虚無。真っ白い天井をぼうっと見上げる。
『俺と友達になるー?』
しゃがんで、目線を合わせてそう言ってくれた蘭くんの連絡先を消してしまった。
今まで通りに戻っただけ。間違って六本木へ行ってしまったあの日より前の日常と何も変わらない日々。そのはずなのに、ひどく空っぽの気分だった。
「なんで、六本木で降りちゃったんだろう」
あの時真っ直ぐ帰っていれば、こんな気持ちにならなかったのに。ひとりぼっちでいることが、今までで一番寂しい。中学の途中からずっと、寂しさを我慢することが出来てきたはずなのに。慣れっこになった、はずなのに。
こんなことなら、蘭くんとお友達になんてなるんじゃなかった。
ソファに座って、携帯をタップしてみる。
蘭くんのアイコンはもちろん消えたまま。半間くんに送ったメッセージは返信がまだ返って来ていない。既読はついているのに。
きっと今、半間くんは「ダリィ」の時間なんだろう。だから仕方がない。そう分かっているけれど、寂しい。
寂しいけれど、欲張ったらダメだ。半間くんの言う通り、私と友達のままでいたら、蘭くんもきっと死神にやられてしまう。
皆がサッと引いていく中で、しゃがんで、友達になるか聞いてくれた蘭くん。何でもないことみたいに連絡先交換をしてくれて嬉しかった。
「嫌だな……」
蘭くんがケガをするのは嫌だ。彼が今までの子たちみたいに傷つくところは見たくない。
だから、これで良かったんだ。
半間くんが気まぐれに遊びに来てくれれば、それでいいの。寂しいなんて、思っちゃダメ。
そう分かっているのに、連絡先に蘭くんの名前が突然戻ってこないかなんて、未練がましく携帯を見てしまう。
そうしていると、着信音が鳴った。表示されている番号には心当たりがない。
「もしもし?」
「おー。元気ー?」
「蘭くん?」
「そー。お前のオトモダチの蘭くんー」
半間くんとは違う、男の子の声。
謎の電話は蘭くんからだった。
「本当の本当に?」
「ダチの声忘れんなよなー」
「うんっ……!」
ダチ。
蘭くんは私と今もお友達でいてくれるんだ。連絡先から勝手に消しちゃったのに。
「蘭くん、ごめんなさい……」
「何がー?」
「蘭くんのこと、連絡先から消し、消しちゃって……!」
「ああ、そのコト」
怒った風なんか全くなく、蘭くんの声は飄々としていた。
「蘭くん、私、一瞬でも蘭くんとお友達になれて嬉しかった……!」
「新宿駅来いよ。今すぐな」
「え?蘭くん?もしもし?……切れちゃった」
お友達になってくれてありがとう。お別れになる前にそう伝えたかったのに、電話を切られてしまった。
しかも呼び出された。
駅なら、「新宿から出ない」という半間くんとの約束は守れるはずだ。
……けれど。
死神憑きの私と会ったら、蘭くんが怪我をしてしまうかもしれない。
「危ないから行けない」って連絡したいのに、蘭くんがくれた電話に何回電話をしても、呼び出し音がなり続けているだけだった。
「駅に行かなきゃ」
やっぱり蘭くんとはお友達になれないって、会ってハッキリ言わないと。
サンダルを履いて、ドアを開ける。
途中、街ですれ違う半間くんみたいに大きな男の人たちが、少し遠くから「お疲れ様です!!」とお辞儀をしてきた。
きっと皆、私に憑いてる死神が見えていて、それに挨拶してるんだ。やっぱり半間くんの言う通り、新宿を出たら死神にやられちゃうんだ。
「蘭くんっ!」
「おせー」
ガードレールを独り占めするみたいに座っていた蘭くんが、着いたばかりの私に目線だけを寄越す。
「蘭くん、無傷……」
「何、残念?」
「ううん、今までは皆、ケガしちゃったからっ……」
奇跡だ。
私と友達になったのに、蘭くんはピンピンしてる。
「言ったろー?カリスマはチンケな死神なんかに殺られねーよ」
「さすが……!」
さすがカリスマ教祖。持ってるパワー的なものがきっと普通とは違うんだ。すごい。
「でも半間くんが……」
「アン?」
「映画だったら蘭くんみたいな人が一番ひどい目に遭うって」
「知らねー」
蘭くんはひどくつまらなそうな顔をして、三つ編みをくるくると弄った。毛先に枝毛でもあったのか、むっと眉間にしわを寄せている。
「蘭くん、あのね、」
「何ー?」
「私、わたしっ、蘭くんとお友達やめるっ!」
「却下ー」
「えっ」
服の裾を握り込んで、覚悟を決めて言った言葉が一瞬で却下されてしまった。
「ダメ、却下を却下!」
「じゃあ却下を却下を却下〜」
「えっ」
じゃあ却下を却下を却下を……。
あれ?今何個だったっけ?
