「そうだな。今日はとりあえずお風呂入ってから休むといいよ。この時間なら大浴場は誰も使わないし、ゆっくり浸かっておいで。浴場にあるものは自由に使っていいし……あ、変に遠慮して何も使わずシャワーだけ浴びてすぐ出るのはなしだから。そんなことしたらもう一度放り込む」
そう言われて連れてこられたのは『HEROes』と書かれた看板を掲げた建物。そこがどこで、どういう場所なのか詳しい説明はされず、脱衣所へと投げ込まれた。困惑するセツナが下手な遠慮をしないように釘を刺して。
そうは言われても過ぎる遠慮をしてしまうのがセツナである。どうしようと悩み、「あーうー」と。悩まし気な声をあげた。
「……好きに使っていいと言われても、わたしが使ったらその分洗濯物が増えちゃう、し。それにこんなに綺麗で広いお風呂のお湯を汚しちゃうのは」
入浴する目的を否定するような遠慮の仕方だった。それを指摘する者は周囲にいない。広々とした脱衣所で、セツナはため息を一つ零す。しばらく考えて、このまま長々と居座るのも申し訳ないし、早く入って早く出た方が良いのかもしれない。そう判断してセツナはジャージのファスナーに手をかける。
「きゃっ、な、なに?」
脱いだジャージをロッカーに付属するハンガーにかけていたとき、足元にとんっと何かがぶつかる。驚いて下を見ると、 ぶいっ! と真っ白なタオルを咥えるイーブイの姿があった。そういえばついでにイーブイも洗ってやれとライムに言われたことを思い出す。
「えっと、タオル……? どこから……」
セツナの質問にイーブイは茶色い小さな足を浴室入り口前に置かれている棚を指す。それから ぶいぶい。 と、タオルを押し付ける。これを使えと言っているのだろうか。意図が読み切れずにセツナは狼狽える。なかなか受け取る素振りを見せない様子に、イーブイは頬を膨らませた。
「ご、ごめんなさい。受け取るから、その、そんなに怒らないで……」
震えた手でイーブイからタオルを受け取る。声は徐々に小さくなっていく。イーブイはタオルを受け取ってもらえると、後退してお座りをした。セツナは受け取ったタオルを落とさないように気を付けながら服を脱いでいく。
「あ、包帯……」
プリーツがとれかかったスカートに手をかけたとき、ふと身体に巻いている包帯を思い出す。手当を受けたばかりの包帯は外さない方が良いかもしれない、というのは建前。セツナとしては誰かに手当をしてもらった跡を外したくない、という気持ちがあった。少し悩んでから膝の包帯は残しておいて、腕に巻いている包帯だけを解くことにした。
「……あなたも、一緒にはいる?」
あれだけ怯えていたのに急にどうして。しゃがんで目線を合わせてきたセツナにイーブイは目を丸める。それを否定的反応だと捉えたセツナは「ご、ごめんなさい。やっぱり嫌だよね」と。謝罪をして伸ばしかけた手を引っ込める。悲し気に揺れた瞳に慌ててイーブイは ぶい! と首を横に振って引っ込められた手にすり寄る。
「っ……、……もふもふ、してる」
柔らかな身体が手に触れた瞬間、身体が強張ったのをイーブイは見逃さなかった。しかし、そのまま恐る恐るとした手つきで撫で始めたため、甘えた声で鳴いて尻尾を振る。噛み付く気配はなく、セツナはホッと緊張を弛める。
「お風呂、はいろうか」
ぶいっ。 元気に頷いて、浴室へ向かうセツナの後ろをついていく。湯気で曇った扉を開けるとそこには大きなお風呂が広がっていた。シャワーも複数設けられており、そこにはボディーソープからリンスまで揃っていた。
「えっと、あなたもこれ、同じもの使っていいのかな……?」
一番奥の椅子に座り、蛇口を捻る。シャワーから程よい温かさの湯が流れ始める。傷口にあたる刺激が痛みとなり、顔を歪める。小さな悲鳴がイーブイの耳を揺らす。心配そうに鳴いて見つめる。
「……大丈夫だよ。洗っちゃおうか」
お湯で全身を濡らしてから、シャンプーを手の平に広げる。なかなか泡立たず。それでも一通り洗えたことにして泡に成りきれていないべちゃべちゃな泡を流していく。イーブイが不満げに鳴くが、セツナは首を傾げるだけだった。
「……お湯、つからないと怒られるんだよね」
双方身体も洗い終えて、白い煙があがる湯船を見つめる。本当に入ってよいのだろうか。躊躇いってなかなか湯に浸かれない。
「ふきゃっ!?」
イーブイが文字通り背中を押した、頭突きで。想定外の出来事にセツナは耐えられるはずもなく、顔から入っていく。湯が気管を塞いでいく。浴槽の底に身体がついて、顔をあげる。呼吸をするために咳き込み、遮る湯を吐き出す。セツナの後を追って浴槽の中に入り、泳いで近寄った。
「なに……っ」
混乱して涙を目に浮かべる。悪戯が成功したことに笑ってイーブイは足をばしゃばしゃと動かし、顔にかける。「はぷっ、ま、やめ……っ」手で顔を覆い、鼻と口から湯が入ることを防ぐ。
「も、もう。やめて、ってば……!」
いつまで経ってもやめる様子がないイーブイに我慢できなくなって、セツナはとうとう湯をかけ返した。驚いたイーブイはぱちくりと瞬きをしてじっと見つめる。やってしまった。慌てて謝ろうとする。しかしそれは許さないと、口を開きかけた瞬間に今までの倍の量の湯を顔にめがけてかけた。
「……っ」
びしょ濡れになった伸びっ放しの髪が顔を隠す。さすがにやりすぎたか。イーブイは心配そうな顔をしてセツナの顔を下から覗き込む。そこにあったのはオニスズメに追われていたときのように涙を堪えている様子ではなく、小さく笑っている姿。
「……なんだか、変なの」
これが、楽しいって感じなのかな。小さな呟きは湯に顔をつけたことで掻き消された。
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