19
ダッシュにレシーブ。そして体育館いっぱいに広がるシューズのスキール音。
ユニフォームを身に付けて汗を光らせている皆を見ていると私の視界に昔の光景が重なっていくけど、でもそれは直ぐに消えていく。もう届かないと分かっている場所だから、もう行けないと分かっている世界だから。その場所に私の立てる場所はもうないと知ってしまっているから。
「……でも、楽しそう」
それでもちょっとだけ、“もしかしたら”を考えると寂しくなる。
鶫の隣にいた烏養が彼女の寂しげな横顔を見て僅かに目を細めた時、後方からかけられた声に気付いてそちらへ顔を向けた。顔を向けた先には見覚えのある顔がいて、反射的に烏養が眉を寄せると、相手は楽しげに口角を上げた。
「八年ぶりか? 何だよ烏養、そのアタマ」
「うっせーな。お前は変わんな過ぎだろ――直井」
烏養に声をかけたのは音駒高校のコーチ、直井学。烏養と時期を同じくしてネットを挟み戦った相手。
あの頃のように握手を交わした烏養と直井。その二人に武田とそちらに気付いた鶫が微笑ましそうに見ていると二人は急に顔の方向を変えて武田と鶫の方を見た。
「俺ら万年ベンチ温め組!」
「!?」
「その分コートの外からの風景は嫌って程見てきた」
「天才はヘタクソの気持ちも出来ない理由も分かんねえけど」
ヘタクソはヘタクソの気持ちも何で出来ないのかも良く分かるんだぜ。
そう言って顔を見合わせて笑う二人に思わず鶫も表情を綻ばせると、音駒側からまた一人こちらに歩み寄ってきた。年配者独特の背格好ながらもその背筋は曲がることなくしっかりと伸びていて、その姿には穏やかながらも貫禄を感じさせられる。
「おっ、繋心か! 相変わらずじじいそっくりの顔しやがって!」
「お久しぶりです、猫又先生」
その人は音駒高校の監督を務めかつて烏養の祖父と切磋琢磨してきた人、猫又監督。猫又が顔を見せると武田は慌てて彼に駆け寄って、今にも高速で一礼をしそうな勢いで話しかけた。
「あっ、おっお電話した武田です! 今日はわざわざ本当にありがとうございますっ!」
「そりゃあ、あんなにしつこく電話貰ったら来ない訳には!」
「すっ、すみません!」
「冗談です、冗談!」
うちもこの三日で良い練習試合が出来ましたと猫又は笑って武田に宜しくお願いしますと告げれば、その視線は鶫へ向けられた。それに鶫がきょとんと目を丸くすると猫又はふっと笑顔を見せる。
「あんたが舞雛鶫さんか」
「は、はい!」
「雑誌で見たことがある。試合も一度だけ見させて貰った」
「!」
「あの異名の通りのプレー、女子バレー界ではとんでもねえ脅威だな」
「……そう言っていただけて光栄です」
「監督そろそろ」
返答に困った鶫はちょうど声をかけてきた直井に助かったと思いつつ、おおそうかと別段気にした様子もない猫又がそれじゃあと笑い再び烏養と武田へ顔を向ける。その表情は先程の温和なそれとは違い、鋭く攻撃的なものだった。
「相手が烏養のじじいじゃなくとも……容赦しねえよ?」
「……」
「――俺達は血液だ」
滞りなく流れろ、酸素を回せ
「脳が」
正常に働く為に
「行くぞ」
「あス!」
静かに闘争心を燃やして団結力を再確認した音駒の面々がコートに散っていく中、初めてユニフォームに袖を通した一年を混ぜた烏野も円になって顔を突き合わせていた。
「――正直、俺達は顔合わせたばっかの面子でデコボコでちぐはくで、しかも今日がこの面子でも初試合」
澤村が一人一人の顔を見ながら静かな声色で試合前の気合い入れを行う。その様子を離れた場所で見ていた鶫はバインダーを持つ手に僅かに力を込めた。
「そんで相手は未知のチーム。どんな戦いになるか分からない。壁にブチ当たるかもしれない」
でも、壁にブチ当たった時はそれを越えるチャンスだ。
「行くぞ!」
「オス!」
「音駒高校対烏野高校、練習試合始めます!」
「しアス!」
「しアース!」
――始まった。
鶫が部活中や今の合宿中に真剣な様子でコートを見ていることは何度もあったが、今はそれらよりもピリピリと肌を刺しそうな集中力が試合へ注がれている。その集中力に寒気を覚えた烏養がぐっと息を飲むと、それに気付いた武田は笑顔を見せた。
「凄いですよね、舞雛さん。僕も何度も見てますけど、集中力とか観察力、分析なんかも凄いんですよ。それに烏養君が来る前はコーチの役割も果たしています。とても頑張り屋さんですよね」
