体育館では……長座体前屈かー。体硬すぎるんだけど、大丈夫かな。一応準備体操しておこう。あっ、さっきの50m走準備体操しなかったじゃん……そりゃ足も攣るわけだわ。

「芹さん、ですか?」
「わわ!えっと……」

突然後ろから話しかけられて、肩をこわばらせた。高すぎず、でも低すぎない心地よい凛とした声に後ろを振り向く。少し困った顔をした女の子が立っていた。

「ご、ごめんなさい、脅かすつもりはありませんでした……。先ほど足を攣ってらしたので無理してないかなと思いまして……」
「あ、ああああなんと、あんな恥ずかしいところ見られてたのかぁぁ……!」

さっきの醜態が頭の中でフラッシュバックする。恥ずかしさのあまりに顔全体に熱がこもる。このままじゃ沸騰してしまう。無理やりにでも記憶を消したくて消したくてしょうがなかったが、なかなか消えてくれるものではない。頭に張り付いた場面から目をそらすように、両手で顔を隠した。

「誰でもそういうことはありますわ……!それに、とっても早かったわ!びっくりしました!」

曇りのない笑顔で褒めてくれた。さっきのお茶子ちゃんとは違って、今度は恥ずかしさがどんどんと増してく。嬉しさも相まってなんだかごちゃごちゃとしてきた。口を数回パクパクさせて、やっとのことでありがとう、とか細い声で言うことができた。そんな私の様子を見て、目の前にいる女の子はクスリと笑った。

「そうでした、名前を伝えてませんでいたね?八百万百と言います。よろしくお願いします」

シャンとした背筋を折って綺麗にお辞儀する彼女は、とても綺麗だった。慌てて、私もよろしくお願いしますと言ってお辞儀をした。勢いあまって首が曲がってしまった。なにげに痛いぞ。

「あれ、そういえば、名前……」
「はい。クラス名簿が配布されてて、それを見て覚えました」
「ひ、ひぇぇぇ!すごい!私の脳みそと入れ替えてほしい……!」

あ、でも私じゃあ八百万さんの頭を使いこなせる自信ないな……あ、でも頭を変えるんだったら元が変わるからいけるかもしれない……!とブツブツ喋っているとまた八百万さんがクスリと笑った。私、八百万さんを笑わせる天才かもしれない。

「百って呼んでください」
「へぁ!?百ちゃん……!?」
「はい、そう呼んでくださる方が嬉しいです」
「それなら!図々しくも百ちゃんと呼ばせていただきます!」

ビシッと敬礼しながら、百ちゃん、百ちゃんかぁと反芻した。
だらしなく口角を緩ませていると、前のペアが長座体前屈を終えて一つ器具が開いた。

「あれ、芹ちゃん!」

元気な声が聞こえて見てみれば、そこにはお茶子ちゃんがいた。一足先に記録をとっていたみたいだった。

「お茶子ちゃん!」
「あれー!百ちゃんも一緒にいる!」
「僭越ながら百ちゃんとお友達になりました……!」

嬉しいことだったので即座にお茶子ちゃんに報告をした。するとお茶子ちゃんは屈託のない笑顔をしてよかったね!と言ってくれた。ああ、みんなの笑顔がまぶしい。

「芹さんとお友達になりたかったんです」
「へ、あ、う、そうなの?」

はい、と百ちゃんは力強く頷いた。ぽかんとする私を置いて百ちゃんは言葉を紡いでいった。

「誰とでもすぐに、お友達になれる芹さんを見ていたんです。にこにこした笑顔と真っすぐなところを見ていて私もお友達になれたら……って思ったんです。」
「なんだか照れるぅぅぅ……」
「こういうところがかわいいな、と」
「やめてさっきから恥ずかしさばかりがぁぁぁ」

にこにこと笑いながら百ちゃんがほめ殺しにかかってきたので、さっきとはまた違った恥ずかしさがこみ上げてきて耳をふさいだ。隣にいるお茶子ちゃんもにこにことしながらでしょ!と言った。ど、同意しないで照れるから……。

