32
――中学三年、最後の大会。
アイツの手元にあったのはベストセッター賞と書かれた表彰状がひとつ。
「珍しく裏のない笑顔だな」
「俺の笑顔は何時も真っ直ぐだよ!」
「真っ直ぐ純粋って響きが既に不純だ」
「嬉しいに決まってんじゃん! 初めて貰ったし!」
及川徹は基本的にヘラヘラしている男だ。
でも、ソイツが笑わない時期があった。
人より体格に恵まれていた、センスにも恵まれていた。
特に中学へ上がってからの及川の上達ぶりは群を抜いていた。
――それでも。
「――っ!」
「……」
超えられない壁は常にあった。
"怪童"牛島若利を迎えて県内最強と言われるようになった、白鳥沢学園中等部。
対戦すれば負けた。1セットすら獲れなかった。
「っ何で勝てないんだよ!」
「っ……」
もっと上へもっと高い舞台へ。
阻まれ続けて中学三年。今度は――
「秋山小出身、影山飛雄です。バレーは小二からです。宜しくお願いします」
背後に天才が現れた。
そのセンスは圧倒的に輝いていた。
何よりボールに触れていることは嬉しくて仕方ない様子と、それに伴ってのボールの扱いの慣れ方が段違いだった。
「基本色んなポジションはやらせるが、ゆくゆくはセッターだな」
「……」
それから及川は今まで以上に練習に打ち込むようになった。
「オーバーワークだぞ! 昨日も監督に注意されたろうが!」
「!」
「怪我したら元も子もねえんだボゲ! オラ終わりだストレッチ!」
ひたすら焦っているようだった。
その焦りは練習試合で今までに有り得ない回数のコンビミスとなって現れた。
――そして。
「影山、入ってみろ」
「はい」
「前前っ!」
「……」
「オーライ!」
「ナイスカバー!」
「――……っ!」
そして練習試合が終わって解散した後、また体育館に残っているらしい及川を迎えに行けばアイツはまだボールに触っていた。見てるこっちがしんどいくらいバレー好きだよなと仲間は言っていたが、半分違っている。
「……」
オーバーワークだと怒鳴ってやろうと思った。でもその前に聞こえてきたのは、あの背後の天才がアイツを呼ぶ声だった。
「及川さん。サーブ教えて下さい」
マズイ。
直感だった。俺は靴を脱いで、慌てて駆け寄った。
――何で勝てない。
俺には超えなきゃいけない壁があるっていうのに! 背後にはあの天才がいて、俺をじわじわと追い詰めていく。苦しい、辛い。でもボールに触れられないのは、コートに立てないのはもっと辛い。だから俺はもっともっと上手くならなきゃいけないんだ。
同じコートで戦っていてアドバイスもしてくれている鶫ちゃんにも、このままじゃ顔向け出来ない。
「及川さん」
「!」
「サーブ教えて下さい」
――来るな
来るな
――こっちに来るな
目の前の壁、後方の壁。そのひとつを目の前にして俺は左腕を振り切ったら、間に岩ちゃんの姿があった。気付いた時には俺の腕を掴んでいて、目の前の飛雄は目を丸くしている。
「落ち着けこのボゲッ!」
「――……ごめん」
岩ちゃんが掴んでいた俺の腕を離すと飛雄に今日は終わりだと帰らせて、アイツが体育館を出て行くのを見計らってから大きく息を吐き出した。
「――今日の交代はおめーの頭冷やす為だろうがよ。ちょっとは余裕持て」
――余裕?
そんなの、今の俺に必要な物じゃない。余裕なんてあるはずがない。あっちゃいけない。
「今の俺じゃ白鳥沢に勝てないのに余裕なんかある訳ない! 俺は勝って全国に行きたいんだ勝つ為に俺はもっと――!」
「俺が俺がってウルセエエエ!」
「ンガーッ!?」
吐き出すだけ吐き出してやろうかと思ったら岩ちゃんの頭突きを顔面にモロに食らった。それからてめえ一人で戦ってるつもりが冗談じゃねえと胸ぐらを掴まれて、ガンガン怒鳴られた。
「てめーの出来がチームの出来だなんて思い上がってんならぶん殴るぞ!」
「もう殴ってるよ!」
「一対一で牛島に勝てる奴なんか北一には居ねえよ! けどバレーはコートに六人だべや!」
相手が天才一年だろうが牛島だろうが、六人で強い方が強いんだろうがボゲが!
