あれからしばらく海に浸かって、遠くを眺めていた。交わることのない海と空の平行線。これが水平線というやつなんだ。上も下も澄み渡る青でとても綺麗。私が暮らすところはでこぼこ建物だらけだからこんな景色を見る機会はなかった。海に遊びに行ったとしても、テレビや写真で見るように透き通った青い海ではなかったし。
それから『この辺りはほかのポケモンの縄張りもあるんだ』と言われてイッテツさんの家へ戻ることになった。道中、それも知らずに動き回るとはなんて馬鹿な奴だ、とか。この辺りにはリングマが縄張り張ってるんだから危険なんだぞ、とか。お小言をずっと言われていた。
「なんだ。戻ってきたのか」
「いきなりですみませんでした。少し、動揺して」
「少しばかりじゃなかったがな」
中身の入ったマグカップを渡される。なんだろう。匂いをかいでみると馴染みのある香りがした。珈琲だ。まさか珈琲が出てくるなんて思わず、目を丸めてイッテツさんを見る。
「なんだ。その意外そうな顔は」
「既製品が出てくるとは思いませんでした。あれ、それとももしかしてこの島でとれた豆で作ったとか」
「普通に買ったんだよ」
「全て自給自足しているのかとばかり」
「だったらこの食器も俺が作ったことになるな」
それは絶対ない。昨晩と今朝に作られた食事でよく分かる。それだけは絶対にない。この人が自分で皿とか作るものなら、絶対に木材で作られる。だから汁物とかをいれてしまうと皿に吸収されて飲めずじまいとか。
「ここから本土はそう離れていない」
「そうなんですか?」
「……だからあれだ」
「はい?」
「手持ちポケモンがいなくて海が渡れないなら、送ってやるから。これ以上泣くことはするな。女の涙というのは止め方が分からないから扱いに困る」
意外だった。気遣いとは無縁そうにしているイッテツさんからそのような言葉をかけられるなんて。予想外だった。男女平等を唱えて遠慮なく殴ってきそうなこの人から女の涙とかそういう言葉が出るなんて。やはり人とは第一印象とは大きく異なる場合があるらしい。だって今の全部私が勝手に抱いていた印象だから。
「その件なのですが」
「おう」
「私、本土に戻っても帰る家がないみたいといいますか」
「は?」
「いえ、帰る場所はちゃんとあるのはずなんですよ。でも帰り道が閉ざされていて帰りようがないといいますか」
「随分とふわふわした言い方だな」
「すみません。私もまだ、ちゃんと整理できてなくて」
というか、まだそれを認められる程の余裕がなくて。なんてことを伝えるわけにもいかず、苦笑いで誤魔化す。イッテツさんがどこまで察してくれるかは分からないけれど。
「……よし分かった。俺は遠回しな物言いが嫌いなんだ」
「なんとなく分かります」
「だからお前が考えてることを単刀直入に言え」
「しばらくの間この家にお世話になりたいです」
やっぱりか。なんて言いたげなため息を吐かれた。やっぱりです。なんて困った顔をして返す。ここで拒否されたらどうしよう。本土まで送ってもらう? その後はどうする。残り僅かな所持金だってここで使えるかも分からないのに。野宿生活なんて絶対無理。
「念のために言っておくけど、俺は男、お前は女」
「こんな小娘相手に発情するんですか?」
「学生と1つ屋根の下で過ごすというのはなかなかくるものあるぞ」
「おっさん臭いこと言わないでください」
「おっさんだ」
ジャージにハイソックスにローファーとダサい格好して、ドラム缶風呂で身体を流しろくに洗うこともできない小汚い娘で発情できたら相当守備範囲広いことになりますよね。少し嫌味を含んだ言い返しになってしまったが、イッテツさんは禁欲生活をしてしまえば性別さえ違えば他にはこだわらなくなるんだ。なんて恐ろしい発言をした。
「……そんな本気で引いた目をするな。冗談だ」
「何割がですか」
「4割近く」
「半分以上が本気だ! 駄目だこの大人!!」
「その駄目な大人のもとに住みたいって言いだしたお前はどうなる」
「それほどまでに困り果ててるんです!」
頼れる人が他にもいれば迷わずそっちに行くけれど、私が今頭を下げられる相手はイッテツさんしかいないから。だってこの島、イッテツさん以外の人間は住んでないらしいし。人間以外はたくさんいるらしいけど。
「何が起きても保障はしないが。それでもいいなら別に構わないぞ」
「何かあったときの行動は全て正当防衛になりますよね」
「その細腕でできるならな」
この会話のどこまでが本気であるのか。それはイッテツさんにしか分からないが、このやりとりのおかげで少し気持ちが楽になった。
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