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「はよ、鶫」
「おはよう、飛雄くん。ごめんね、待たせちゃって」
「そんな待ってねえよ。行くぞ」
何時も通り鶫の自宅まで迎えに来た影山は玄関から出てきた鶫を出迎えると、彼女の歩調に合わせて歩き始める。目線の下でふわふわと揺れる黒髪に影山は無意識にぐっと息を詰まらせたが、ふとあることに気が付いた。
「……」
「……?」
――何時もより歩くの遅くねえか?
もう何年も一緒にいる影山は鶫の歩調に合わせて歩くのは訳ないことだが、それが何時もより遅い気がした。急いでいたり体調が悪いなどという理由がない限り人はほとんど同じ歩調で歩いているが、それには多少のブレもある。しかし今感じたブレは、それらとは違う“別の何か”。しかし影山にはそれが何か分からない。鶫の顔色をそれとなく窺って見るものの特に悪い様子もなく、足運びがぎこちない様子もない。
「……?」
……気のせいか?
――IH予選、二日目。
「押っせー!押せ押せ押せ押せ青城!」
「押っせー!押せ押せ押せ押せ青城!」
「宜しくお願いします」
「お願いしまーす」
第三回戦、「烏野高校」対「青葉城西高校」開戦。
「声出せ声出せ! このコート青葉城西しかいないみたいだぞー!」
「オアース!」
「先サーブになりました」
「おう」
菅原の声で更に声出しのボリュームを上げた部員たち。そして烏野からコート練習の公式ウォームアップとなり、主審のホイッスルと共にサーブ練習が始まった。青葉城西側の応援は部員も多くいる為、それに比例して応援の人数もかなりの数がいる。それに加えて及川を慕っている女子生徒の黄色い応援も入り混じっているせいか烏野の面々――主に田中と西谷の気合いの入り方は何時もより熱を上げていた。
「うーん……良いこと、なのかな?」
気合いの入れ方の方向がやや違うような気がしてならなかった鶫だったが、これはこれで良いような気がしたのでそのままにしておくことにした。
主審のホイッスルでコート練習が交代になり、青葉城西の部員たちが及川のトスで次々とスパイクを打っていく。その滑らかな連携と鮮やかさは鶫も目を奪われた。
「いいじゃーん、マッキー! キレッキレだね!」
「ごめん金田一、今の少し高かったね」
「あっイエ、ハイ!」
「岩ちゃんちょっと力んでない?」
「……」
「良いトコ見せようとしなくて良いんだよ! 女の子は岩ちゃんなんか見てないからね!」
笑顔でそう言った及川をボールで殴りかかろうとした岩泉に気付いた金田一がそれを止めに入るが、そんな青葉城西の様子を見ていた武田が及川が選手をよく見ていると言葉を溢す。同じくそれを見ていた清水はそうですか? と訝しげに返事をしたが、鶫は及川の持つ観察眼に舌を巻いていた。
「……やっぱり凄い」
一人一人に目を向けて、きちんと声をかける及川先輩。ちゃんとチームメイトと向き合って、個性あるスパイカーを生かす努力の天才――。
「……私も頑張らないと」
鶫がそう呟くと同時に公式ウォームアップは終了し、ネットを挟んで整列をする面々。白と黒が対面し、それぞれが良い緊張感で其処に並んでいた。
「お願いしあース!」
第三回戦。「烏野高校」対「青葉城西高校」
こちらに戻ってくる部員たちに備えて準備しようと鶫が腰を上げた時、コートの方から及川が影山を呼び止める声が耳に届いた。
「今日は“天才セッター”を倒すの楽しみにしてきたから、頑張って食らいついてね」
「……」
「それと鶫ちゃん。彼女のことをちゃんと見て生かしてあげられているか、彼女の期待に応えられるだけのプレーが出来るのかも楽しみにしてるよ」
「! 俺たちが勝ち――」
「負けません!」
及川のその言葉に影山が何かを言いかけたが、後方からの日向の声で影山の言葉は見事にかき消された。それに影山は日向の胸ぐらを掴み上げて被んじゃねえと叱り飛ばすと直ぐに及川へ向き直る。
「今回も負けないっス!」
烏野側のベンチに日向と影山が戻ってきた所で武田が部員を見回すと、ひとつ頷いて口を開いた。
「皆は一度青葉城西に勝ってますね。たとえその時、相手が万全でなかったとしても、その勝ったという事実は自信の根拠にして良いと思うんです」
慢心じゃなく、自信に。
「ハイ!」
「僕からは以上。あーっと、舞雛さんは?」
「え?」
何時もなら監督とコーチの言葉でそのまま円陣を組む。今回もそうだと思っていた鶫は急に声をかけられて目を丸くした。武田から部員たちへ顔を向けると彼らは鶫の方に顔を向けていて、それに戸惑っている鶫に武田は笑いかけると待ってますよと発言を促した。
「……えっと」
「大丈夫です。舞雛さんも何か言ってあげて下さい」
「……分かりました」
ただのマネージャーの私が何か言うなんて思っていなかった。……けどせっかく与えられた機会なら、今思っていることを素直に。
