夏の夜空に青天の霹靂

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「はい、そこまで」
 教師がそう言うと、教室のあちこちから失意とも安堵つかないため息が漏れる。
 一学期の期末テスト四日目、最終科目。
 結果やその出来はともかくとして、今、この時間をもって生徒たちは重苦しいテスト期間の空気から解放されたのだ。
「黒尾、どうだった?」
 ナマエが伸びをしながら後ろの席に問いかけると、同じく伸びをしていた黒尾がへらりと笑いながら答える。
「んー、まあまあ? ミョウジは?」
「私もまあまあかな」
「いや、お前のまあまあは信用ならないね。そんな事言っていっつも一人だけ上位に入っちゃってさ」
「信用ならないとは失礼な! でもそりゃあ、私は黒尾とかやっくんと違って部活やってないからね。きみ達が部活に精を出している間、私は机に向かっている訳で、それできみ達より悪い成績取らないでしょ」
 黒尾に非難じみた視線を向けられたナマエは「だから抜け駆けしたみたいな言い方しないでよね」とそれを躱す。
 そこに、早くも鞄を肩にかけた夜久が近づいて来た。
「二人とも、どうだった?」
「俺はまあまあ」
「私もまあまあ」
「いや、ミョウジのまあまあは信用ならないね!」
「うわ、やっくんまでそんな事言う」
 ナマエは不満そうにうなだれるが、すぐに「ま、いいや」と気を取り直した。そんな事より、気になっている事があるからだ。
「ね、次の練習試合っていつ?」
「練習試合っていうか、梟谷で合宿だな」
「合宿ぅ? それじゃ見に行けないじゃん……」
「残念ながらね」
 黒尾の返答にナマエは今度こそ不満をあらわにした。
 ナマエはバレー部の試合となれば、それが公式だろうが練習だろうが時間の許す限り応援に行っていた。二年生の時に黒尾と仲良くなってからずっとだ。
 バレー観戦は、もうナマエの趣味と言ってよかった。
「じゃあ、またしばらく黒尾のバレーする姿は見られないのか……」
「はいはい、いつもの事だけどイチャつくのやめてね、お二人さん」
 残念そうに眉を下げるナマエに夜久は呆れ顔で言って、そう言われたナマエは「そんなんじゃないってば」と笑う。黒尾はというと、特に何も言わずに荷物をまとめていた。
「だって、黒尾のプレーすきなんだもん。飄々としてて、それでいてブロックに飛ぶ時の迫力! もうそれがカッコよくて! スパイクだってここぞというところでそつなく決めて……」
「あーもうはいはい、黒尾、行くぞ」
 いくら言いつのられても、夜久にはただの惚気にしか聞こえないのだ。これ以上聞かされては堪らないと黒尾を急かす。
「おー、行くか。じゃあな、ミョウジ」
「この暑いのに大変だねぇ。いってらっしゃーい」
 ひらひらと手を振るナマエに見送られ、二人は教室を後にした。

「何黙って見てるんだよ!」
 教室を後にしてすぐ、黒尾は軽い蹴りと共に夜久からそんな言葉を頂戴した。
「いたっ! やっくん痛い!」
「なんなんだよ! 褒め殺しにされて我関せずかよ! 惚気られるこっちの身にもなれよ!」
「何って言われてもね。てゆか惚気じゃないし……そもそも付き合ってないし。ミョウジは二年の時からあんな感じなのに今更どういうリアクションしろと?」
「何で付き合ってないんだよ! むしろ早くくっつけよ! あんだけ好き好き言われといてよ! 余裕かよ! 見せつけかよ!」
「やっくんこわーい。短気ー」
 おどけて返すが、黒尾自身、本当にわからないのだ。二年の時からあんな風に言われ、言われ続け、今更どんな顔をすればいいのか。
 始まりは二年生の春、音駒で行われた練習試合だった。
 当時の三年生の彼女が友達を連れて応援に来ていて、その友達がナマエだったのだ。
 試合後、各々の片付けも終わったあたりでナマエは駆けてきて、興奮冷めやらぬ様子で黒尾に話しかけてきた。
――すごかった! ほんとすごかった! あぁごめん、私、同じクラスのミョウジなんだけどわわかるかな? えぇと、黒尾くんだよね? とにかく、すっごくカッコよかった! バレーボールってあんなに迫力あるんだね!
 頬を上気させながら一気に喋り出したナマエに黒尾は面食らって、でも、自分のプレーが褒められた事は素直に嬉しかったのを覚えている。
 それからというものの、ナマエは試合がある度に応援にやって来ては、帰りに黒尾のどこがかっこ良かっただとか、どのプレーがすごかっただとかを黒尾自身に語るのだった。
 最初は少し照れたりもした。けれど、一年間も言われ続けたらも照れるも何もない。
 何故あれだけ好意を前面に出されて付き合ってないのかと言われても、それも黒尾にはわからない。
 決して、ナマエの事が嫌いな訳ではない。むしろ好きだと思っている。
 ナマエは可愛いし、可愛い女の子から褒められて黒尾も満更でもなかったのだ。
 しかし、二人の仲が一年間変わらずに今に至るのは何故だろうか。
――強いて言えばタイミングを逃した?
 考えて、そうかもしれない、と思った。
 あんな風に、女の子からあからさまな好意を伝えられた事などないから、どうしたらいいかわからなくて、わからなくなっている内にタイミングを逃したのかもしれない、と。
――ミョウジが彼女かー。
 そう考えた時、夜久が扉を開ける音に我に返る。黒尾がぼんやりとしているうちに部室に着いたようだった。
「おーっす!」
 部室に入ってくるなり不機嫌な夜久の声に、中にいた犬岡とリエーフが騒がしく集まってくる。
「夜久さんどうしたんっすか?」
「なんか怒ってます?」
「またリエーフが怒らせたんすか?」
「またってなんだよ!」
「だってこの前もレシーブ練脱走して怒らせてたから」
「なんでもねーよ。あと、リエーフは今日も俺とレシーブ練だからな」
「えぇー!」
「えーじゃない。あ、海! おす!」
 部室の奥に海を見つけた夜久が一年生の騒がしさから逃げる。
「お疲れ。なに? また黒尾とミョウジ?」
「さっすが海! よくわかってるな!」
 夜久に逃げられた一年生が、今度は黒尾に「ミョウジって誰っすか?」とまとわりつく。
「あーもー、暑苦しいからじっとしてろ! ただのクラスメイトだよ」
「へー、あんだけ好き好き言われててただのクラスメイトねぇ」
「なっ、夜久、余計なことを……!」
「えぇー! 黒尾さんまじっすか!?」
 黒尾がワイワイはしゃぐ一年生二人組に顔を顰めた時、後ろでドサリと何かが落ちる音がした。
 その場にいた全員が、音がした扉の方を振り向く。そこには、全身から得も言われぬ悲壮感を漂わせた山本が立ち尽くしていた。
「か……彼女が……できたんすか……?」
 山本はぼそり呟き、鞄を取り落としたのであろうその手はぶるぶると震えていた。
「こ、この部には……女マネもいないというのに……黒尾さんには……彼女ができたっていうんですかぁああ!」
「あぁもうめんどくせえな! ミョウジとは付き合ってねぇし彼女もいねぇよ!」
 ジーザスと天を仰ぎ見て涙を流し始めた山本と騒がしく質問攻めにしてくる一年生に黒尾の叫びは届かず、この事態はしばらく続いたのだった。

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