相澤消汰との関係




研究所の息苦しさに耐えられなくなると、キティはその個性を遺憾無く発揮し脱走を試みるのだった。10回に1度くらいの成功率である。聞くところによるとそのうちの8回程度は外に出ない方がいいという状況だったらしい。我ながらこの個性はどこでそんな情報を手に入れてきているのだろうと不思議に思いながら、最後の階段を登りきる。
がちゃん、と最後の扉の南京錠が音を立て開いた。どうやら雨風にさらされたせいで緩くなってしまっていたようだ。これも個性の所為なのだろうと思うと微妙な心境になる。

さて、今回は脱出に成功したようだった。

久しぶりの太陽の光に照らされればくらりと目眩がした。そろそろ三十路だと名乗れないかもしれないと衰えへの恐怖をキティは自覚して溜め息を吐く。
衰え始めた肌を隠すようにフードを深く被り、雑踏の中に足を踏み入れ、紛れ込ませる。

携帯電話を取り出して、目的の男の名を指先で探し当てる。通話ボタンを押してから耳許にあてた。ぷるるると甲高い機械音が鳴る。
この携帯電話は特注品でGPSは搭載されていない。もうひとつの管理用携帯電話は電源を落としてポケットに入れてある。今回は、お忍びのために勘弁してほしいのである。といってもどうせ己の行動パターンは研究所の職員には知れ渡っているのだからGPSがあってもなくても変わらないだろうと思うためでもあるが。

ぷるるるという呼び出し音が切れ、通話が繋がったのがわかるとキティは話始めた。

「あ、もしもし。いれいざーへっどさんですか?」

軽快な声で尋ねていたものの、その横文字の発音は酷いものだった。日本語英語というにも躊躇われる程度には。しかし、その電話の掛けられた相手はその英語の発音よりも、キティの声に驚いたようだった。

「黒柳か?」
「そうです。お久しぶりです、相澤くん。今雄英高校に向かう途中の大通りを歩いています」
「…また脱走したわけだな」

溜め息混じりの声に、キティは苦笑を浮かべた。
キティと相澤は、高校からの付き合いがある。それは問題児とその保護者のようなもので、甘さは欠片もない関係であるし、どちらかといえば、利害の一致した関係でもあった。

きゃああああ!!!!!!!

突如、耳をつんざくような突然の悲鳴が上がった。それに気付いたキティは携帯電話のボタンを押してオープンにする。

「◯◯町△△番交差点です。目印は赤いすーぱー。さっきの悲鳴は…銀行?」
「了解した。直ぐに向かう」

ぶちり、と通話が途絶えた。乱暴な切り方だなぁとぼんやりと思いながらその場に制止した。

悲鳴が上がったのは、キティの立つ道路の反対側、角に面した銀行だった。その銀行を注視していれば、パァン、という乾いた発砲音が響き渡る。悲鳴を聞き付け出来かけていた人だかりは、蟻の巣をつつくように一瞬で散り散りになった。

この場合キティにとって「ヒーローと連絡が取れていたこと」が幸運であり、「起こってしまった事件に遭遇していない」ことも幸運として数えられる。しかし、裏を返せば「キティが脱走していなければ起こらなったかもしれない出来事」でもある。「起こってしまった事件に巻き込まれた人々」は不運だったと言うしかないというのもある。

「どうしましょうか」

困った顔で呟いた。
これ以上、被害を拡大しないためにはこの事件になんらかの形で関わらなければならないことを、長年の経験からキティは理解していた。
しかし、ここは雄英高校の目と鼻の先。じっとしていれば即座に解決に持っていけるかもしれない期待も少なからずある。

長年の経験を信じるべきか期待をとるべきか迷いながら、銀行強盗の立てこもりが起こっている様子をじっと観察する。

男だと思われる背格好が3人。うち、異形系個性が1人。他人の行動制限できる系統の個性が1人。身体強化の個性が1人のようだ。バランスがとれたメンバー構成といえば聞こえがいいが立派な犯罪行為である。

キティに正義感といったものは欠片もないので、犯罪行為がいくら行われようが勝手にしてくれと常日頃考えてはいるのだが、如何せん原因が己かもしれないと思うと尻拭いすべきは己の役割だと思う性分ではあった。責任感が思いの外強いのである。

