「貴様――、…いや、どうやら話はまた後のようだ」
「え…?」
「足手まといにならないように下がってるんだな」


 彼は一体何を言っているのだ。もう一度問いかけようとした時、栞と彼の間に、黒い何かが浮いているのに気づいた。
 ふわりと浮かぶそれは、黒い中から赤色の瞳が垣間見える。思わず叫びそうになるのを抑えて、後ずさりしようとしたけれど、後ろが川だということに気づいてそこから一歩も動けなくなってしまった。しかし栞の恐怖などお構いなしだと、彼は口角をあげた。


「…ふ、貴様が守人を狙ってきていることは知っている。守人は許しはしないだろうが、…今日ここで俺が消してやる。あいにく、守人は出かけているからな」


 そういうと、その人は刃をぶんと振りかざした。 それは太陽にきらめいて、まばゆく光を放った。刃物のような鋭利な刃が、鈍い色できらりとした。 ――あれを突き刺すの?あれで切り刻むの? 殺して、しまうの? 急いで黒色の塊を見た。特に変化のない表情からは、恐怖すらも浮かんでいない。 だけど、でも。


「だ、だめ!」
「は?」
「だめだよっ」
「っどけ!貴様には関係のないことだ!邪魔立てするようなら貴様も切るぞ!」


 その存在は害悪のあるものなのかもしれない。それだって、恐怖すら浮かんでいない。それが。悲しくて。
 気づいたら、目の前の彼の手に触れ、刃を振りかざそうとする腕を制止していた。こんな大胆な行動ができるとは栞すら思っていなかった。


「だめ!」
「ちっ!どけ!」
「やだっ」
「貴様、っ!切るぞ!!」


 その言葉に戦慄したが、栞は考えるよりも先に、身体が動いていた。彼を押しのけて、ぎゅ、と強くそのかたまりを抱きしめた。 じゅうと自分の肌が焼ける音が聞こえ、痛さに目を瞑る。 とても痛かった。ほんとうは怖かった。 でも、 でも。


「何をやっている!そいつを離せ!それを助けたとて、貴様に利はない!!それは負の塊だ!!この世界の病みだ!!そいつをやらねば、この世界の闇は払われん!!」
「っ…!」


 冷たい、黒い感情が、胸の中で渦巻いた。遠くからねめつけてくるのは、あの日、暗闇の部屋の中においてきたもう一人の自分。同じように、このかたまりから伝わるものが、痛くて、怖くて、 悲しくて。 心が、苦しくて。―――痛いと、言っていた。 苦しいと、言っていた。 怖かったと、言っていた。 悲しいと、言っていたのだ。


back next

ALICE+