「――……六人で強い方が強い」
岩ちゃんの言葉に俺が思わず笑いを堪え切れなくて静かに笑ってると、強く頭突き過ぎたかと変な心配をしてきた岩ちゃんに俺は口角が上がるのが分かった。
「はあー……うん、何かなんだろな、これ」
「はあ?」
「俄然無敵な気分」
悪口ボゲしか言えないのって軽口を叩けば真顔で右からも鼻血出してやろうかって言われて、それは勘弁と笑った。片付けは岩ちゃんがしてくれるらしいから俺は取り敢えず体育館外の水道に顔を洗いに出ようとドアを開けて外に出ると、其処には困り顔の鶫ちゃんが立っていた。
「え」
「あ、えと……お疲れ様です」
どうやらさっきの怒鳴り声を聞いてたらしい。ちょっとだけ居心地が悪そうに視線を泳がせている鶫ちゃんに別に良いよと笑えば鶫ちゃんはほっとした顔をして、それから優しく目尻を下げた。
「私、改めて及川先輩と岩泉先輩が素敵な選手だと思いました」
「え?」
「どちらも、お互いがお互いに仲間を思いやっての言葉でしたから。及川先輩は仲間と一緒に全国へ行く為に自分を磨こうとしていて、岩泉先輩は同じ仲間である及川先輩を気にかけてああいうことを言ってくれて。――とても、尊敬します」
「……鶫ちゃん」
「私、そんな先輩たちのような選手になりたいです」
そう言って笑った鶫ちゃんの言葉が、凄く耳に残った。
「……俺たちのような選手に、か」
外で及川が誰かと喋ってる声が聞こえて覗いてみれば、其処には舞雛が居た。圧倒的な才能と異名に恥じない技術力を持つ女子バレー部の新星、期待のルーキー。それに驕る事なく練習に励むアイツの言葉が、嬉しかった。
「舞雛に負けねえようにしねえとな」
――それから数ヶ月後、中学最後の試合。対白鳥沢中等部。
初めて1セットを獲った。
結果は白鳥沢に次いで二位。その大会で及川はベストセッター賞を獲得した。
「この賞は北一のスパイカーが一番力を発揮してたって証拠だ!」
「それでも牛島は更にその上かよ。クッソ……」
「まあまあ。――今度行ったら」
今度こそ白鳥沢凹ましてやる……!
「――当然だ」
「そして飛雄ちゃん! お前がこの先どう進むのか知らないけど、何時か戦う時はぶっ潰してやるから覚悟しなよ」
「キメ台詞は鼻かんでから言えよ」
「ティッシュ使いますか」
「うるさいっ」
――続いて第二位の表彰を行います
北川第一中学校
「――お前が凹ましたい相手その二が目の前だ」
「?」
「それから一緒に戦いてえマネージャーもアイツと一緒だ」
――鶫ちゃんと一緒に戦いたいのは、何だかんだで岩ちゃんも一緒か。
「思いっきりで良いぞ」
「わかってるよ」
その為にも、まずは目の前の敵を叩く。
及川はボールを宙に放るとレフト側にサーブを打ち込んだ。ややカーブを描いてサイドラインのギリギリをついたサーブ、その近くに居たのは――。
「西谷アアアアア!」
大きな音を立ててそのサーブを拾ったものの直接青葉城西側へとボールが返っていく。しかしそのサーブに西谷は思わず笑みを浮かべた。
――このサーブミスったら2セット目落とすのに、なんつーサーブだ。すげえコイツ。
青葉城西のチャンスボール。レシーブが綺麗にセッターに返ったことで決定率が高いのはセンターからの攻撃。それを読んで月島がブロックに動こうとしたところを影山が彼の背中を引っ張る事で留めた。
「!」
レシーブが綺麗に返ってる。確かに決定率が高いのはセンターからの攻撃だろう。
俺だったらそうする。――でも。
追い込まれたこの場面、及川さんは――岩泉さんに上げる。
「!」
影山の読み通り及川のトスは岩泉に上がり、ブロックは影山と月島の二枚。岩泉が振り抜いたスパイクは影山と月島が阻み、相手コートにボールを叩き付けた。
「うおっしゃあああああ!」
23-25で第二セットは烏野が獲り返した。それに烏野側は歓喜の声を上げていて、客席ではまさか獲り返すとはと驚きの声が上がっている。その中で岩泉は悔しげに頭を掻きむしる。
「くっそがあああスマン!」
「ははは」
悔しげな岩泉に及川が笑うと、何笑ってんだぶん殴るぞと岩泉は噛み付いた。それに直ぐに殴るって言うの止めなよと及川は言うが顔はそちらには向けず、岩泉はそれを疑問に思いながらもおめーにしか言わねえし殴んねーよと叫んだ。
「――今のは、センターからの速攻がベターな攻撃だった」
「あ?」
「でも恐らく飛雄は今、俺がレフトに上げると読んでいた」
この意味、分かる?
「今までみたいに機械的に考えるだけじゃなく、終盤でこっちの劣勢っていう状況、岩ちゃんと俺の超絶信頼関係」
「あってたまるか、そんなもの」
「そういう総合的な判断をしてきたってこと……」
そして及川が顔を向けた先には影山に声をかけている菅原の姿があった。
「あの爽やかくんは飛雄に何を教えた」
あの飛雄が何かを学んで、そして――。
「飛雄くん!」
「鶫」
「最後の攻撃、ちゃんと読めていて良かったと思うわ。……言ったことをちゃんと分かってくれていて良かった」
「……分かるに決まってんだろ。今ならちゃんと分かる」
鶫ちゃんの本当に言いたいことを聞こうとしている。
鶫ちゃんが心を痛めていた原因のひとつが、なくなろうとしている。
「ただの独裁の王様がマトモな王様になろうとしてる」
なんだこれ。
「すごいムシャクシャしてんのに、この感じ……!」
「っ!」
及川の闘争心にいち早く気付いた鶫が青葉城西側に顔を向けると、ひと呼吸置いてそれに気付いた烏野の面々もそちらに顔を向ける。其処には及川を始めとした青葉城西の面々の姿、闘志に満ち溢れた及川のそれは肌を刺すように空気を震わせている。
――はやく
「早くやろう、最終セット!」