真っ暗な世界だった。目を開いているのか閉じているかすら分からない。なんとなく手を伸ばす、という動作を試みる。自分の腕が見えず、伸ばした感覚も分からない。

「……っ」

 何もない恐ろしさに、誰もいない寂しさに。セツナは誰かを呼ぼうと口を開く。しかし、助けを求められる相手が誰一人として浮かばず、息を吐くだけだった。

「……自分の姿が見えないなんてこんなにも不安なんだ。普段からいないようなのに」

 消え入りそうな声で吐き出す。ああ、お腹が痛くなってきた。わたしは今どこにいて、何が起きているのだろう。いつものようにお腹を押さえる。なんとなく、感覚で。癖付いた仕草だから見えずとも感じずとも、押さえられていることが分かった。

「ここはどこ、なのかな」
「ここは夢の中だよ」
「っ!?」

 声に驚く。周りを見渡す。すると、ぼんやりとピンク色の淡い光に包まれた幼い女の子の姿が見えた。だ、れ。そう問いかける前に、彼女は足元を指して無邪気に笑う。わずかの明かりで照らされた顔なため、なんとなくそうだろうなという程度にしか表情が分からないが。

「いってらっしゃい」

 彼女の言葉を合図に、下から蔓が伸びてきてセツナを捕える。驚きの声をあげる間もなく、蔓によって闇の中へ引きずりこまれる。ちゃぷん。水の中に軽いものが落ちたときの音がセツナの鼓膜を震わした。

「〜〜〜〜っ!」

 下へ下へと引きずり込まれる。身体中を縛り付ける蔓から逃れようともがけばもがくほど拘束は強まる。息苦しくなってきて、必死に呼吸を繰り返そうとする。すると、大量の黒い水が体内に取り込まれる。苦しくて吐き出すことは不可能で。

「……、……」

 意識が薄れていく。死んじゃうのかな。諦めて手の力を抜いてだらんと垂らした、そのとき、脳裏に様々な映像が駆け巡る。そこにはセツナが見たこともない景色が、世界が広がっていた。
ポケモンという生き物でバトルをするトレーナー。そのポケモンたちは本来野生に生きるものだが、モンスターボールという道具を使うと手持ちに加えられること。たまにそのポケモンを悪の企みに利用しようとする組織がいること。

「かはっ……げほげほ……っ」
「おかえりなさい」

 気付いたら彼女の前に引き上げられていた。霞む視界の中で立つ彼女の周囲に薄ピンクの他に黄緑色の淡い光が増えていた。セツナは咳き込んで、震えた声で問う。

「いま、の……」
「これがこの世界の基礎情報」
「この、世界」
「さすがに気付いてるよね? おねえさんがいた場所と、全く違う世界にいるってことは」

 ぱちんと両手を叩くと、真っ暗闇の空間に色がつく。突然の光に目を細める。ほのかな光りによってぼんやりとしていた姿がはっきりする。薄い桃色にも見える銀色の髪。薄い青のぱっちりとした目。ふっくらとした桜色に染まった頬。自分よりもいくらか低いであろう背丈。可愛らしい子、とセツナは漠然とした感想を抱く。

「うーん、呼び方に困るからポケモンの世界って呼ぶね?」
「ぽけ、もん」
「おねえさんはとあることが原因でこの世界に迷い込んでしまったの」
「え……」
「知らない世界で迷子になるって怖いよね。……ごめんね、本当は早く帰してあげたいのだけど、まだその時じゃなくて」

 彼女は膝を折り、セツナの手を引いて立ち上がらせる。そして目を合わせて、もう一度「巻き込んじゃって、ごめんね」と謝罪を口にする。その意味を知る術を持っていないセツナは、困惑の声を小さく零すだけだった。

「でもこれはとてもいい機会だと思うの。おねえさんの見ていた世界はとてもとても狭いもの。だからこのポケモンの世界を歩き、いろいろなものに触れて、そして知ったらいいよ」
「知る……?」
「世界中の全てがおねえさんを傷つけるものではないってこと」

 人差し指をたてて、セツナの腹部にとんとあてる。その行為が何を示しているのか、今さっき言われた言葉と合わせて考えれば容易に理解できた。驚いて目を大きくし、一歩後ろへ下がる。

「な、ど」
「大丈夫。おねえさんの傍にちゃんといるから」

 何故、どうして。喉元にへばりついた言葉の数々はそのまま出てくることがなかった。その動揺を察した彼女はぎゅっと強く両手を握る。緊張で冷えきったセツナの手に熱が移る。

「さあ、おねえさん! そろそろおはようの時間だよ!」
「ま、まって。まだ、わたしはなにも」

 彼女は両手をひいて踊るようにくるくるりと回る。とても楽しそうに。最初から今に至るまで何一つとしてこの状況を把握できていないセツナは引っ張られるまま、おぼつかない足取りで回る。

「基礎情報はあげたけど、おねえさんにとってこの世界を旅するのはとても恐ろしいものだよね。だから」

 ぴたりと足を止めると、少女の周りを最初に見かけたあのピンク色の淡い光がふよふよと回っていた。セツナが目で追っていると、その光は額の付近まで近寄ってきた。そのとき、ぺとりと何かが額に触れた気がした。

「この世界が楽しくなるプレゼントをあげる!」

その言葉を最後にぐらりとセツナの視界が揺れる。意識が落ちていくなか、彼女がへにゃりと愛らしい笑顔を浮かべたのを見た。


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