君に釣り合うように自分を磨く


「おはようさん」

ぴきっと周りの空気が変わった。痛い。物凄く色んなところが痛い。視線とか感じる。ごめんなさい。でも私のせいじゃない。持っていた教科書はそのままの状態だったため、机から約20p離れた個所にある。目の前に座っているみっちゃんも目を丸くしたまま、彼を見上げている。窓から差し込む眩い光が、彼の髪を輝かせる。

「おはようさん、七瀬」

彼は返事が無いのでもう一度、しかも確実に私だと分かるように名字を入れて告げた。挑戦的な目線が私を射抜く。私はいつもながら彼が何を考えているのか分からなかった。昨日のようにがっと掴まれ、

「お、はよう、」

固まったままでそう返せば、彼は小さく口角をあげ、自分の席へと戻っていく。固まる。そして私は更に固まる。 何。何なのあの人。何の陰謀なの。まさか幸村くんの刺客なの?
昨日の夜、バレないようにって。せめてバレないようにしなきゃって決めたばっかなのに。早速、バレちゃう予感がする。背筋を嫌な汗が伝った。今まで碌に話もしなかったクラスメイトに、人気者の彼が話しかければ何か合ったと思うのが条理にかなっている。
今はまだ登校していない生徒もいるが、みっちゃんのようにいる子もいるし、多く見積もっても15人はいる。あわわわわわわ!あの中に彼のファンはいらっしゃるのだろうか。いたら校舎裏とか連れ出されて――はぁぁぁぁと魂が口から漏れ出す。言い訳を考えなければ。昨日彼に筆箱を拾ってもらって、だから――うん、とりあえずこれでいこう。さあ、どこからでもかかってこい!

「…緋莉」

それよりもまず最初に、目の前の幼馴染がにっこりと笑った。びくりと肩が揺れる。ゆっくりと伸ばされた手は私の頭に触れ、やがてがんっと押される。あれ、デジャヴだなこれ。昨日二回もやられた気がする。

「どうしたのかな、一体」
「み、みっちゃ、」
「四の五の言わず答えてね?」
「…特に何もないで、」
「緋莉ちゃん」
「…後でちゃんと話します。ここだと目が…色んな目が…」

そろそろ殺気で殺されそうだ。ようやく教科書を置いてその上に覆いかぶされば、仕方ないと言いたげにため息をつかれる。「あとで聞くからね」そう言われ、私は頷いた。
たかだか男子に挨拶されただけでこんなにも神経削るなんて…これから先私はどうなってしまうんだろう。ストレスで倒れてしまうかもしれない…。ああ、きっと彼は後ろの席で笑ってるんだろうな…。
机に伏せながら不安だけが心を覆っていく。確かに昨日イエスと返事をしたのは私だし、普通に幸村くんの言葉には感銘を受けた。今さら不安がっても仕方ない。いじめとか、ハブりとか、あるかもしれないけど…頑張ろうって決めたんだから。
顔をあげる。みっちゃんは既に自分の席に戻ったのか、目の前には少しふくよかな男子生徒の背中がうつった。キーンコーンカーンコーン。タイミング良く鐘の音が響き、先生が教室に入って来る。
他人まかせかもしれないけれど、マネージャーしてくれと言ったのは向こうなんだ。私がよっぽどのことをしない限り、何か合っても守ってくれるって信じていいんだよね。うんむしろそう思おう。幸村くんとかいれば百人力だよ。むしろ幸村くんだけで十分だよ。どんな難敵にも勝てる。そう思えば、なんだか頑張れる気がしてきた。

■ □ ■ □

「は?マネ?」

さすがに教室でそんな話はできない。昼休み、みっちゃんとちぃちゃんを連れ出して校舎裏で昨日のあらすじを全て一字一句洩らさず(ちゃんと幸村くんの部分も違わず)吐き出せば、二人してぽかーんとした顔をしていた。それもそのはず。私なんて本当にただの生徒であって、特に何かが突起して優れているとか、綺麗だとか、そういうわけでもない。ましてやテニスに対しては苦手意識を持っているわけであるし、素人もいいところだ。彼らが私に目をつけたのはただたんに侑士といとこであるところ。そしてそこから色々調べてみたらイケメンは好きなのだが関わった時点でイケメンとは思わないという些細な部分であった。いくらかかわったとしてもイケメンはイケメンだよ。ただ付き合いが深まれば顔よりも中身に目がいくわけで、あまり気にならなくなるというか。

「ええ、マジで!凄いじゃん、緋莉!あのテニス部だよ?天下の宝刀みたいなものだよ?」
「…でも大丈夫なの?テニス部は厄介なファンクラブとかあるんだよ?マネとかいじめの標的じゃん」
「あ、そっか…。軽々しく喜べないね…」