「あっちゃあ、ありゃだめだ」

じっと様子を窺っていたキティは、ぼそりと言葉を漏らした。
ある程度危険がなさそうであれば、ヒーローの到着を待つところであったが、銀行強盗の1人が幼女を人質に取ったのを目撃してしまえば、その意思を180度転換することを余儀なくされてしまうのも仕方がない。

キティは、道路を突っ切った。幸い、車通りはほぼなかった。
キティが跳ねられることは万が一にも有り得ないが、キティが飛び出したことによる急ブレーキで事故やらそれに伴う渋滞が発生しなかったのはある意味奇跡的だった。

自動ドアが開き、キティは中に突入する。

「そこまでです!」

目的地まで辿り着けば、キティは格好良く言い放った。

……のは、よかった。まだ。銀行強盗に物申しただけだったからだ。だけ、と言うのもおかしな話ではあるものの、言うだけならタダである。

しかし、言われた側の銀行強盗側の反応は鈍かった。乱入してきた第三者に呆気にとられたのであろう顔が3つ並ぶ。それに一般人の人たちを加えると、その場にいた全ての者が呆然としている状況だった。

「何だ、この餓鬼」

銀行強盗の異形系個性の男は不快そうに呟く。
キティは悠然とした態度でその言葉を受け止め、餓鬼と言う呼称に対してキティは気を害した様子はない。
その風格は、ただの餓鬼ではないと思わせるものではあるが、それに気付かぬまま男達は舐めきった態度で応対した。
すると、キティは不敵とも思える笑みを浮かべた。

「ごきげんよう、みなさん。弱いものいじめをしている気分はいかがですか?」

軽快な口振りでキティは、言う。軽薄ともとれる煽り文句を並べた。
銀行強盗の行われている場面ではそぐわないと誰しもが思うが、誰も指摘することはない。

「何言ってやがる!」

挑発に乗った、他人の行動制限を行える個性をもつ男は、大きな声で怒鳴った。
キティは猫のような目を一度ぱちくりとさせてから、男を鼻で嗤った。

「いやですね、本当の事を言って怒るだなんて!まるで子どものようではないですか」

やや、芝居がかった口調で言いながら、キティは一歩男達に近付いた。

「餓鬼だからって調子のってんじゃねえぞ!」

身体強化系の男は一歩前に出て威嚇するも、キティはどこふく風の様子で、男達の方に足を進めるばかりだ。

しかし、言葉をキティが重ねる毎に、男達の表情は徐々に変わっていた。僅かながらも確実に感じとれる程度には。

「ああ、そんな愛らしい幼子を捕まえて、脅すだなんて、お兄さん方は人の風上にも置けませんね。自分達が強者だとでも思ってるんですか?」

嫌悪を僅かに漂わせながらキティはさらさらと淀みなく述べる。
距離があと20歩程度となった時、幼女に突きつけていた銃をキティに向けて構えた。

「来るなっ……、近付くな……!」

声の質は、いつの間にか変化していた。震え、怯えが滲んでいる。赤ら顔から、血の気の失せた青ざめた顔に変わった男達は、キティが一歩近付く度に後ずさっていた。

怯えた男が、戦慄く指でトリガーを引いた。
発砲音が響き渡る。
しかし、その弾はキティに当たることはなく柱の一角にめり込んだ。
キティは一連の流れに全く動じず、むしろ、殊更ゆっくりと男達との距離を詰めた。

「……キティには、当たりませんよ?」

笑みを絶やさぬまま、キティは歌うように言葉を紡ぐ。そして、最後の一歩を踏み出した。
すでに男達は腰を抜かし、キティを見て恐れ戦いている。

「キティ、様……おゆるしを、」

男達は口々に縋る言葉を口にする。
最早男達の顔に血の気はなかった。キティを見る目は明らかに変わっていた。第三者からみれば明らかな異常だった。しかしそれを指摘する者はこの空間には誰もいない。

「ああ、非常に残念なことですね。決して、私は貴方方を、許しはしないでしょう。」

──懺悔は地獄でご勝手に。

キティは男達の耳元で囁く。残念だといいながら欠片も残念そうな響きはなく、ひたすらに褪めきった台詞で男達の懇願を両断した。
男達は崇拝していた神様に裏切りがばれてしまった時のような、悲壮に満ちた顔をしていた。
男達の絶望顔の滑稽さに、キティは妖しく笑うのだった。