ダメだ、よく分からない。
「とにかく、蘭くんとはお友だちやめるからっ!ばいばいっ!」
「それはナマエの本心なワケ?」
ガードレールから蘭くんが立ち上がる。澄んだ紫色の目に見下ろされるのが、なんとなく後ろめたい。
「蘭くんとは、お友だちやめなきゃいけないの」
「だからテメェがそうしたいのかって聞いてんだけど?」
「……どうしてそんなこと聞くの?」
「大事なコトだろォー?」
で、どうなんだよ。
走り抜けていく車の音や通り過ぎていく人たちの話し声に混じって、蘭くんの問う声が響く。
「やだよ……」
蘭くんのすっきりした声とは違う、ぐずぐずの情けない声が出た。
「本当はやだよ、蘭くんと友達やめたくない」
高校生になってから、初めてできた友達。ばい菌を避けるみたいに皆が私を遠巻きにする中で、気さくに話しかけてくれた人。
できるなら、ずっと友達でいたい。
……でも。
「でも、蘭ぐんとっ、友達でいたらっ、蘭くんがころ、されちゃうからっ……!」
「泣いてんの?ウケる」
「ウケないっ!蘭くんのバカッ!」
ボタボタと勝手にこぼれてくる涙を手の甲で拭いながら言うと、蘭くんが鼻で笑うフッという音が聞こえた。
「笑いごとじゃないの!蘭くん、死んじゃうかもしれないんだよ!?」
「ガチ泣きじゃん」
言ったそばから、蘭くんは面白そうにけらけらと笑っている。お腹を叩こうとすると、その場から動かないままヒョイと交わされた。
「奥歯折られちゃったり、いっぱい怪我したりするんだよ!?」
「へー」
「『へー』じゃないの!本当なんだから!」
「知ってる。ナマエがウソ言ってねェのは分かる」
「分かってない!蘭くんは、全然、分かってない……!」
怒って言うと、蘭くんは面白そうに唇の端っこをほんの少しニヤッとさせていたのを引っ込めた。低く静かな声で「分かる」と言った蘭くんは、からかっている感じではなくなっていた。
「蘭くんみたいに、友達でいようとしてくれた子もいたの」
「フーン」
「でも、塾の帰りに鉄パイプで殴られちゃった。誰かに恨まれるような子じゃなかったのに。わ、わたし、の、せいでっ」
「うんうん。落ち着け―?」
私の友達ばかり”死神”にケガをさせられる。最後まで「偶然だ」と励ましてくれた子は夜道で誰かに顔を殴られて、奥歯も2本折られてしまった。
「なんとかなる」と励ましてくれた彼は、最後には気まずそうに合った目線を逸らしていたっけ。彼のニカっと笑う顔と目元の腫れ上がった顔が交互にフラッシュバックする。
私のせいで、たくさんの人がケガをした。
私の、せいで。
「オイ。ナマエ、息整えろ。ヘーキだから」
吸ってー、吐いてーと蘭くんの低い声が、子守歌みたいに聞こえてくる。蘭くんがそうしてくれたおかげで、ハッハッと短くなっていた呼吸が魔法みたいに落ち着いていく。
「ご、め」
「いーから。息整えることだけ考えろ」
コクリと首を動かすと、「上出来」と笑いを含んだ蘭くんの静かな声が響いた。
友達がどんどんいなくなって、半間くんに頼ってばっかりで。
褒めるように「上出来」なんて言ってもらえたのはいつ以来だろう。
「蘭ぐんッ」
「おー。もう喋れんの?スゲーじゃん」
「うん、私、わだじっ」
「うんうん」
本当は、友達でいたい。
そう言おうと顔を上げると、まだ昼間なのに後ろから暗い影が差した。
「ばあ♡」
「は、んまくん……」
かくれんぼの鬼に見つかったみたいに、心臓がどきりと跳ね上がる。
見上げた半間くんの顔は、唇はいつもみたいに吊り上がっているのに、目がピリピリと険しい。
いつかテーブルの下で見た死神みたいに、半間くんの切れ長の目が金色に光っていた。
YA'ABURNEE