた視線に気が付いて顔を向ければ、其処には澤村の前に立っていた音駒の主将が立っていた。

 音駒の主将は鶫を見て驚いたように目を丸くしていて、鶫は彼の顔を見て何か気にかかることでもあるのかと首を傾げる。こちらを見ている彼の顔に何となく見覚えがあるような気もしてどこかで見かけた選手だろうかと記憶を辿ってみるものの、近い記憶の中ではそれらしい人物に心当たりがない。

 何となく引っかかる彼の顔に鶫が頭を悩ませていることに気付いた影山が何をしているのかと声をかけようとしたが、それよりも早く音駒の主将がその場から動き出して鶫に声をかけた。

「鶫!」
「え?」

 自己紹介もまだしていないというのに音駒の主将である彼は鶫の名前を迷うことなく口にし、その声は鶫本人と傍にいた影山だけではなく周囲にいた部員たちも驚かせた。

「あ、あの……」
「鶫だろ?」
「は、はい。そうです」

 どこかの公式戦で私を見かけたことがある、とか……?
 でも東京の公式戦なんて小学校のほんの少しの間だけだし、その他はほとんど地元にいたから私が大会で見かけたことがある人じゃない、はず。そう考えると相手が私のことを知っているってことになるけど……。

「お前、俺のこと分からないのか?」
「す、すみません。どこかで――」
「黒尾鉄朗」
「えっ」
「そう言えば嫌でも分かるだろ?」

 音駒の主将である黒尾鉄朗が名を名乗りニヤリと口角を上げれば鶫は元々の丸い目を更に大きく見開いて驚き、あり得ないと言いたげに口をぽかんと開けている。

「て、てつくん……?」
「おう。久しぶりだな、鶫」
「び、びっくりした……!」

 何でこんなところにいるのかと鶫が黒尾のあだ名らしい呼び名を口にすれば、彼はどこか嬉しそうに目尻を下げて笑いながらそれはこっちの台詞だと言われたことをそのままそっくり言い返す。

 この二人の間にどんなことがあったのかと周囲が疑問と驚きで目を丸くしている中、今までその輪の外にいたやや猫背気味で髪をプリン頭にした部員が二人の元に歩み寄り、黒尾を見ながらため息をひとつつく。

「あのさ……あんまり目立つことしない方が良いんじゃない?」
「お、ちょうど良いところに。コイツも覚えてるだろ、鶫?」
「だから――」
「……けんまくん?」
「!」
「……違った?」
「……当たり。久しぶり」

 恐る恐る鶫がそう訊ねれば音駒のセッター孤爪研磨は少しだけ目尻を下げて微笑む。先程まで目立つことはしない方が良いと言っていた彼だが、その場から離れる様子はない。黒尾に続いて孤爪もその輪に加わったことで更に訳が分からなくなってきたが、今まで黙ってその様子を見ていた影山が鶫の元に歩み寄り、少々眉根を寄せながら彼女を見下ろした。

「鶫。何だ久しぶりって」
「俺と研磨は、鶫と幼なじみなんだよ」

 それも、小学生の時からな。

「は!?」
「あれ、お前話してなかったのか?」

 鶫への問いかけの答えは黒尾の口から回答されたが、そんなことは初めて聞いたと影山は驚きの声を上げる。てっきり話しているものかと思っていた黒尾が鶫を見てそう聞けば、彼女もすっかり言ったつもりでいたという顔で影山を見上げ、少しだけ首を傾げながら二人を手で指し示す。

「引っ越して来る前に東京に住んでいた頃、親同士が仲が良かったの。学校も一緒だったし……懐かしいな。でも二人とも変わってたから全然分からなかった」
「そうか?」
「結構違うんじゃない」
「頭プリンにしたお前にだけは言われたくねーよ。でも、鶫は綺麗っつーか可愛くなったな。驚いた」
「そ、そう?」

 そんなこと言われたことないと照れ笑いを浮かべる鶫に黒尾は可愛い可愛いと笑いながら小さな頭を撫で、孤爪はそんな黒尾をやや呆れた目で見上げていたがそれを止めるつもりはないようで口を挟むことはしない。

「でもアレだな、昔の呼び方だとちょっと子どもっぽい」
「そ、そうですよね! 二人とも先輩だし……!」
「あー、そうじゃないそうじゃない。“センパイ”なんて関係ねーよ。タメ口で名前で呼んでくれってことだ」
「え、でも」
「別に良いんじゃない。クロは一回言い出したら聞かないし」
「……本当に?」
「俺も良いよ、別に」
「ほらほら、呼んでみろって」
「ええと……鉄朗くんに研磨くん?」
「よーし、それで良い」

 気が付けば何時の間にか話の輪から外れてしまった影山はしばらく呆然としていたが、不意に黒尾と目が合い彼にニヤリと笑われたことでムスリと不機嫌そうに眉を寄せた。

「鶫!」
「何、飛雄くん?」
「さっさと体育館行くぞ」
「あ、ちょっと!」

 鶫の手を引き半ば強引にその場から連れ出した影山。不思議そうな顔をしながらもついていく鶫の小柄な背中をじっと見ていた黒尾がなるほどなと呟けば、隣にいた孤爪が何がなるほどなのと問いかける。