心配そうに顔色が曇る二人に、嬉しくなった。それは2人共、私を思って言ってくれているわけだから、そう感じられる。

「でも…イエスって言っちゃったわけだし、」
「ちゃんと考えてのことだよね?」
「考えるっていうか…ほぼ強制的だったけど…。でももう後には引けないし…幸村くん怖いし…」

ぼそっと付け足した言葉は、彼女たち二人の耳には都合よく聞こえなかったらしい。王子の醜聞は聞きたくないらしい。このやろう。

「私は。緋莉が頑張るっていうなら、応援する。昔っからあんたは直ぐ泣き事言うけど、これからはそう簡単には言えないよ。分かるよね」

みっちゃんは真っ直ぐ私を見つめた。ちっちゃい頃から一緒にいるから、きっと私の不安とかも全部分かってるんだろうな。尽きず離れずの距離を保っているけれど、やっぱり私のことを一番に理解してくれているのはみっちゃんだった。「うん」だからこそ、素直に返事ができた。

「あたしも応援してるよ、緋莉!」
「ちぃちゃん」
「確かに大変かもしれないけど、緋莉なら大丈夫。だって緋莉は良い子だもん」

ふにゃ、とちぃちゃんは気の抜けるような笑みを浮かべる。――中学に入って、みっちゃんとクラスが別れて、誰にも声をかけることが出来なかった私にこの笑顔で声をかけてくれたことを思い出す。私はこの気の抜けたような、それでも人の心を安心させるような笑顔が大好きなんだ。

「ありがとう、ちぃちゃん。みっちゃん」

二人の激励に胸がいっぱいになる。たかだかマネージャーになるってだけで、こんなことってあるのかと思うけれど…立海ならあり得る。何せテニス部は人気者揃い、ファンが多い。だからこそ、彼等に関わろうものならその分苦労も多くなる。

(みっちゃんもちぃちゃんも、友達でいてくれる)

それがとても有り難かった。こんなことで離れるような、嫉妬して怒るような友達でないことは重々承知だったが。それでも面と向かって言われれば、安心するものだ。

「それに、」

ほっと胸をなで下ろしていると、不意にちぃちゃんが少しだけ悪戯を企むような顔をした。ん?と言葉を促せば。

「緋莉がテニス部のマネージャーになれば、あたしたちもテニス部と近くなれるよね!」
「そうそう。実際マネとか面倒だししたくもないけど、近づくならマネしかないし。緋莉がそれを引き受けてくれたから、ラッキーとしかいいようがないね」
「やだ、どうしよう。幸村くんに名前呼ばれたら!」
「いやいや丸井くんだよ」

こ、こいつら…。きゃっきゃと騒ぎ合う二人を見て、私は茫然と箸を落とした。

□ ■ □ ■

のろのろと準備をすれば、後ろからふっと甘い匂いがした。ちらりと一瞥すれば、言わずもがな綺麗な銀色の髪を持った彼――仁王くんが、私の横を通り過ぎる。

―――…仁王が連れてくるって言ってたから。

昨日私を有無を言わさず連れ去ったり、朝15人程度のひとが見ている中で挨拶をしてくれたり、と既に仁王くんは私の中では苦手ポジションを占めていた。彼は絶対意識下においてやっている。性質が悪い。はぁ、とため息をついて、鞄と手提げを持った。顔をあげれば、仁王くんは黒板の前にいて、ちらりと廊下を見る。出ろ、ってことかな。もう一度だけため息をついて廊下に出れば、未だがやがやと群衆の声が響いている。今から部活に向かうもの、委員会に向かうもの、帰宅するもの。もちろん一昨日までの私は帰宅するものに交じっていた。みっちゃんとちぃちゃんは部活だったので一人で早く帰ってパソコンやったりゲームやったり。楽しい、日々だった…。

「行くぜよ。ちゃんと付いてきんしゃい」

入口付近で立ち往生していると、後ろから仁王くんがぼそっと呟いた。うわわわわ…。無駄に良い声だ…。ぞわりと身の毛がよだった。ちらりと振り返れば口の端だけ上げている彼の姿。私を追い越し、女子にキャーキャー言われながら歩いて行く。きゃー…仁王くーん。とりあえず付かず離れず、友達との距離のように保って歩けばいいだろう。仁王くんもそこらへんは弁えているのか、少しだけ歩くペースを緩めてくれている。

(揺れてる髪の毛…綺麗だなぁ…)

――相変わらず綺麗な銀色の髪をしている。日本人ではあまり見かけない色だからこそ、余計に女の子は惹かれてしまうのだろうか。目の前を颯爽と歩く姿を目に入れていると、そんなことを思ってしまった。時々立ち止まってくれているところから、おそらく中々こない私を待ってくれているのだと思う。幸村くんに連れてこいと言われているからなのか、そういうところが律儀だと思った。


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