僕の主役の日ととろける杏仁

 翌日の昼休みになると、ミョウジさんがレシピ本を持っておれの席までやって来た。
「またリクエスト聞かせてもらってもいい?」
 そう言ったミョウジさんに「またおれが選んでいいの?」となんてことない風な返事をしたが、本当はずっと期待してそわそわしていた。ついさっき、友人に「また情緒不安定か?」と言われてしまったところだ。
 ミョウジさんはおれの前の席から楽しそうにレシピ本を覗き込んでいる。おれがページをめくるとミョウジさんの視線も動く。ページをめくる、それを黒い瞳が追う、めくる、追う、めくる、追う、めくる、追う。
「どう? 決まった?」
「えっ! と、まだかな。どれも美味しそうで!」
 咄嗟に笑って誤魔化して、恥ずかしさを振り払うように本に目を戻した。
――おれ、また無意識にじっと見てた!?
 なんだか自分が自分じゃないみたいだ。
「どんなのが食べたいとかある? こってりとか、さっぱりとか」
「えっと、さっぱりしたのかな。レアチーズもオレンジゼリーもさっぱりで美味しかったし」
 おれの答えを聞くとミョウジさんがいくつかの本をパラパラとめくる。
「これと、あとこの辺がさっぱり系かな。あと、これも」
「えっ! 杏仁豆腐って作れるの!?」
 杏仁豆腐はお店で食べたり、スーパーやコンビニで買うものだと思っていた。
「作れるよ。結構簡単なの。杏仁豆腐に使う杏仁霜は咳止めの効果があるから、風邪引いた時によく食べるんだ」
「そうなんだ! キョウニンソウ……知らなかった!」
「杏仁豆腐にする? とろとろ濃厚なのが好きならこっちのレシピ、寒天風のが好きならこっちのレシピがおすすめ」
 ミョウジさんが示した二つの写真を見比べる。
「こっち! とろとろのが良い!」
 ミョウジさんは了承すると、とびきりの笑顔で「また放課後にね」と言った。その笑顔にぎゅっと掴まれた心臓が暴れ回るが、不思議と嫌じゃなかった。困るのに嫌じゃないなんておかしいけれど、その二つの気持ちは確かに相反せずここにある。
――なんか、今日は良い日だなぁ。
 ぼんやりとそんな事を思う。天気は良いし、朝の部活も調子が良かったし、先生に質問しに言ったらすごく褒められたし、あぁそういえば、さっきは自販機で当たりが出た。そして極め付けに今の……。
 やっぱり「特別な日」には神様が色々とオマケしてくれるのだろうか。だとしたらありがとう神様。いるかわからない神様に感謝の念を送る。
「あ、日向。これやる」
 友人から手渡されたのは大きな飴玉が三つ。
「ありがとう。でもなんでいきなり飴?」
「さっきアッちゃんに聞いたんだけど、今飴くらいしか持ってねぇから」
「うわ、ありがとう! てゆか、中学から一緒とはいえ覚えててくれるとかアッちゃん流石だな!」
 どうやら今日、神様はオマケの大盤振る舞いらしい。
――感謝の念が届いたのかな。
 おれは上機嫌で飴玉を口に放り込んだ。部活後にはテスト勉強がおれを待ち構えているけれど、それも頑張れるというものだ。