次の瞬間、キティにとっては見慣れた白いロープが男達に巻き付いた。キティは身じろぎ1つせずに様子を静観する。一纏まりにされた男達はキティの頭上を超え、キティの背後の床に叩きつけられる音がする。

「おい、キティ」
「ああ、いれいざーへっどさん。早いご到着でしたね」

名前を呼ばれれば、くるりと振り返り相手の顔を見上げ、男達に向けていた笑みとは違う快活そうな微笑みを向けた。キティの背後に立った男──イレイザーヘッドこと相澤消太は、不機嫌そうなオーラを纏わせていた。

「…事態を大きくするつもりなんてなかったんですけど、ね」

相澤の不穏な空気を感じとれば言い訳するように呟き、フードを深く被り直した。
ふ、と見ると、相澤の後ろでは警官達が男達に手錠を掛けて車に乗せられようとしているところだった。
キティは相澤をその場に置いて彼等に近付き、ぱちん、と指を弾いて音を鳴らした。
ぱちぱちと催眠が解けた男達は数度瞬きをし、正気を取り戻したようだった。
キティはそれを見届けると踵を返し、今度は別の相手に近付く。


「…?」

泣きじゃくっていた幼女が顔を上げた。涙がその大きな目に溜まり、もう少しで零れ落ちようとしてる。それを手を伸ばして拭い、小さく微笑みかけた。

「……怖い思いさせてごめんなさい。大丈夫と声を掛けるべきは私ではないことは知っているんですが…あなたが無事で良かったです」

幼女に触れていた手を何者かに払われる。キティはその痛みを表情に表すことはなく、ただ払った相手を憮然とした態度で見詰めた。

「うちの子に近付かないで!!!!」

ヒステリックに叫んだ母親は幼子を抱き抱える。母親の変貌ぶりに幼女はただ戸惑ったように「まま?」と言葉を投げ掛けた。
対してキティは、敵意を剥き出しにした母親の瞳を見つめながら、穏やかに微笑んだ。

「はい、今後一切近付きません。
……どうか、その子の手を二度と離さないようにしてくださいね」

キティは立ち上がり、それ以上何も言わずにその場から離れた。
感情の高ぶる相手が後ろで喚いているのを聞き流しながら、キティは漸く相澤の前で立ち止まった。

「さあ、行きましょう。銀行に用はありませんし。引き落とすだけの残高もありませんからね。残念です」

肩を竦めてキティは言う。そして、ゆるりと出口に足を向け、歩き出した。それに相澤は何も言わずに続く。
銀行を後にした二人は、警察と野次馬の犇めく中をするりと抜けた。そして、黙々と歩き出す。口を開こうとはしなかった。
雄英高校までの道のりである。まだ交通ラッシュははじまらない時間帯のため車通りは少ない。
暫くして、相澤は重い口を開く。

「…大丈夫か」

その口調は何処か労しさがある。何に対して言われているのかキティは分からないとでも言うように、軽い調子で続ける。

「勿論。私を誰だと思ってるんです?キティですよキティ。幸運の申し子、赤い悪魔、不幸の黒猫、通り名は沢山ありますけど、やっぱり歩く人災がなかなかちゃーみんぐだと思います」

キティは楽しげに笑って見せた。
相澤は頭を掻き、ぽんと頭の上に掌を乗せた。不可解そうに眉を顰めたキティは、首を傾げた。

「何ですか相澤くん。君もキティのことを餓鬼とか言うんですか?」
「餓鬼だろ。いつまで経っても背も身長も伸びない餓鬼」
「立派なれでぃに対してなんて言い種…!そんなんだからモテないんですよ」
「言っとくが俺はそこそこモテる」
「キティだってもてますもん!それはもうもてもてのうはうはですよ」
「どうせ残念な奴等に陶酔されてるだけだろう」
「まあそうともいいますね」

そうやって軽口を叩いていれば、直ぐに目的地に着く。
そして、この雄英高校で、束の間の自由をキティは謳歌するのである。








前へ次へ