「…栞」


 彼は、そんな栞を見つめた。栞もならって、彼を見返す。鋭い釣り目が、今日はいつになくしおらしく見えた。


「…あのね、一馬。…私ね、こんなにいっぱい友達ができたんだよ」


 長い沈黙の末、やがて栞は嬉しそうに、少しだけ恥ずかしそうに口を開く。周りを見渡して、それから小さくわらった。その笑顔は、初めて見た時と何ら変わらない春の陽だまりのような温かさを持っていた。


「…あとね、それから、えっ、と…」
「…分かってるよ」
「え、?」
「言われなくても全部わかってる」


 ずっと傍で見ていたからわかる。栞は、つよくなった。でも、と一馬は語調をあらげ、それから顔をそむけた。何かを我慢しているようだった。


「弱いのは、泣き虫なのは前のままなんだから、その、無茶だけはすんなよ…っ…て、うわっ」


 急に一馬の体は前につんのめりそうになった。栞はその姿を見て―正確にいえば、一馬がつんのめりそうになった原因を見て、安堵したように表情を歪めた。


「結人くん、英士くん、…」


 後ろからきた結人に肩を組まれ、一馬も目を見開いた。無事だと聞かされ安心していたが、実際何の怪我もしていない様子を見ることほど安心することもない。ほっと息をついた一馬に向かって、彼はニヤニヤ笑って、その頬をつんっとつついた。横に立つ英士はため息をついて冷ややかに二人を見やる。


「ほんと素直じゃないよなぁ、一馬は!」
「全く。頑張って言って来いってどうして素直に言えないんだか」
「なっ、結人、英士…!」
「…ふふ」


こちらの時間からすれば長い間離れていたわけではないのだが、栞からすればこの三人トリオの絡みを見るのはずいぶん久しぶりだ。変わらない彼らに、思わず笑みがこぼれる。
 また彼らの姿を見るためにも、自分は。決意を胸にする。大丈夫。頑張れる。


「栞〜!」


 名前を呼ばれた、その時。
 強い力でぐいっと手を引かれた。栞は瞬き、ふるえた。この温かい声こそ、本当に長い間聞いていなかった気がする。栞の視界が揺れて、思わずその手に触れた。


「潤、くん…」
「うん。ヒサシブリだね!」


 少年はにこりと笑ったあと、少しだけ表情を崩し て、それからアーアと、至極残念そうな声を出した。


「せーっかく栞に会えたのにもうお別れかー。でも、栞、なんかたくましくなったね」
「…そう、かな?……うん、そうだと、いいな」
「――やっぱり、栞は笑顔が一番だ」


ウインクを飛ばされ、栞は目を丸くし、それから 、やっぱり笑った。


「ユン〜。抜け駆けはずるいぞ〜」
「だって僕、栞に会うの久しぶりだし」
「俺だって栞ちゃんに会うの久しぶりだっての! 」
「なら俺だって久しぶりかな」
「えー、ヨンサたちはずっと一緒にいたでしょ!」
「っだー!俺を挟んで言い合いするな!」


 トリオならぬカルテット。何一つ変わらない彼らに、栞はやっぱり、笑顔を浮かべた。また、前みたいにみんなが笑ってサッカーできる世界、取り戻してみせるから。
 栞はつい、と光の柱を見上げる。深淵の闇の中へ向かって伸びる光は、唯一の希望のように感じた。


「…行ってくるね」


 小さな声で呟いた。ここが、私の帰るべき場所。お帰りって、言ってもらえる場所。不安に思うことはない。またここに、戻ってくるだけの話だ。いつもの私で。
 一歩前に踏み出して、光の中に身を投じる。自分の傍にいたイヴモンも。同じように光の中に。ふわりと体が浮く感触は、以前にも味わったものだ。


「っ栞…」


 一馬が一歩前に出る。素直になれない彼が、それでも心優しい彼が、自分の兄になると言ってくれた彼が、栞は大好きだ。いつも守ってくれた。傍にいて励ましてくれた。だから今度は。今度こそ、自分が守る番。
 父と母が、寄り添って自分を見上げている。甘えられない自分を、心から愛してくれた。実の子供のように。いつだって、支えてくれた。だから、今度は、自分が恩を返す番。
 あの世界とこの世界。二つの世界を守ることで、栞の大切な人たちが幸せに生きられるなら。頑張ることは、苦ではない。
 見下ろせば、結人がいて、英士がいて、潤慶がいた。そして、遠くはなれた場所で、笠井の姿が見えた。あの日、デジタルワールドに行く前の日、ピアノ塾の帰り道、別れた彼の瞳を思い出した。
 その近くに、バケモンたちに晒された可愛らしい少女と、その保護者であろう女性が見えた。自分のせいで、怖い思いをさせてしまってごめんなさい。きっと、また怖い思いをさせてしまっているだろう。でも、きっと、また頑張るから。頑張れるから。みんながいるから。光の中にいる仲間たちを見て、個々に叫ぶ声が胸にしみわたる。親を呼ぶ声、絶対帰ってくるからと。

 虹は消えていく。
 子供たちは、虹とともに空へ消えていく。



「行ってきます!!」



 最後に聞こえた言葉は、なんてことはない、そんな言葉だった。ただ待とう。彼らが帰ってくるのを。笑顔で、戻ってきてくれるのを。

 だが本当の戦いが、今から幕を開けることなど、まだ誰も知らなかったのだ。


17/08/06 訂正
15/05/05


back 

ALICE+