 放課後の部活が終わって、目の前には教科書と今日あった英語の小テスト、あとすごく嫌そうな顔をした月島。
「きみ、これ本気? この二週間勉強して? この点数?」
「なっ、今までにないくらい良い点数なんだぞ! これでも!」
 胸を張って主張するおれに、月島はより一層嫌そうな顔をした。本当に失礼なヤツだ。神様のオマケも月島までは及ばないらしく、その態度もスパルタもいつも通りだ。
「まぁまぁ月島、実際点数は上がってるみたいだしさ」
 菅原さんは普段からこんなに優しいというのに。
――月島クンも見習いたまえ!
 おれの考えている事が分かったのか月島に睨まれる。手近にいた影山を盾にすると「おい、やめろボゲ!」と非難の声が上がるが気にしない。
「お待たせ」
 そこに着替え終わった清水先輩と谷地さんがやって来た。部活後の部室にマネージャーが来るなんて珍しい事だ。
「潔子さん!」
「潔子さんのお陰で今この部室の空気は浄化されました!」
「……」
「ガン無視興奮するっス!」
 女神と崇める清水先輩の登場に田中さんとノヤさんは荒ぶり、そして縁下さんに引きずられながら引きはがされていった。
「じゃあ皆さん、例の物を!」
「え!?」
 菅原さんのいきなりの号令に困惑する。
――例の物?
 あたふたするおれを他所に、みんなが一斉に動き出す。
――えっ!? 何!? 例の物って何!? わかってないのおれだけ!?
 しかし、おれのパニックは次の一瞬で吹き飛ぶことになる。
 ぐちゃぐちゃの思考を吹き飛ばすいくつもの破裂音と、視界を埋め尽くす色とりどりのテープ。
「ハッピーバースデー日向!」
 ああやっぱり、今日の神様は大盤振る舞いだ。
「あ、ありがとうございます! でも、なんで知ってるんですか?」
「先週、みんなが俺の誕生日にTシャツ作ってくれたろ?」
 そう言って笑う菅原さんが着ているTシャツは、誕生日にみんなでプレゼントしたものだ。背中には「不屈のセッター」、前には「烏野のおかん」とプリントされている。
 大地さんが「そういえば来週、スガの誕生日だったな」と呟いた事から菅原さんお誕生日プロジェクトが始まった。部活でも使えるし、西谷さんが印刷屋さんと懇意にしているからという事でオリジナルTシャツを作る事になったのだ。みんなで二百円ずつ出し合ったら結構良いTシャツを選べたので、それは吸水速乾機能付きの優れものである。
「俺もお返しがしたくて、武田先生に部活メンバーの誕生日を調べてもらったんだよね。そんで、いちばん近い誕生日が日向だったってわけ!」
「うわー、ありがとうございます!」
 やっぱり菅原さんは素敵な先輩だ。
「ということで、これはみんなからのプレゼントです!」
 菅原さんから受け取った包みを開けると「小さな巨人」と書かれたTシャツ。
「めっちゃ嬉しいです! 今着ます!」
「今かよ!」
 後ろを向いて手早く着替え、胸を張って振り返る。
「どうですか!?」
「それ後ろ前だぞ!」
「え!?」
 大地さんに言われて慌ててTシャツの向きを直す。腕だけ抜いてくるりとTシャツを回そうとして、違和感を覚えた。
――「小さな巨人」の下に、なんか書いてある?
 首だけが出た状態のままTシャツを手繰り寄せ、それを読み上げる。
「小さな巨人……候補。え、候補……」
「あったりまえだろがボゲ! 小さな巨人に遠く及ばないヘタクソが!」
「影山クンはそんな言い方しか出来ないんですかー!?」
 影山に文句を言いながらTシャツの向きを直すと、前には「6月21日の主役」とプリントされていた。
「ほら見ろ! 今日はおれが主役! 影山クンと月島クンはもっとおれを敬いたまえ!」
「ふざけんな日向ボゲ!」
「馬鹿な事言ってないでさっさと勉強しなよ」
「あれ、今日は仁花ちゃんも清水先輩もこちらにいたんですか?」
 その声に振り向くと、扉の前にミョウジさんが立っていた。影山と月島との言い合いに夢中でノックの音に気が付かなかったらしい。
「ミョウジさん!」
「日向くん。部活お疲れ様」
「清水先輩と谷地さんとも知り合いだったの?」
「うん。仁花ちゃんは中学から一緒なの。仁花ちゃんからマネージャーは勉強会に参加せずに帰宅って聞いてたから、二人には部活後に家庭科室に寄ってもらって、持ち帰り用にラッピングしたお裾分けを渡してたんだ。そこで清水先輩も紹介してもらったの」
