僕の主役の日ととろける杏仁

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「チッ。なんでさっき説明したところが出来ないのカナ? ねぇ? その頭には蟹ミソでも詰まってるの?」
 それが本日何度目の舌打ちだとかは、その数が二十を超えたあたりでカウントをやめた。今日も月島サンの機嫌は最悪なのだ。影山が「蟹ミソは美味い」なんて返しをするから余計に嫌味が増える。しかし月島の嫌味と舌打ちに溺れそうになりながらも、なんとか数学の問題と戦う。
――頑張れ、おれ!
 今日はご褒美が待っているのだから。だって今日は――
 コンコンコン。
 騒がしい部室に、丁寧なノックが三回。
――来た!
「おれ! おれが出ます!」
「ちょっと! キミはその全く進んでない二次不等式解きなよ!」
「なっ……ちょっとは進んでますぅー!」
「はぁあ? どこが?」
 一目散に扉に向かおうとしたおれを月島が嫌味で阻止する。そんなことをしている間に菅原さんが扉を開けてしまった。
「はいはーい。お待たせしました」
「あ、こんにちは。家庭科部からお裾分けに来ました」
 少し緊張した面持ちでミョウジさんが笑う。その後ろでは、もう一人の家庭科部の子が小さく会釈をした。
「お、今日は二人なんだね。どうぞ、入って」
「ありがとうございます。今日はホールケーキを二台持ってきたので、運ぶのを手伝ってもらいました」
「ホールケーキ! すごいね!」
 そう、今日はまぁるいケーキだ。おれは知っている。その上には真っ赤なサクランボが乗っていることも。
「あ、それ持つよ。おーい田中もそっちの子の持ってあげて」
「うっす!」
「ありがとうございます」
「こちらこそ差し入れありがとう」
 菅原さんの言葉に全員が「あザーッス!」と続く。ミョウジさんは前回で耐性があったけれど、初めて体育会系のお礼を間近で聞いただろうもう一人の子はすごくビックリしていた。けれどすぐ、前回のミョウジさんと同じように嬉しそうに笑う。その様子を見ていたらミョウジさんと目が合って、彼女がいつもみたいに微笑んだ。そしておれも笑顔を返す。前回はどぎまぎするばかりだったから、ちょっとした達成感。
「これ、紙皿とフォークです。ケーキはもうカットしてありますので」
「おー! 気が利くねぇ!」
 目の前で菅原さんが感嘆の声を上げたと同時に、後ろからは歓声が上がった。
「すっげー! 超キレイ!」
「あっ、お前らもう開けてるのかよ!」
 菅原さんは呆れたように声を上げたが「超キレイ」なケーキが気になるようで、それを囲む輪に加わる。おれも歓声につられてケーキを覗き見れば、写真と同じ姿のケーキがそこにあった。
――うわ、すごい!
 いや、写真よりずっと鮮やかだ。真っ白でつやつやしたレアチーズの上には、真っ赤できらきらしたチェリーがぎゅっと敷き詰められていて、まるで宝石みたいだった。
「どうやって取り分ける?」
 旭さんの問いに、大地さんが菅原さんからフォークを受け取る。
「こう、フォークを下に……」
「大地、なんか崩れそうだぞ」
「大地は意外に不器用だからなぁ」
「あ、あの!」
 危なっかしいおれ達を見かねてか、ミョウジさんから声がかかった。
「サーバーも、フォークと紙皿の袋に入れてありますので、それを使った方が取りやすいかと……」
「サーバー?」
 みんな「サーバー」とやらにピンとこない様子だ。
「……これのことじゃないですか?」
 月島が袋から取り出したのは柄の先が三角形の板になっている道具。
「ケーキバイキングとかで見るやつだ! さすがツッキー!」
「うるさい山口……」
「ごめんツッキー!」
「あの、良かったら私達が取り分けましょうか? 慣れてるので」
 ミョウジさんの申し出に、ケーキを崩しそうになっていた大地さんの顔がパッと明るくなる。
「悪いけど、お願いしていいかな?」
「はい。お邪魔します」
 ミョウジさんともう一人の家庭科部の子が畳にちょこんと座る。そして家庭科部の女の子二人とケーキを、ぐるりと取り囲む体育会系男子達。はたから見たら異様な光景だったかもしれない。
 ちょうどおれの隣に座ったミョウジさんから甘い匂いが香る。
――あ、いい匂い。
 それはさっきまでお菓子を作っていたからかもしれない。それとも「女の子」ってみんなこんな感じだろうか。
――白くて、甘くて、睫毛が長くて……。
 ふいに腕を小突かれ、我に返る。隣を見ると縁下さんが呆れた顔をしていた。
「日向、見過ぎ」
「え!?」
 小声で指摘され、自分の顔が熱くなるのが分かった。
――そ、そんなつもりじゃ! そんなに見てた!?
 ぐるぐる考えていると、また縁下さんから声がかかる。
「ほら日向、近くにいる人から順にケーキ受け取れってさ」
 言われて、家庭科部二人の手元に視線を移す。今まさに取り分けようというところだった。
 隣の子が紙皿とフォークを持ってスタンバイすると、ミョウジさんがサーバーとやらを器用にケーキの下へ滑り込ませる。そして流れるような動作でケーキを紙皿の上まで運ぶと隣の子がケーキの背にフォークを当て、ミョウジさんがするりとサーバーを抜く。
「おぉー! 鮮やか!」
「スゲー!」
「早い! キレイ!」
「器用だなぁ!」
「二人のコンビネーションが熟練の域……!」
 二人の見事な手際に、部員からは口々に賞賛の声が上がった。
「そんな、部活で慣れてるだけですよ。ね?」
「うん」
 二人は照れたように笑って顔を見合わせる。その後も二人は手際よくケーキを取り分け、すぐにケーキが行き渡った。そして全員で家庭科部の二人に向き直り、手を合わせる。
「いただきます!」
 すぐに宝石みたいなケーキを口に含む。レアチーズの爽やかな酸味と、滑らかな口当たり。とろみのあるサクランボのコンポートは果実がごろごろしていて、噛めばじゅわりと甘さが広がる。
「おいしー!」
「やばい! はまる!」
「サクランボってこんなにうまかったっけ!?」
――そうだろう、そうだろう。美味しかろう。
 部室内のあちこちから上がる賛辞に、ただリクエストをしただけのおれも誇らしい気持ちになる。「ふふん」と得意げになっているとミョウジさんと目が合ってしまった。ミョウジさんが悪戯っぽく笑う。その笑顔に心臓を掴まれて、思わず勢いよく顔を逸らした。
 たまにこういう表情を見せるから、おれは困るのだ。どうしたらいいのか、わからなくなるから。

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