「驚かせてすまなかった」
「い、いえ。こちらこそあがらせてもらってすみません」
振り返ったらそこに立っていたのは森の熊さん、ではなく。熊を背負った、見るからに腕っ節の強そうな男の人だった。強そうなじゃなくて強いんだと思う。なんたって熊を背負っているし。猟銃を持っている様子もないし、素手で倒したのだろう。え、何この人。怖い。
「そういえばまだ名前聞いてなかったな」
「あ。私はヒグレコヨミと言います」
「お嬢さん、珍しいな」
「え?」
「いや、なんでもない。俺はイッテツだ。ご覧の通り御覧のとおり、ここで暮らしている」
熊を背負った男性はイッテツさんと言うらしい。ちなみに彼の家は見た目から予想していた通り、物が必要最低限で簡素なもの。彼曰く、ここは本土からかなり離れた島、つまり離島らしい。何もかもぶっ飛びすぎて逆に冷静になれた。人が住んでいる離島でよかった。
「本土に行くにはどうしたらいいのでしょうか?」
「そりゃあポケモンに乗るしかないだろ」
「は?」
お茶を出してくださるイッテツさんの顔を勢いよく見る。そんな私に不思議そうな顔をして首を傾げていた。その表情には自分が何か変なこと言った、なんてことは露程思っておらず。私の聞き間違えだったのかもしれない。
「と、ところで変わった熊を捕まえたんですね」
「ん? ああ、確かにホウエンにリングマは珍しいかもな」
どうやらこの島はホウエンというらしい。そして熊の種類はリングマ。漢字はどう書くのだろう。輪熊? お腹に輪の模様があるし。見たこともなければ聞いたこともない種類だ。希少な生き物なのだろうか。それとも日本にはいない?
「お嬢ちゃんはこんなところで何してたんだ?」
「じ、実は私にもよく分からず」
「というと?」
「学校帰りに知らない人に声をかけられて、会話をしているうちに意識が遠のき気付けばここに寝かされて」
「おいおい。俺の住む島で死体遺棄とか勘弁してくれよ」
「生きています! 私もそれは連想しましたが、この通り生きています!!」
木材で作られた不格好なテーブルを叩いて抗議すると、冗談だと豪快に笑われた。冗談にしても不謹慎です。引かぬ怒りを隠しもせずにいると謝罪とともに雑に頭を撫で回される。
「若いうちから苦労しておくというのはいいことだ」
「苦労というより事件に巻き込まれた感じですからね」
「人は事件に巻き込まれて成長するものだ」
「どんな持論ですか」
誰かと会話をするだけでこんなにも落ち着けるなんて思いもしなかった。内容はあれなんだけど。右も左も分からぬ土地を1人取り残されるというのは凄く不安なものだったから、今日出会った人だとしても傍にいてもらえるだけで心強いというもか。
「そういうことなら今日はここに泊まっていけばいいさ」
「え。いいんですか?」
「さすがに知らぬままここに連れてこられて1人投げ出された。なんて理由を聞いたら放っておくこともできないだろ。近くで野垂れ死んで虫が湧かれても困る」
「最後が本音ですね。今、なんて良い人なのだろう! って感動していた最中だったのですが。最後が本音ですよね。感動を返してください」
「うちにはふかふかのベッドもないし、風呂もドラム缶だし。箱入り娘な嬢ちゃんには辛い環境だろうが我慢してくれよ」
緊急事態だから提供していただける環境に文句をつけるつもりも不満を抱くつもりもない。けれど、お風呂がドラム缶というのには驚きを隠せずにいられなかった。何故この人はそんなサバイバル環境に身を置いているのだろうか。鍛錬のためだとか言われたら納得してしまう。なんたって素手で熊と戦う腕っ節の持ち主だし。
「あと服は……」
「一応ジャージはあります」
「それならいいか。俺の服を貸しても大きすぎるだろうしな」
体育で着た後のジャージだから汗臭いかもしれないけど。下着の替えなんてものもないからお風呂に入っても不快感は残るけど。それでも仕方がない。私が所持している物も僅かなんだし、その中でやりくりする他ないから。生きているだけ良かったと思う。自宅に帰ったら直ぐお風呂入って清潔なパジャマに着替えてふかふかなベッドで寝ることを希望にしよう。
「一晩お世話になります」
「宿代として飯作ってくれたら大助かりなんだがな」
「イッテツさんって私欲にまみれてるとかよく言われません?」
「自分に素直だとはよく言われる」
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