流転する地球儀


「だからさ、やっぱり仁王くんが一番だって!」
「えー?ブン太が一番カッコイイもーん!」
「柳くんも捨てがたいよねー!あ、でも一番は幸村くんだけど」
「幸村くんはもう神の域だもん。当たり前でしょ?てか昨日あたし柳生くんと喋っちゃった!」
「え?うそうそ!?あ、でも切原くんもよくない!?あの生意気さがたまらない!」

毎日のように繰り返される戯言。よくも飽きずに話せるものである。しかも相手はテレビの向こう側のアイドルなどの類ではなくて、同じ学校に生息するただの男子生徒たち。彼女らは彼らをアイドルのように奉っており、先ほどの会話にも出ていたが『神』と同等に扱うのである。もはや人間ですらなかった。
――傍に居たい。どうしても話がしたい。そういった願いを神サマに叶えてもらうべく、彼女らの行いは日々神聖化していくのであった。くだらないとは思わないし、己自身もカッコイイ人を見るのは好きである。目の保養になるからだ。だからと言って近くに居て欲しいとは思わない。『イケメンは遠くから重宝すべき』であるからだ。果たして今、隣にイケメンと称される方々がいたとて、自分は会話を成立させることはできないだろう。 
七瀬緋莉はそんな会話を聞きながら、昨夜どうしても解けなかった課題を進めていた。モヤモヤと浮かんでくる思いの数々を打ち消そうと首を横に振るが、耳に入って来る言葉を聞いてしまうのは、彼女たちの声があまりにも大きいからだろう。少しは課題をしているこちらの身にもなってもらいたいものだ。否、しかし昨夜のうちに終わらせなかった己が悪い。非が分かっているからこそ、そのような表情もできなかった。むしろ終わっていたとしても、彼女が不快感を露わにすることはしないだろう。何せ彼女はチキンだった。そしてヘタレだった。
ふ、と課題のノートに影が差し、緋莉は顔をあげた。そこには先ほどトイレへと意気揚々に出かけて行った友人の姿があった。彼女は前の席の椅子を引いてそこに座ると、緋莉のノートともう一冊のノートを見比べて首を傾げた。

「緋莉、終わった?」
「あ、あとちょっと…」
「写すのにどんだけ時間かけてんの」
「いや、だって…。字が汚くて、」
「殺すぞ」
「ひぃ!ご、ごめんなさい!」
「何々、緋莉。また写させてもらってんのー?」
「う。だって昨日できなかった…」

再び振ってきた影に、顔をあげることなく、泣きそうな表情を浮かべた。この2人は緋莉の現在の友達である。頭の良い友達を持った自分は勝ち組だ。緋莉は常々そう思った。何せ分からない問題があったら教えてもらえるし、写させてもらえる時もある。なんと素晴らしいオプション付きなのだろうか。
団体行動は苦手だが、1人はもっと嫌いだ。2人、3人くらいがちょうどいい。だから、この2人と一緒にいるのが心地よくて良い。決して本性が出せるとかそういうものではないけれど、お互いがそうであるのだからちょうどいい塩梅なのだろう。…あと1行、埋めれば己は勝ち組に乗り上がるのだ!

「お、わったー…。うあああ何か今日で一生分の手の動きを使い果たしてしまったようだよ、みっちゃん」
「ありがとうの欠片もないのかお前は」
「ありがとう、みっちゃん。ほんっとに助かった…」
「まあいいけどね。貸しは今度の世界史で」
「え。世界史とかって教えることなくない?」
「教えられなくても出来るよ、あたしは。だから、ノート取っておいてよ」
「ふざけてんの、みっちゃん!無理だよ。私の右手は一本しかないんだよ?」
「ここ重要!とかちゃんとマーカー引っ張っておいてね」
「聞いてよ!」

