真夜中の強制連行
「…………は?」
先に声を出したのは、ハンクだった。
完全に思考が一拍遅れている声音。
「今、なんて?」
「だから……家、ないけど?」
コナーが、ゆっくりこちらを見る。
まるで聞き間違いであってほしい、とでも言うみたいに。
「……定義を確認させてください。 “ない”というのは、一時的な不在ですか? それとも――居住可能な拠点が存在しない、という意味でしょうか」
「後者かな」
その答えに、ハンクは何も言わず額を押さえた。
視線は天井へ。
数秒、完全な沈黙が落ちる。
「……お前、どこで寝てた」
「ラボ」
ハンクの視線が、ゆっくりとコナーに向く。
コナーは何も言わず、ほんのわずかに首を横に振った。
「……あー……」
深く、長いため息。
「ここに来る前まで、どうしてたんだよ」
「……えっと、サイバーライフにいた頃はちゃんと家はあったよ? でも辞めたから、日本に帰ろうとしてて……」
二人の視線が、微妙に鋭くなる。
「だから家はもう引き払ってて、 空港に向かってる途中で、ファウラー警部から連絡があったから…… そのままラボで……」
話しながら、「あ、これ普通じゃないな」と今さら思う。
段々小声になっていく私を見て、ハンクが眉間に深い皺を刻んだ。
「……とんだお人好しだな?」
ため息混じりの、どうしようもないものを見るような声音。
慌てて片手を振る。
「いやいや、ホテル代を浮かすためにラボにいたようなものだし、 お人好しでは……」
「ホテル代は“必要経費”で落ちるだろ」
「…………あ」
頭の上で、小さな電球が弾けた気がした。
経費。
言われてみれば当たり前なのに、そんな簡単なことすら思いつかなかった。
徹夜続きで、頭がちゃんと回ってなかったんだなと思いながら横を見ると、 コナーがハンクに視線を送っていた。
一秒にも満たないアイコンタクト。
その短い沈黙の中で、二人の間に“合意”が成立したのが分かった。
……ろくな相談ではなさそうだ。
予想は当たり、主導権はすでにハンクの手にあった。
「今日は俺んとこ来い」
「え? ちょ、ちょっと待って?」
「風呂もベッドもある。 少なくとも、ラボよりは人間向けだ」
ハンクの説明に続き、コナーが一歩、静かに前へ出る。
「合理的判断です」
こっちも即答だった。
「現状、主任の生活環境は健康管理上、明確に問題があります。 今夜は休息を最優先すべきです」
二方向からの正論が、逃げ道を完全に塞ぐ。
「……二人とも、私に選択権は?」
ハンクとコナーが、一瞬だけ視線を交わした。
次の瞬間、ハンクが肩をすくめる。
「ある」
断言だった。
「今すぐ素直に来るか、 説得されながら来るかだ」
アメリカ特有の皮肉が効いた答えに、一瞬、言葉を失う。
それでも反射的に口が動き───
「でも……」
「でもじゃねぇ」
被せるように言われて、続くはずだった言葉が喉の奥で止まる。
その沈黙を縫うように、コナーがそっと一歩、私の前へ進み出た。
深夜のラボの光に照らされたその表情は、驚くほど穏やかで―― その優しさが、かえって逃げ道を塞いでいく。
「主任。あなたの疲労度は危険域です。 ホテルではなく、安心できる場所で休息を取るべきです」
「……コナーまでそんなこと言う?」
「あなたは今日の作業中に二度、立ちくらみの兆候を見せました。 もういつ倒れてもおかしくありません」
一体いつから見ていたのか。
淡々と告げられる事実に、図星すぎて言い返せずに視線を落とすと、 ハンクが大きく息を吐く。
「早めに観念した方が身のためだぞ」
二対一。
反論の余地など、最初からなかったのかもしれない。
諦めの境地でコクンと小さく頷くと、 「決まりだな」とハンクに肩を掴まれる。
痛みはない。
ただ、逃がさない強い意志だけが伝わってきた。
コナーは反対側に立ち、私の歩調に合わせて並ぶ。
壁と壁の間に閉じ込められたような、逃げ道のない包囲網。
「ねぇ、私、なんか犯罪者みたいじゃない?」
「犯罪者は迎えに来ねぇよ」
ハンクは当然のように断言し、コナーもそれに同意するように頷いた。
なんでこの二人、こんなところで妙に連携がいいの。
息ぴったりすぎて、逆に怖い。
「……わかった。今日は、お世話になります」
――これ以上、言葉を重ねても無駄だろう。
そう判断して、私は胸の前で両手を小さく上げた。
するとハンクが、聞き逃せないと言わんばかりに眉を跳ね上げる。
「“今日は”じゃねぇ。しばらくだ」
「え、しばらく!?」
「修理が全部終わるまで寝る場所が必要だろ」
……正論。
正論なんだけど、なんだろうこの“逃がさねぇぞ”感。
「いや、必要経費で落ちるならホテルで――」
「却下」
即答だった。
間も、迷いも、一切なし。
「……えっと、何で?」
疑問を投げると、ハンクは一瞬だけこちらを見て、短く息を吐く。
「どうせ面倒になって、ラボで寝泊まりするだろ」
……ぅぐ。
あまりにも的確で、返す言葉が見つからない。
会ってまだ一週間なのに。
どうしてここまで見抜かれているんだろう……。
横を見ると、コナーが無表情のまま、こくりと頷いている。
(ちょっと、そこ頷くところじゃないから)
私が黙り込んでいると、コナーがほんのわずかに口元を緩めた。
「では、帰りましょう」
そう言って、コナーが自然に歩き出す。
こうして私は、抵抗する理由をすべて手放したまま、半ば強引に、でも確実に守られる形で、ハンクの家へ向かうことになった。
――この時、私はまだ知らない。
今夜が、「帰る」夜じゃなくて、「迎え入れられる」夜になることを。
.
ALICE+