僕の憂鬱と甘い香り

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 テスト前は地獄だ。
 部活は少し早めに切り上げられるし、その後は部室で勉強を見てもらわなきゃいけないし、月島の教え方は腹立つし、しかも今回のテストで赤点を取ったら合宿に行けないときた。
 いいことなんて何一つ無い期間、それがテスト前だ。
「はぁー……」
「ため息とはいい度胸だね。ため息つきたいのはこっちなんだけど」
「だってさぁー……」
 月島が忌々しげにこちらを見下ろしているが、部室での勉強会も今日で一週間。ため息も出るというものだ。もともと勉強は得意じゃない。
「なに? 口ごたえ? だっても何もないよ。まぁ、君が赤点取ろうが僕はどうでもいいけどね。勉強する気がないなら僕もう帰りたいんだけど」
「くっ……やります……」
 ここで月島に帰られては困る。合宿がかかっているのだ。やりたくなくてもやるしかない。
 のろのろと鞄から勉強道具を取り出す。出そうとして、気が付いた。
「あ、教室にノート忘れた」
「ほんっといい度胸だね! 腹立つ! ほんと帰りたいんだけど!」
「す、すみません! すぐ取ってきますので! かっ帰らないで!」
 慌てて立ち上がり、靴をつっかける。
 全速力で部室棟を出て校舎内も駆け足だが、どうか今だけ許してください、これ以上月島を怒らせる訳にはいかないんです。
 教室に駆け込みノートをひっつかむと、大急ぎでUターン。
 階段の残り数段を一気に飛び降りて廊下を駆けだす。
 すると、ふと良い匂いがした気がして思わず足を止めた。
 なんだろう、甘くて美味しそうな……。
 少しだけ廊下を戻り顔を上げると、そこには「家庭科室」の文字。
 気になって開いていた扉から顔を覗かせると、中にいた女の子と目が合った。
「あ、日向くん。誰がすごい勢いで走って行ったのかと思ったら」
「うぇ、あ、あの」
 にっこりと笑いかけられ、思わず狼狽える。そうだ、この子同じクラスのミョウジさんだ、あんまり話したことはないけれど。
 狼狽える俺を見て小さく笑う様子がなんだか可愛くて、緊張が増す。言葉がうまく出てこない。
「わ、忘れ物をとりに、その、そしたらなんか良い匂いがしてて、したから、えっと、何かなって」
「あ、今マフィン焼いてたの。家庭科部の部活で」
「そ、そうで、そうなんですか」
「ねぇ、良かったら食べていかない?」
「え、でも」
「嫌じゃなかったらだけど。味の感想聞かせてくれたら助かるな」
 そんな風に言われて、断れるはずがなかった。女の子から手作りお菓子の試食のお誘いなんて。それに、ちょうど小腹も空いている。
「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えまして……」
「ふふ、なんで敬語なの。おんなじクラスなのに」
 彼女はまた小さく笑う。
 家庭科室に入ると、ミョウジさんの他に四人の部員がいて、ミョウジさんが紹介してくれた。三年生が二人と、二年生が一人と、一年生がもう一人。もう一人の一年生の子も同じクラスで、知った顔だった。
 部員は全員女の子で、自分はここに入って良かったものかとドキドキしながら椅子に座る。
「あの、家庭科部なんてあったんです、だね」
 あぶないあぶない、また敬語になるところだった。
「うん。バレー部とかと違って水木金の週3しか活動してないけどね。はい、これ私が作った分。プレーンと、オレンジピールと、チョコの3種類」
「ありがとう、いただきます」
「どうぞー」
 まずは気になったオレンジピールとやらから手にとってかじる。
「う、わ……うっまー!」
「ほんと? ありがとう!」
「超おいしい! あ、こっちのチョコのもうまい!」
「良かった、お口に合って」
「いや、ほんと全部おいしいよ!」
「ふふ、そんなに喜んでもらえると嬉しいよね」
 ミョウジさんがそう言うと、部員のみんながにこにこと頷いた。
「部員でレシピ研究して作ってるからね、褒めてもらえるとみんな嬉しいんだよ」
「そうなんだ。すごいなー、こんなの作れちゃうなんて」
「喜んでもらえて良かった。教室に入ってきた時、気まずそうだったから……。誘っちゃ悪かったかなってちょっと心配してたんだ」
 迷惑だったかなって、と言ってミョウジさんが困ったように笑う。
「いや、違うんだ! 女の子ばっかりだったからちょっと緊張して! でも実は小腹空いてたから助かったっていうか!」
「そっか、なら良かった。そういえば、忘れ物ってこのノート?」
「あ、うん。そう……ってやばい! 部室戻らなきゃ! 勉強会の途中だった!」
 思い出してしまった。勉強会を抜けて来たんだった。
 それに、途中もなにも、ノートを忘れたからまだ始めてもいない。
「バレー部、勉強会してるの?」
「今度の合宿、赤点取ると連れてってもらえないんだ……。おれ、勉強苦手だから見てもらってて」
「それは、大変だね……。ごめんね、引き留めちゃって」
「いや、ミョウジさんのせいじゃないから! むしろ美味しいお菓子食べさせてもらえてラッキーだったし!」
「そう? あ、そうだ、残りのマフィン持って行って! 皆さんに私からお詫び。私が無理に引き留めてごめんなさいって伝えて」
「えっそんなの悪いよ! 寄り道したのおれだし!」
「ね、お願い。今、勉強会してる部員て何人?」
 女の子からしょんぼりとした顔で「お願い」なんて言われたら答えない訳にはいかなくて、思わず十二人……と答えてしまった。
「そっか、私の分じゃ足りないから、みんないくつか分けてもらってもいいですか?」
 ミョウジさんがそう言うと部員のみんなは「全然おっけー!」と明るく返し、テキパキとお菓子を袋に詰めていく。
 そこまでしてもらうのは悪い気がして焦るが、みんな「いいのいいの」と言って、その顔は嬉しそうだった。
「あんなに褒めてもらえて嬉しかったからさ」
「ねー。あんな美味しそうに食べてもらえたらね、作り手冥利に尽きるよー」
「また時間ある時に試食に来てよ!」
「食べてくれる人がいると作り甲斐があるもんね」
 みんな口々に言って、最後にミョウジさんがまとめて紙袋に入れてくれた。そしてまた申し訳なさそうに謝る。
「皆さんに私からすみませんって謝ってね。寄り道したのは私が誘ったからで、日向くんのせいじゃないんだから」
「いや、大丈夫だよ!」
 おれが笑って見せると、ミョウジさんもふわりと笑う。
「また、嫌じゃなかったらいつでも食べに来てね」
「ありがとう! じゃあね!」
 お礼を言って、家庭科室を出る。
 走って部室に向かいながら、月島怒ってるかな、と考えて背筋がぞくりとした。
 でも、美味しかったな。
 それに……かわいかったな。
 そんな考えがぼんやりと浮かんではっとした。いやいや、何考えてるんだ。
――いつでも食べに来てね
 そう言ったミョウジさんの笑顔が浮かぶ。
 また、行っても良いんだろうか?
 図々しい?
 社交辞令かな?
 でも、嬉しいって言ってた。
 そんなことをぐるぐると考えてる間に部室についた。
 ついてしまった。

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