多少、高く付くし、面倒くさいななんて思う時もあるけれど。それが、人づきあいというやつなのだろうし、格別気にすることもない。にこりと笑ったみっちゃんは、相変わらず愛くるしい。みっちゃんは、幼稚園の時からの腐れ縁―いわゆる幼馴染だ。クラスが離れればお互いが違う友達を見つけるし、同じクラスになれば共に行動する。付かず離れずの距離を保てる間柄で、緋莉が最も信頼している親友――そう呼べるかは分からないが――だった。
うへぇ、と顔をゆがませた緋莉を横目にみっちゃんは更に面白そうに笑った。間に入っているちぃちゃんも愉快そうに笑い、あ、と思い出したように身を乗り出した。

「てかさ。さっき廊下で真田くんと幸村くんが歩いてるトコ見ちゃったんだよね!相変わらず眼福。今日一日の栄養取らせてもらったぜピース!」
「ええ、マジでか。滅多に見られないもんね。クラス違いすぎるし」
「だよねだよね!興奮したー!もう同じ学校生とは思えないくらいだよう」
「あー確かにイケメンだよね。真田くん。あれ部活中の帽子がいけないんだと思うんだ…脱帽すべきだよね、うん」
「え!?しかも真田くんの方!?つか真田くん帽子が宝物らしいから外せないらしいよ!てか何、緋莉テンション低くね?イケメン好きだよね?アイドルグループとか好きっしょ?」
「うん、大好きだよ。かっこいいもん」
「だよねえ。じゃあ何で?幸村くんとかテンションマックスになるくらい神じゃん!」
「この子テニス嫌いなんだって。昔っから」

ええなんでよ、という、ちぃちゃんの声を聞きながら、緋莉は頬杖をついて窓から外を見た。相変わらずどでかいテニスコートが目に入る。煌びやかな見た目に反して、血のにじむような努力が要される場所。――嫌いなわけじゃない。ただ、苦手なだけだ。自分とは違う世界を見せつけられるようで、幼き頃からずっと比較され続けてきた存在を彷彿させるからだ。――兄弟でなければ、ただのいとこだというのに。くそ。思い出したら、腸が煮えかえるくらいムカムカしてきた。向こうは違う血が混じってんだよ、だから出来なくても当り前なんだよ。

「…緋莉の顔が般若の如く歪んでるよ、みっちゃん」
「いつものことだから気にしない方がいいよ、ちぃちゃん」

当然、彼等が悪いわけではないが、原因というものがある。例えば、「あの子カッコ良くない?え…?何隣の女、彼女ォ?似合ってなーい」「ええー?あの――くんと従兄なの?全然似てないね」。おかしな話だ。似てるわけがない。自分はただのいとこで、母親の姓が同じだけである。そして極めつけは、「ねえ、私、――くんのファンなの。取り次いでくれない?」「てかあんたがいとこ?いとこだからって調子に乗ってんじゃないよ?」意味のわからない陰険をつけられるのである。そして何故それがテニスに結びつくかと言われれば、理由は簡単だ。彼らがテニスをしているからであった。ともかくも、地味に過ごしていれば彼等との関係性は分からないし、関わることもないだろう。それはもう深いため息をついてから、がらり、と音を立てて開け放たれた扉の方へと視線を向けた。

「あー!仁王くん、お帰りィ!」

おそらく、同じテニス部員と昼休みを過ごし、そろそろ昼休みも終わりだろうて教室にやってきたクラスメイトのテニス部。麗しい見た目と実力――人は彼らを天才と呼ぶのだろう。ちらりと緋莉の瞳が彼を捉え、その一瞬のすきを見て、彼の瞳も緋莉を射抜いた。彼女はほぼ無意識に、そして彼はおそらく意識的に。

その妖艶な唇が、にやりと、形を取る。次の瞬間――見つけた、とその唇が動いた。反射的に緋莉は顔を斜め下に逸らす。何故だか、見つかった。そう、思った。

そんな。平凡な日常を謳歌しつつ、平和に過ごしていたかった。
そんな。平凡な日常をぶち壊したのは 彼ら。 関わるまで、あと。


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