「う、嬉しい!けど!恥ずかしい!は、早くこの測定しよう……!」
「ふふ、そうですね。麗日さん、またあとで」
「うん!またあとで皆でしゃべろうな!」

そういうとお茶子ちゃんはバイバイ!と元気よく手を振って体育館を出ていった。パタパタと遠のいていく足音を聞きながら私たちは測定に取り掛かった。体力テストのために用意された鋭利な鉛筆。まだまだ空白の多い記録用紙。四つの足にタイヤが付いた器具。

「それにしても、百ちゃん、周りをすごい見ているんだね」

測定をしながら思ったことをポツリとこぼした。

「そうですか?」
「うん。……あ、記録45p」

そう言って記録用紙にさらさらと数字を書く。45。体柔らかいなー、羨ましい。

「ありがとうございます。変わりますね」
「はーい!」

元気よく返事をして今度は私が記録を取られる方。

「さっきの続きだけど、私の足攣ってたのも見てたでしょ?誰とでも仲良くなれるっていうの、切島くんのことももしかして含んでるのかなぁって思って……よいしょ」
「はい。私が一番後ろだったのもあるんですけど、芹さんと切島くんのやり取りは見てました」
「私の個性を見たことないって言ってたのも、他の人のは見たことあるのかなーって思って……あいででで」
「そうですね。皆さんの個性は体力テストや教室で見ていました……記録12pです」
「えっっ、思った以上にひどい記録に私は驚いている」
「ストレッチしましょう、芹さん」

そりゃ足も攣るわ……頑張ります……。
ひどい記録を百ちゃんが達筆な字で記録用紙に書き留める。達筆な字でそんな数字書かせちゃってごめん。
重い腰を上げて立ち上がり、背伸びをする。もっともっと、上へ上へ。

「お、涼村!」

今日はやたらと名前を呼ばれることが多いみたいだ。伸びをやめて振り返ると、上鳴くんと耳郎さんがいた。
そういえば、私、二人を置いてってしまったんだった。あの時の恥ずかしさのあまりに一人で突っ走っていた。

「あ、上鳴くん、耳郎さん、さっきは置いてっちゃってごめん!」
「いいよいいよ。気にしてないよ」
「風使ってなくても、ぴゅーって走ってったな!」

上鳴くんと耳郎さんは笑っていた。その笑顔に安心して胸をなでおろす。皆の笑顔は本当に安心するな。
伸びのおかげでシャンとした背をもう一度正す。

「もう終わった?」
「うん!どうぞどうぞ、使って!」

綺麗に整えた器具を譲る。私の記録用紙は……百ちゃんが持ってくれているようだった。
あのひどい数字を見られなくてよかった。

「私は次のやつやってくるー!」
「本当、芹は元気だね」
「それが取り柄ですから!」

そう言って上鳴くんと耳郎さんに手を振って二人とは別れた。
次は何行こうかな、と思って百ちゃんと一緒に体育館から出ようとした時、外から爆風が吹いてきた。バサバサと音を立てて何かが目の前を塞いできて一瞬にして視界が真っ暗になる。不安になって手をこわばらせる。

「〜〜!?」
「芹さん!落ち葉が顔にたくさん纏わりついてますわ!」
「お、落ち葉か!」

はい、といいながら纏わりついた落ち葉を払うのを手伝ってくれた。かさかさとゆっくり落ち葉が落ちてく。良好な視界と新鮮な空気を取り戻すと落ち着いていくことが分かった。人間にはやはり視界と空気は大事なようだ。

「それより……」
「あれは緑谷くんですわ」

グラウンドの円に立っている出久くんを見る。
手を強く握り汗をたらしているのを見ると、蒸気した熱量が伝わってくる。4月の穏やかな気候とは真反対。体の水分も持っていかれてしまうような。きっとみんなもそうだろう。さっきとは違った優しい風が出久くんの髪を、頬を撫でていった。まるで火照った体を優しく冷ますように。

「先生……まだ、大丈夫です!」

出久くんの迷いのない声が相澤先生を貫く。目を見開いた先生は面白そうに笑っていた。

「出久くん、いい結果出せたのかな」
「知り合いなんですか?」
「幼馴染なんだ。大切な……」
「そうなんですね」

百ちゃんは凛とした優しい顔でまっすぐと出久くんを見ていた。私も一緒になって出久くんを見る。
太陽の下に立って真剣に先生と向き合う出久くんはまるでヒーローのようだった。

眩しくて思わず目を細めた。


 

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