 いつも部室にいるメンバーにだけ差し入れをしているものだと思っていたから驚いた。
「そうなんだ。ミョウジさんてマメだよね」
「そんなことないよ! ただ、バレー部は清水先輩と仁花ちゃんも含めてバレー部だと思うから」
 その言葉に、田中さんとノヤさんが感激のあまり涙しながらミョウジさんに詰め寄る。
「よく言ってくれた清楚女子さん!」
「えっ、清楚女子さんて……」
「清楚女子さんの言うとおり、潔子さんあってのバレー部!」
「えっと、あの」
「ナマエちゃん、気にしなくていいから」
 清水先輩が冷たく言い放ち、ミョウジさんを庇うように前に立つ。しかし「冷たいあしらいも最高っス!」と悶える田中さんとノヤさんには何も堪えていないようだった。
 その騒ぎを眺めているとミョウジさんにTシャツの裾を引かれた。
「あの、日向くん」
「え、な、なに?」
「もしかして今日、誕生日なの?」
 ミョウジさんの視線の先には「6月21日の主役」と、クラッカーから放たれた色とりどりのテープ。
「うん。バレー部の皆からこのTシャツもらったんだ」
「そっか……ごめん、私そうとは知らなくて。何にも用意してないや」
「や、そんな! いつも差し入れもらってるし! 今日も! それで充分だよ!」
 しかも、昨日も今日もおれのリクエストだ。もう沢山「嬉しい」をもらっている。
「……そう?」
「うん!」
「そっか、お誕生日おめでとう」
「ありがとう!」
 まさかミョウジさんからもおめでとうと言ってもらえるなんて。今日は神様のオマケをたくさんもらったけれど、このオマケにいちばん心が弾んでいた。こんな気持ちはどうしたらいいかわからなくなるから困るのに、嬉しい。本当に難解で厄介な感覚だ。けど、嫌じゃない。
「これ、今日のお裾分け。杏仁豆腐です」
「ありがとう!」
 ふわふわした気持ちのまま、受け取った差し入れを主将に渡す。
「主将、家庭科部の皆さんから頂きました!」
「おぉ!」
 受け取った大地さんがミョウジさんのもとへ駆け寄る。
「ミョウジさん、いつもありがとう。他の家庭科部の人達にもお礼を伝えてくれるかな。夏富にはクラスで会うけど、他の部員さんにはあまり会える機会が無いから」
「わかりました。みんなに伝えておきます。では、私はこれで。あ、清水先輩と仁花ちゃんの分はいつも通り家庭科室にあるので後で寄ってください」
「私も仁花ちゃんももう帰るから、一緒に家庭科室まで行こう」
 ミョウジさんはこちらに一礼すると、マネージャー二人と部室を出て行った。
「じゃあ、差し入れ頂こうか。みんな一つずつもらっていけー」
「お、今日は杏仁豆腐か」
 菅原さんを皮切りに、続々と部員が群がる。
「杏仁豆腐って作れるんだ」
「あ、それおれも同じこと言った!」
「日向と一緒……最悪……」
「月島はいちいちおれに失礼じゃないかな!?」
 失礼極まりない月島に対する怒りも、手作りの杏仁豆腐を一口食べればどこかへ消えてしまう。まるで口の中で杏仁豆腐がとろけて消えるように。
「うわ、濃厚! とろとろ!」
「俺、寒天みたいなのよりこういうとろとろのが好きなんだよねー」
「濃厚なのにさっぱり!」
「うめー!」
 賞賛の嵐の中で、俺は一人満足感に浸る。
――これも、おれのリクエスト!
 おれだけの特権。それは優越感と言ってもいいかもしれない。つやつやで真っ白で、とろりと広がる甘い優越感。





―――――
あとがき

美味しいのに薬膳料理で咳も止めてくれる杏仁豆腐は最強。(市販の物は杏仁霜ではなくアーモンドエッセンスを使って杏仁豆腐風にしたものも「杏仁豆腐」で売られているので原料名をチェックしよう!)

今回は日向くん誕生日編でしたが、いつもより長くなってしまいました。
日向くんが自分の気持ちを自覚するのはもう少し先。けれどそろそろ。
今後、ヒロインさんは日向以外との絡みも増える予定。
それが誰なのか、気づいていらっしゃる方もいるようです。

2017.05.08
みつ

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