「いや? 面白くなりそうだなーと思っただけだ」
「……嫌な予感しかしないんだけど」
「そんなことねーだろ」
「研磨!」
「あ」

 日向に呼び止められた孤爪はそちらへ顔を向けると黒尾に先行って良いからと声をかけ、こちらに向かって駆け寄ってきた彼の方へ体を向けた。

「ねねね音駒だったの!? それに鶫ちゃんと幼なじみ!?」
「あ、うん」
「何で教えてくんなかったんだよー」
「だって聞かれてない……」
「……」

 孤爪の返答に一瞬黙った日向だったが、最後にまたねって言ったから何か知ってたんだろと続けて体を前のめりに動かす。すると孤爪は日向の胸元をちらりと見てから、Tシャツにそう書いてあったからと答え、日向はまた黙ってしまった。

 その時、孤爪の後方から大きな人影がゆらりと動き、ちょうど孤爪の真後ろで止まった。それに日向は体をビクリと震わせてゆっくりと顔を上げる。

「ヘイヘイヘイ。うちのセッターに何の用ですか」
「……!?」
「ちょっと……」
「ごっ、ごめんなさ」
「そっちこそ」

 日向を見下ろすように立っていたのは体格の良い音駒の部員で、ソフトモヒカンが特徴的だった。その髪型も相まってすっかり怯えた日向が謝罪しようとした時、今度は日向の後方から田中が顔を出して、日向は田中さん!? と声を上げて目を丸くした。

「なんだコラ」
「やんのかコラ。シティーボーイ、コラ」

 お互いに威嚇し合いながらドスの利いた喧嘩口調に日向はかなり慌てていて、一方の孤爪は呆れた表情で二人を見つめている。そんな時、それぞれの後方でまた人影が揺れた。

「やんのかってやるんだろ、これから。試合なんだから。あとシティーボーイとかやめろ、ハズカシイ」
「!」
「山本。お前直ぐ喧嘩ふっかけるのヤメロ。馬鹿に見えるから」
「……」

 田中には菅原、山本には夜久それぞれがツッコミを入れて静かにさせた所で二人は顔を見合わせ恥ずかしい奴がいてすみませんと苦笑いをした。それにいたたまれなくなった田中と山本は、一先ずこの場で喧嘩をすることは二度となかった。

 この場が静かになった所で山本が不意に視線を上げた時、田中の後方を通り過ぎた清水と偶々目が合う。清水も目が合ったことに気付いたので当たり障りがないよう小さく頭を下げると、彼女の透明感ある顔立ちに山本は一瞬で目を奪われ言葉を失った。

「はうあっ!?」
「……?」

 清水の容姿と会釈に山本はぐっと息を飲む中、後方では犬岡と柴山がハーゲンダッツゲットとハイタッチ。清水の存在が悔しくなった山本がその場から逃げようとして急に方向転換をした時、山本は駆け出そうと踏み込んだ足をその場で押し留めた。

「!?」

 山本の視線の先には先程影山と体育館に入った鶫が外へ出てきた様子が見えて、その視線に気付いた鶫は山本の挙動不審な様子に不思議そうに首を傾げたものの愛想よく微笑んだ。

「うぐっ……こ、こっちは、か、かわ……!」
「え?」
「覚えてろよおおおおお!」

 鶫が聞き返すと同時に今度こそ山本は体育館の中に逃げ込んでしまい、自分の脇を通り過ぎた山本に驚いて目を丸くしていた。その背中を見送った面々がそろそろと体育館へと向かう中で菅原が鶫へ声をかけようとした時、目の前に居た夜久がそちらへ足を向けた。

「えーっと、舞雛?」
「あ、夜久さん」
「え」

 今日は宜しくお願いしますと笑った鶫に夜久がこっちこそと笑ったのを見て、こちらも初対面ではなかったのかと言いたげに菅原が二人を見ていると、それに気付いた夜久が少しだけはにかんだ笑みを浮かべた。

「少し前に偶々道で会って、それで」
「あ、なるほど……」
「はい、そうなんです」
「あの時は助かったよ。改めて俺は三年の夜久衛輔、宜しく舞雛」
「こちらこそ宜しくお願いします、夜久先輩。――と、いけない。私、皆さんを呼びに来たんです。今から主将同士で挨拶をしたら直ぐアップです」
「分かった。ありがとう」

 じゃあまた後でと手を振って先に体育館へ行った夜久を見送り鶫も菅原と一緒に体育館へ向かった。その後方では影山が日向に孤爪との関係を聞いていて、彼がセッターと聞いた瞬間に分かりやすいくらいに闘志を燃やす。



「今日は宜しくお願いします」
「こちらこそ宜しくお願いします」

 にこにこにこ。お互いに爽やかな笑顔を浮かべて握手を交わした黒尾と澤村。そんな二人を見ていた勘の良い面々――主に鶫や菅原、夜久などは僅かに冷や汗をかいたり苦笑いを浮かべて当人達と同じことを考えていた。

 あ、コイツ食えないタイプの奴だ――と。


 「音駒高校」対「烏野高校」
 因縁の再戦。

「行くぞ」

 ――開始。

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