「――この数ヶ月、皆さんのことを見てきました。最初の頃より確実に一歩ずつ一歩ずつ階段を上がるように強くなっています。そして今、自信を持って言えます」
今の皆さんは、青葉城西と同じ舞台で戦える実力があります。
「!」
「皆さんが戦いやすいように、私も頑張ります」
皆さんと一緒にコートに立っている気持ちで、一緒に戦います。
「っおう!」
「烏野ファイ」
「オース!」
円陣を組んでコートへ駆けて行く選手たちの背中を見送った鶫は力が抜けたようにストンとベンチに座り、それを見た菅原は慌てて彼女に駆け寄った。
「舞雛!?」
「ちょっとドキドキしちゃって……。私、上手く話出来ていましたか?」
「……大丈夫。ちゃんと伝わったよ、舞雛の気持ち」
「――10番に振り回され過ぎないように。コースを絞って止められるものは止める、それ以外は拾う」
「ハイ!」
青葉城西の監督の言葉に頷いた選手たちはコートに足を向け、及川はその中で手をプラプラと準備運動のように振りながら後方に居る面々に顔を向けた。
「よーしやるかあ! それじゃあ今日も――」
信じてるよ、お前ら。
「……」
試合前の及川先輩のたったひと言。チームの空気を一瞬で変える魔法の言葉。
及川先輩が言うとただの冗談にも聞こえるけれど、静かな脅迫のようにも聞こえる。でもこれだけは何の裏もない言葉だと皆知っているから――皆もまた全力で及川先輩を信じている。
「……本当に、凄い人」
だからこそ負けられない。私も全力で烏野をサポートする――それが、あの練習試合の後で及川先輩に啖呵を切った誠意だと思うから。
月島のサーブから試合は始まり、コースとしては中々だが威力は然程ないボールは国見の手で拾われる。及川へと繋げられたボールは綺麗に弧を描きセッター位置へと返っていく。及川のセットアップを間近で見るのは久しぶりだと鶫と影山が思っていたところで――及川が跳んだ。
「!」
及川が触れたボールはあからさまなツーアタックとして烏野側のコートに沈む。いきなりのツーアタックに対処出来なかった日向は全く動けず、鶫は及川先輩らしいと苦笑いを浮かべた。
「いきなりツーアタックだー!!」
「いいぞいいぞトオル! 押せ押せトオル!」
「ホラホラ、次も同じのやるからね。ボゲッとしてないでちゃんと警戒してね」
及川の挑発に烏野の面々は苛立ちを隠せず、澤村でさえも笑顔のまま苛々している様子だった。日向と田中は次が本当にツーアタックでくるかどうか議論していたが、澤村が途中で相手がじゃんけんで何を出してくるか考えるのと同じだから考え過ぎんなよとその話題を切った。
サーブ権は青葉城西に移り、松川のサーブ前にリベロの渡が金田一と交代する。松川のコース取りが良いサーブが打ち込まれ、澤村が正面でボールを拾い上げた。
「オーライ!」
「大地さんナイスレシーブ!」
「B−ッ!」
「おれに来ォーい!」
レシーブが上がると同時に飛び出したのは田中と日向。会場の期待通り変人速攻でスパイクを打ったが、ちょうどレシーバーの正面だった為にボールは床に沈まず宙に上がる。上がったボール目がけて飛び出した及川が先程よりもあからさまにツーアタックを打つ姿勢をしていたので、日向と田中がブロックに入ろうと体を構えた。
「違う!」
鶫がそう声を飛ばしたが既に及川は体制と手の角度を変え、ライト側に飛んでいた岩泉へトスを上げた。ブロックは影山一人、完全にブロックの体勢になれていないこともありスパイクはブロックにはかからず、烏野側のコートへボールは沈んだ。
「おい、ちょっと低い」
「あれゴメン。でも岩ちゃん大体打ってくれるじゃん」
「……スパイクモーションからのセット」
流石、及川先輩。事前までそれを悟らせない技術力は脱帽するしかない。
――でも、こちらも“武器”は沢山用意してきた。
「……」
「くそっ」
「コラコラコラ! “及川スゲー”は最初から分かってたことだろ」
それにセッターの腕も攻撃の派手さもこっちだって負けない!
「アス!」
二本目の松川のサーブは正面にいた西谷が綺麗に拾ってセッター位置へと返す。持って来いと叫びながら中央に突っ込んだ日向と僅かに遅れて飛び出したレフト側の田中。田中の目の前にはブロックに跳ぼうと構える及川が待機していた。
「……あれ?」
日向くんの後方にはパイプを仕掛ける東峰先輩がいる。さっきのサインでそれは分かっているけど――飛雄くんの目の動きが違う。
鶫がそう思ったのもつかの間、影山はトスモーションから左手首を翻してツーアタックで相手コートにボールを落とす。囮約の日向、パイプで跳ぶつもりだった東峰は目を丸くしていて、鶫も思わずペンを取り落としそうになった。
「ツーでやり返したーッ!」
「負けず嫌いだねえ」
「もっとやれ―」
「と、飛雄くんったら……」
月島と菅原に続いて鶫はそう言葉を溢し、負けず嫌いな幼なじみに笑みを溢した。
「――次も同じのやるんで、ちゃんと警戒して下さいね」
「……このクソガキ」