保護対象の認定条件
エンジン音が低く唸り、車がゆっくりと発進する。
運転席はハンク。
助手席にコナー。
私は後部座席に座らされ、いつの間にかドアは内側からロックされていた。
……あ、これ完全に“保護対象”だ。
ラボの白い光から離れたせいか、車内はやけに暗く、暖房の風が足元に回ってくる。
その温度だけで、体の奥がふっと緩み、早々に思考が溶けていくのが分かった。
走り出して数分。
静寂を破るように、助手席から落ち着いた声がする。
「主任、あなたの健康状態について、改めて報告があります」
「……ん?」
視線を上げると、コナーはこちらを真っ直ぐ見ながら、静かに告げた。
「まず、睡眠時間。ここ一週間の平均は──2時間18分です」
「……それは……ちょっと、忙しかったから」
「“ちょっと”で処理できる数値ではありません」
即座に切り捨てられる。
声色はいつも通り淡々としているのに、その内容は容赦がない。
「そして昨日あなたが口にした“食事”ですが……プロテインバー1本、その前はエナジードリンク1本。これは『食事』として分類できません」
そう言って、コナーはわずかに眉を下げた。
運転席から、ハンクの視線がバックミラー越しに刺さる。
「嬢ちゃん……お前、それでよく生きてるな」
「……まぁ、生存率は、問題なかったから」
言った瞬間、運転席の空気がぴり、と張りつめた。
コナーの眉がぴくりと動き、ハンクの口元がへの字に歪む。
——あ、これ、怒らせたかも。
いや、怒らせたというより……まずいことを言った気がする。
ぼんやりした頭で、逆鱗に触れた、という言葉が浮かぶ。
ちゃんと考えなきゃ、と思うのに、意識は半分ほど沈みかけていた。
「……“生存”と“生活”は、同義ではありません」
「…………うん」
図星を突かれ、何か言い返そうとしたはずなのに、言葉が形になる前にほどけていく。
代わりに、まぶたの重さだけがはっきりと意識に残った。
しばらくして、ハンクが前を向いたままぽつりと続ける。
「……なぁ。今までも、こんな生活してたのか?」
一瞬、言葉に詰まった。
視線を落とし、ほんの一拍だけ迷ってから、息を吐く。
そしてそのまま、少しだけ声を落とす。
「……ううん。つい最近まで、シオンが居たから」
その名前に、助手席の気配が変わる。
「……“シオン”? 」
食いつくように、コナーが首をかしげた。
「うん……S10N。プロジェクトの時に、私についてた子。生活の……いろいろ?を見てくれてたから……まあ、人並み、だった……はず」
言い終える前に、コナーが検索しているのが分かった。
処理。
照合。
確認完了。
それらを数秒で終わらせたであろうコナーが、じっとこちらを見つめる。
「……主任」
声音が、わずかに低くなった。
「S10Nは“お世話ロボット”ではありません。彼は政府仕様のSクラス精密判断モデルです。なぜ彼が派遣されたのですか?」
「……あー……それは、その……」
歯切れが悪くなる私をよそに、コナーは容赦なく続ける。
「サイバーライフ上層部が、あなたの“生活破綻リスク”を問題視し、『高能力者生活破綻防止』の措置として派遣したからですね?」
沈黙。
運転席から、信じられないものを見るような声が落ちてくる。
「……は? 嬢ちゃん、お前……サイバーライフに“強制的に介護されてた”ってことか?」
「ちが……あれは……その……ただの、サポート、で……」
「主任」
コナーが、低い声で遮った。
「“食べなさい”“寝なさい”“シャワーを浴びてください”と逐一指示されなければ生活できないのは、サポートの範囲を超えています」
「ぅっ……」
正論過ぎて言葉に詰まる。
ハンクは肩をすくめて、乾いた笑いを漏らした。
「そりゃSクラスも出動するわな」
しかし、コナーは一切笑わない。
「主任。あなたは仕事の才能は天才的ですが、生活力は……“並外れて低い”です」
「並外れて、な」
追撃が入る。
それでもコナーは真面目な顔のまま、淡々と続けた。
「シオンが外れた今、あなたの生活は再び“崩壊の危機”です」
「大袈さ……」
そう言い返したつもりだったのに、声が思ったより細くて、自分でも驚いた。
「私は……まだ……」
大丈夫。
そう言い切る前に、言葉がほどける。
ちゃんと起きているはずなのに、首の後ろがじんわりと熱くなって、力が抜けていく。
視界がふわりと揺れて、焦点が合わない。
「主任」
呼ばれて、反射的に返事をする。
「……ん……?」
ちゃんと起きているつもりなのに、まぶたが重い。
開けようと力を入れるほど、逆に引きずられるみたいに落ちていく。
「無理しなくていいです」
すぐそばから聞こえた声は、いつもより低くて、妙に落ち着いていた。
「今日は、もう十分頑張りました」
その一言で、胸の奥に張りついていた何かが、すっと緩んだ気がした。
気づけば、身体がシートに預けられている。
「……まだ……話、途中……」
そう言いながら、自分でも分かるくらい、意識が遠のいていく。
前の席から、小さく息を吐く音がした。
「……まったく。こういう時まで、意地張るな」
呆れたような声。
でも、不思議と嫌な感じはしなかった。
「……寝てな。起きたら着いてる」
ぶっきらぼうな言葉とは違って、車の揺れが意図したみたいに穏やかになる。
その変化に気づいた時、抵抗する気力が底をつき、
───ただ暖かさに包まれながら、私は静かに意識を手放した。
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