私の心身は思っていた以上に丈夫で、そして図太かった。頭も目も喉も痛くなった頃には涙も流れなくなり、渦巻いていた混乱は涙と共に流れてしまったのか嘘みたいにすっきりしていた。泣いていても状況は変わらないこともあるけど。
「目、痛いな」
ひりひりする。ちゃんと冷やさないと腫れてしまう。それは嫌だな。ぱっちりとした二重の目は私のチャームポイントなのに。目の前に広がる海水で冷やせないかと触れてみるけど、ここは温かな海だった。海水で冷やすことは諦めるしかない。
「ジャージにローファーって変なの」
しかも紺色のハイソックスときた。最低にださい格好。散々だなあ、もう。
靴下を脱ぎながらため息をこぼす。昨日丸1日履いていた靴下を2日目も履くというのは結構不快感だったから、開放感。脱いだ靴下は丸めてローファーに詰めておく。これで突風が吹いても飛んでいくことはないだろう。
「あ。足まで浸かると案外冷たい」
ここは今、どの季節にあたるのだろう。吹く風は柔らかくて暖かい。でも夏というには涼しくて過ごしやすい。昨晩もそう。借りた布団を被って寝ても暑くなかった。学校では冷房をがんがんにつけなきゃ授業なんて受けていられなかったのに。
「沈んだら気持ちよさそうだなあ」
腫れた目元を冷やすには足らないけれど、涼むには丁度良い冷たさ。このまま前に倒れてしまいたい。そんなことしたらたった2着しかない貴重な衣服を駄目にすることになるのだけれど。でも、もう。
「そんなこと、気にしなくていいかな」
『なにバカなこと考えてるんだ!!』
「え? っぎゃ!?」
頭に響く声が聞こえてきて、振り返ろうとした瞬間だった。背中に重たいものが勢いよく突撃してきた。その衝撃に私が耐えられるわけなく、そのまま海の中に倒れ込んだ。ばっしゃーん。
「げほっ」
『おまえ! なんてこと考えてるんだ!』
「まって、ちょっとまって。きかんに……っ」
海水が気管に入った。そして目にも入った。めちゃくちゃ苦しいし痛い。それなのにこんな状態になった原因は私を怒る。なんで怒っているのか分からないけど、とにかく『ばかなのか!』とか『なに考えてるだ!』とかずっと言っている。
「まってって」
『止めるのを待ってたら、おまえは自殺してたんだろ!?』
どうやら私は周囲から見ると自殺しかねない顔をしていたらしい。そこまで酷かったのか。でもそこまで追いつめられていてもおかしくない状況である。いっそ死んでしまいたいという考えは泣いている間は浮かんでいた。泣き止んでからは不思議と出てこなかったけど。
「死ぬのはやだなあ」
『だったらなんで自殺しようなんてしてるんだよ!』
「それはキミの早とちりだよ。私はただ、海に浸かれば落ち着くのかなあと思って」
さすがにびしょ濡れは避けたかったから足だけのつもりだったのだけれど、この子の早とちりのせいで結局頭から濡れることになった。おかげで冷静になれてきた。やはり私はなかなかに図太い神経を持ち合わせているようだ。
『はやとちり』
「うん。早とちり」
でもここにいるということは、きっと私を追いかけてきてくれたんだろうな。イッテツさんに言われてか、自発的に追ってきてくれたのかどっちだろう。心配して自分から追いかけてくれたとかだったら嬉しいなあ。
『ま、まぎらわしいことするなよ!』
「ごめんね。心配してくれてありがとう」
『べつに心配したわけじゃなくて。ただ、突然とびだすから気になって』
人はそれを心配したと言うんだよ。なんて指摘したら、多分この子はまた怒っちゃうタイプだろうから出かかった言葉を呑み込む。心配してくれたんだ。嬉しいなあ。
『イッテツに嫌なこと言われたのか?』
「ううん。そうじゃないの」
『ならなんであんな顔してとびだしたんだ? それで今にも死にそうな顔して海はいるし』
「女心は複雑なの」
意味が分からない。そんな表情で首を傾げる姿はとても愛らしい。でもその愛らしい存在が私にとっては憎たらしいものになる。この子が悪いわけではないから八つ当たりをするなんてみっともない真似はできないけど。
「感情も思考も複雑に絡まってるんだよ」
だから落ち着いた今も現状に対する整理はつかないんだ。
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