「……それが今じゃマネージャーか」
「え?」
「あ、いや……先生はアイツがバレー選手だったこと、知ってるんですか」
「え、そうなんですか?」
烏養の質問にきょとんと目を丸くした武田の近くでその話を聞いていた菅原が僅かに目を細める。このことについては菅原だけでなく、鶫のことを知る面々には気になって仕方がなかった。
「僕は全然……影山くんと同じ中学だったとしか」
「なるほど」
眉を寄せて考え込んだ烏養の向こうのコートではボールを受け取った孤爪がホイッスルと共にサーブを打った。コーナーギリギリのサーブ、威力はないものの良いコースに打ち込まれたそれはほぼ正面にいた東峰が拾い、弧を描いてセッター位置へと繋げられる。
「スマン、ちょい短い!」
「旭さん一ヶ月もサボるから!」
「スミマセン!」
西谷の声に反射的に謝った旭のやり取りの脇では影山が既にボールの落下点を見定めて駆け出していた。そして同時に日向も飛び出しそれにひと呼吸遅れて他のスパイカーも走り出す。
それからは、ほんの一瞬。
影山とすれ違う日向、それを視界に捉えた影山。落下してきたボールに影山が触れた時には既に飛んでいた日向の元にボールが運ばれて、相手コートにボールが沈んだ。
「すげえっ、速えっ! 何!?」
「あんなトコから速攻……!?」
「何だありゃあ!?」
日向と影山の速攻に驚いている面々に烏養と武田がニヤリとする中、鶫はふと孤爪に意識が向いた。大きな切れ長の目は静かに日向と影山を捉えていて、それが妙に気になった。
「……?」
「……凄いね、びっくりした……」
「! えへへ」
何処か、私に似ている?
鶫の疑問はそのままに田中のサーブが打たれ、それを福永が拾い確実にセッター位置へ返球する。ほとんどモーションをかけないまま孤爪はトスを上げ、それを受けた山本は澤村と日向のブロックを掻い潜ってスパイクを打った。
そのスパイクは西谷が拾い影山に返すとほとんどセッター位置で返されたそれと同時に日向が飛び出し跳ぶ。それに犬岡と山本がブロックで跳んだがボールはレフト側に上げられ東峰の強烈なスパイクで相手コートに沈んだ。
「ハハハ……スゲーな。今のは拾えなくてもしょうがねえ。あれ高校生? 社会人じゃないの?」
「うわあ……」
「リベロもスパイカーも良いのが居るな、烏野! でも一番とんでもねえのは――」
セッターとベンチで座ってるお嬢ちゃんかな?
「なんっか気持ち悪いな……」
「どうかしましたか?」
「様子を窺われてるっつーか……観察されてるっつーか」
モヤモヤした様子の烏養に武田が首を傾げている近くでは鶫が既にバインダーひとつに挟んでいた紙の束を消費していた。その様子を試合が始まってからずっと見ていた菅原は月島が席を立ったのを見て、武田に歩み寄る。
「先生。今丁度リベロとの入れ替わりがあるので説明しますね!」
「あっ、お願いします!」
リベロは普通の選手交代とは関係なく試合中何度もコートを出入りする。しかしそれはサーブが打たれてからボールが落ちるまでのラリー中以外で、入れ替わる相手はミドルブロッカーが多い。
「うちもミドルブロッカーの日向と月島が後衛に回った時、西谷と交代します」
試合開始は日向が前衛だったので後衛である月島が西谷と入れ替わった状態で試合が開始されていた。今は日向がサーブで後衛に回り同時に月島が前衛に上がるので西谷と交代している。
「日向はこのサーブを打ったこのラリーが終わった所で西谷と入れ替わります。で、また三つローテーションして月島にサーブの番が来たら日向はコートに戻り、月島はサーブの後西谷と入れ替わる――って感じになります」
「おお、なるほど……」
武田は菅原の説明をメモを取りながらしっかり聞いて全てをメモに取るとそれをポケットに入れ、片手を顎に添える。
「日向くんと月島くんの苦手な守備を、西谷くんが肩代わりしてくれるような感じか……!」
「まあ、そうなりますね。でも」
「?」
「サーブ打った後は後衛で守らないといけないし、前衛にいてもレシーブすることは当然常にあるので、苦手なままでは許されませんけどね」
「おお……」
的確で辛辣な菅原の言葉と共に何処か黒い部分が見え隠れした笑顔を浮かべた彼に、武田は上手く言葉を返せなかった。