3秒後の未来

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「さらば、俺の楽園」
 その言葉が、そう言った彼の姿が、私の心を抉った。気がつけば、私は涙を流していた。
――あぁ、このひとの楽園は終わってしまったのか。
 それが酷く悲しく、切なかった。なぜこのひとから楽園を奪うのか。それが悲しくて切なくて、涙はとめどなく流れた。
 そして、なぜこんなにもその事が心を抉るのかを知った。
 私はこの日、このひとに恋をした。

「あれー、ナマエちゃんじゃーん! ひさしぶりー! 元気してた?」
 大して久しぶりでもないのに陽気にそう言ったこのひとは、私の一つ上の先輩だ。
「大して久しぶりでもないじゃないですか」
 私が思ったままを口にすると、天童先輩は「えーナマエちゃんつめたーい」と拗ねたように口を尖らせた。
「この間までは毎日顔をあわせてたんだから久しぶりでショ?」
 そう、毎日を合わせていた。大げさに言っているのでもなんでもなく事実だった。彼は選手として、私はマネージャーとしてバレー部に所属していた。
 しかし、その毎日は終わってしまったのだ。十月二十八日に。この毎日にもいつか終わりが来るとわかっていた。けれどもそれは、その日ではなかったはずだ。もう十一月も終わるというのに、私はまだ三年生がバレー部に来ないという状況に慣れない。校内ではこうして三年生と話すことはあるのに、部活にだけもうこの人達はいないのだ。
「例え久しぶりでも、そんなこと考える暇もないくらい忙しいです」
「ナマエちゃんほんとつめたいなー!」
 天童先輩はますます拗ねたようだが、半分は本当だ。
 三年生が引退してしまってから部は忙しい。環境が新しくなるのだから当然だ。部員を纏める主将も、試合に出るメンバーも、すべてが変わっていく。
 しかし「考える暇もなかった」というのは嘘。
――毎日考えてる、先輩のこと。
「ちょっとは淋しかったんじゃなーい?」
 くりんと大きな眼が見透かすように私を映すが、私はそれから逃げたくて一礼した。
「お昼休み終わっちゃうんで、行きますね。失礼します」
 お辞儀と一緒にそれだけ言うと踵を返す。我ながら可愛くない。でも、どうしたらいいのかわからないのだ。
――持て余してるなぁ……。
 あの日知った、恋心。素直になれない恋心。

 部活が終わり選手が一人また一人と帰っていく中、私はそれを見送っていた。選手が部室を使い終えた後、そこを清掃するのもマネージャーの務めだからだ。
 誰もいなくなった部室の窓を細く開け、外の空気を入れつつ床にモップをかける。テーブルを磨き、椅子を綺麗に並べる。そしてその内のひとつに腰かけると、何冊かのノートを机に並べる。それは部費の帳簿だったり、スコア帳だったり、練習メニュー表だったりした。これを記録しまとめるのもまたマネージャーの務めだ。もう月末だから帳簿の締め作業など、今日はやる事が多い。
 黙々と作業を進めるが、その手がふと止まる。一人ふぅっと息を吐くと、嫌な光景が蘇る。
 十月二十八日。
 続くラリー。
 相手選手のスパイク。
 ボールが落ちる音。
 試合終了のホイッスル。
――さらば、俺の楽園
 じわりと熱いものが瞳を覆う。
 あのひとは、泣かなかったのに。いや、私にはそれがつらかったのかもしれない。
 なぜ泣かないの、なぜ怒らないの、あなたの楽園は奪われてしまったのに。なぜもっと駄々をこねないの、なぜこんなに、簡単に去っていくの。
 いつも、見透かしたような眼をしていた。全部わかっているような。でも、まさか白鳥沢が敗北するなんてことはあのひとにもわからなかったはずだ。突如として奪われたはずだ。
 けれどあのひとは泣かなかった。私は泣いた。だから、素直になれないのかもしれない。
「……さらば、おれのらくえん……」
 小さく呟いた時、後ろで扉の開く音がした。
「あれー、ナマエちゃんじゃーん! ひさしぶりー!」
 驚いて振り返ると、そこにはお昼に会った時と変わらぬ台詞を口にする天童先輩が立っていた。
「先輩……。何か、御用でしたか? あと、今日のお昼に会ったばかりです」
「いーのいーの。俺にとっては久しぶりだもーん」
 足取り軽く入ってきた先輩は、私の隣の椅子に腰かけた。
「あの、何の御用で……」
「んー?」
 気のなさそうな、返事とも相槌ともとれない声を発してから、天童先輩の大きな眼は私を捉えた。
「ナマエちゃんが、泣いてるんじゃないかと思って」
 大きなその眼は、まるで私の中身を見透かすように細められる。
 私はこの眼がきらい。きらいで、すき。
「泣いて、ないですから」
 負けたくなくて眼を逸らさずに言った私に、その眼はいっそう細められ、口元は楽しそうに弧を描く。まるでそれすらも、すべて見透かしていたかのように。
「そぉーお?」
 その意地悪な表情に、私の心臓はどきりとする。素直じゃない私の恋心は、それが面白くない。
 これ以上言葉を続けても、それもまた天童先輩が思い描いた未来になる気がして口を噤む。そして手元のノートに視線を落とすと、中断していた作業を再開させた。
 黙々と作業を始めた私に、天童先輩は返事を必要としているんだかどうかも分からない話を絶えず口にしていた。ただそれだけのこと。ただそれだけのことなのに、天童先輩のいる左側だけが熱いような錯覚に陥る。

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