さよならを君に

バレンタイン当日。結局熱は下がることもなく今日も学校を休んだ。
2日前からろくなものを食べていない気がする。調理場を片付けるのがやっとで、何かを作ろうとも思えなかったのである。幸いこの時代にもコンビニがあったり商店街にはお弁当屋さんもあったから状態がマシなときに数日分の食糧を確保した。
空条くんに助けを求めるべきかとも思ったがその気にはなれず、結局2日間彼と顔を合わせることはなかった。

ベッドの上でただただ天井を見つめる。喉がヒリヒリと痛んで唾を飲み込むのもつらい。お水がなくなってしまったから後で持って来ないとな。そうやってぼーっとしていると、インターフォンが鳴った。誰だろうか。先生がプリントを持ってきてくれたのかな。回らない頭で髪を手ぐしで軽く直し、マスクをつけふらふらと玄関へと向かう。

「はぁーい……」

扉を開けると、そこに立っていたのは空条くんだった。ぶわりと冷や汗が噴き出す。今1番会いたくて、会いたくなかったひとだ。

「邪魔するぜ」
「あー……、お久しぶり?あは」

後ろ手に扉を閉め空条くんが玄関に入ると、何故か反射的に1歩後退りしてしまった。っていうか今私ボロボロのぐちゃぐちゃだし、普通に恥ずかしい。そんな姿を見られたくなくて顔を伏せた。

「アマ共が風邪だって言ってたのを聞いたんでな。それとこれはホリィからだ」

そう言って、ガサリと紙袋を差し出す。受け取って覗いてみるとペットボトルに入った飲料水や、既にうさぎに切られている林檎、温めればすぐに食べられそうな軽食が入っていた。”早く元気になりますように”の一言と可愛いうさぎのイラストが添えられたメモ付きだ。それを見て、父のことが頭を過りまた少し目頭が熱くなった。どうやら2日前から私の涙腺はおかしなことになっているらしい。

「なんかわざわざごめんね。ホリィさんにもほんと……申し訳ない」
「こういう時は礼を言うモン、だぜ」
「そう、だね。……ありがと」

いつぞやの、体育祭のときのように彼は言う。2日会っていなかっただけなのに変わらない彼の物言いに何処か安心した。安心すると同時に、紙袋がそこそこの質量があったからかふらついてしまう。それを咄嗟に空条くんに支えられる。ふわりと香る煙草の香りに小さく心臓が音を立てた。あぁ、やっぱり好き。

「寝ていた方がいいな」
「うん、そうするね。空条くんほんとありが、っ!?」

お礼を言いかけたところで、突然の浮遊感。どうやら彼に横抱きに抱えられたらしい、と遅れて理解する。突然のことにさらに鼓動が加速する。

「部屋はどこだ」
「えっ!?2階上がってすぐ……いや待ってこれは、これはッ、ゴホッ」
「暴れるんじゃあねぇ。ウッカリ落とすぞ」

そんなことを言われてしまっては彼の腕の中で硬直するしかない。いや、彼がそんなことする訳もないのは分かっているのだけれど。ただ私は黙って、彼が階段を上ってくのを待つしかなかった。

部屋の前まで連れて行かれ、一旦降ろされる。空条くんが扉を開けると広がるのは、まぁ酷い有様の部屋で。如何にもベッド周りでしか生活してません、というような惨状だった。実際、2日間は風邪でベッドからほぼ動かず生活していたけれど恥ずかしいものは恥ずかしい。私は咄嗟に誤魔化すように「いつもはちゃんとしてるから」と小さく独りごちた。

羞恥心から逃げるようにそそくさとベッドに潜り込む。
潜り込んだところで、彼がとある一点を見つめているのに気が付いた。

「あ……」

それは勉強机の上に広げられているアルバムの数々で。”あちら”にいた時は見もしなかったのに、ここ2日で引っ張り出して眺めては感傷に浸っていたものだ。そこには私の幼い頃から高校2年生までの写真が貼り付けられている。動揺で喉に言葉が貼りついたように喋れなくなり、それに近づく彼を引き留める言葉も出なかった。

「……えっと」

何か上手い言い訳をしなければいけないのに。どうしよう。どうしよう。
空条くんがアルバムから顔を上げ、こちらを見据える。

「……ひでーツラだ」
「え?」
「泣いたのか」

言いながら、彼はこちらへと歩み寄りベッドの端に腰掛ける。スプリングがギシリと音を立てベッドが沈んだ。彼の手が私の目元に伸ばされる。優しくなぞられた目元はきっと腫れぼったくなっていたのだろう。

「赤木、親は今どこにいる?」
「……言えない」
「……」
「ごめん」


「てめーは、何を」

「何を、ひとりで抱え込んでるんだ」


言ってしまいたかった。私、異世界から来たのよ、って。
みっともなく縋ってしまいたかった。異世界から来た癖に貴方と出会って、貴方のこと好きになってしまったの、って。
貴方のことは好きだけど、元居た世界のことも諦められなくて、風邪で弱って情けなく感傷に浸って。どっちも諦められそうにない中途半端な女で。
貴方のことをずっと知っていて、貴方に起こるこれからのことも知っていて、全部知っていて。

感情が、ぐちゃぐちゃになる。

「なんで……っ、なんで」

気付けば涙が溢れ出していた。あぁ、彼の手を濡らしてしまうのに。

「なんで空条くんは、私に……ッ!私に、優しくしてくれるの……?」

どうしてそんなに優しいの?優しくされればされるほど、辛くなる。
いや、これって責任転嫁じゃん。馬鹿みたい。今まで散々甘えて、今になって駄目なことだなって気付いて、自己嫌悪が止まらなくなる。涙と一緒に、負の感情が流れ出る。

そんな私に向かって空条くんは、何でもないことのように言う。


「好きだからだ」

「お前が、好きだ」


一瞬時が止まったようにも感じられた。私をまっすぐ見つめる、大好きなグリーンの瞳。小さく息を飲んで、私もそれを見つめる。


私も好きだと告げてしまいたい。けれど、

「……っ、ごめんなさい」

「うれしい……すっごい嬉しい……!死んじゃいそうなくらい、嬉しいの……!けど、けど!私は、私は……っ」

胸が張り裂けそうだった。嬉しい。死んでもいい。辛い。どうしたらいいか、分からない。選べない。今貴方に好きだと告げて、もしそのあとに元の世界に帰れて離れ離れになったら?
怖い。怖くて、何も選べない。


部屋に広がるのは私の嗚咽だけだった。空条くんは、静かに立ち上がる。

「……早く治すことだな」
「……うん」
「ホリィが心配してる」
「うん……ッ」

「じゃあな」


そう言い残し空条くんは部屋を去っていった。
彼が去ったあとも私は馬鹿みたいに泣いていた。どうすべきだったのか、今になってはもう分からない。


この日以降、私が彼と言葉を交わすことはなかった。
<< ×