潜入任務に行ってから尊奈門の様子がおかしい。
ドクタケ潜入の翌日、タソガレドキ忍軍組頭・雑渡昆奈門は小首を傾げた。
食事をする時も、忍術の訓練をする時も、まるで魂が半分抜けてしまっているかのように注意散漫だ。かと思えば突然やる気に燃え始め、いつも以上に向こう見ずに訓練にのめり込んで無駄な生傷を増やしている。
最初ははぐれてしまったことで気落ちしているのかと思っていたが、どうも違うようだ。

「尊奈門。どうしたの」

このままでは事故の元。訓練は勿論、任務になどとても出せる状態ではないと、雑渡は軽く声をかけた。

「組頭。どうしたの、とは?」

きょとんとした顔で尊奈門は言った。半日でこれだけケガをこしらえておきながら、自分の挙動不審に無自覚らしい。

「気づいてないのか。そのままだと暫く任務には連れて行けない」
「そんなっ!それではナマエは――」
「ナマエ?」

聞き覚えのない女の名前を繰り返すと、尊奈門は肩をビクリと跳ねさせて「しまった」とばかりに口を覆った。

物思いに耽る顔。
繰り返される溜め息。
何をやっても気がそぞろになる。

確かに今日の尊奈門の挙動不審は恋煩いで説明がつく。
だが、それでは非常に不味いのだ。
尊奈門がおかしくなったのは任務の帰りから。つまり尊奈門の懸想相手はドクタケ城内にいることになる。
⋯⋯罠の可能性が高い。タソガレドキ忍軍は色の訓練も厳しく行う。色の訓練と言うと女を恋と身体で惑わせることを想像して鼻の下を伸ばす者も多いが、大抵の場合男は仕掛ける側ではなく仕掛けられる側なので、「素性の知れない女に関わるな、わざわざ近づいて来る女は疑え」と、口を酸っぱくして教えるのだ。
敵地の城内にいて、忍者装束を着た明らかな曲者に名前を教える女。どう考えても怪しい。若く未熟であれど、訓練で一度覚えたことは忠実に守る尊奈門が、ここまで骨抜きになるとは、余程その女——。

「美人なの?」
「え?」
「ナマエって子。お前がそんなになるくらいだ」

頭ごなしに叱っても仕方がない。まずは共感して相手の女が誰なのか吐かせ、ことと次第によってはその女を始末せねば。
こちらの思惑を知らない尊奈門が照れの窺える顔でモゴモゴと口を開くのを、雑渡は隻眼で静かに見つめていた。

「可憐で、将来が楽しみです」

⋯⋯将来が⋯⋯楽しみ⋯⋯?
尊奈門もまだ若いのに、一体相手の女は何歳なんだと口元が引きつる。
しかしここで表情に出してはいけない。叱ってもいけない。共感、大事なのは共感だ。

「ふーん。若い子なんだね」
「はい。十三、四くらいかと」
「お前をそんな風に育てた覚えはないぞ」

叱るまいと思っていたのを忘れ、雑渡はつい語気を強めて腕組みをした。
十三、十四など忍たま上級生と変わらない子どもだ。世間的に見れば嫁入りの珍しくない年齢とはいえ、タソガレドキ忍軍で色の訓練も受けているはずの尊奈門が、まさか。

「子どもの色に引っかかるなんて⋯⋯」
「色!?違います!ナマエはそんな女じゃありません!」

曇りなきまなこ。

あ、ヤバい。
雑渡はその目を見て直感した。組頭まで登り詰めた、長年の忍者としての勘だった。
経験の浅い忍というのは、色に引っかかるとこういう顔をする。こうなった相手に「それは色だ、お前は色に引っかかっている」と指摘すると、「彼女は違う!」と必死になって否定して、否定しきれないと知ると「彼女は悪いやつに騙されているんだ!」と無理やりにでも女のことを擁護するのだ。

「ナマエは違います!ナマエはドクタケに囚われて、稗田八方斎に洗脳されているんです!」

ほら、ね。
頭を押さえたくなるのを我慢しながら、雑渡は神妙な顔を作って頷いた。

「じゃあ一緒に助けられるように頑張ろう。ナマエはドクタケのどこに囚われてるの?」
「組頭⋯⋯!はい!ナマエは⋯⋯」

喋り始めた尊奈門の言葉に耳を傾けながら、ナマエとやらをどう「処理」すべきか、雑渡は組頭としての思考を巡らせた。



⋯⋯それ、幻術じゃないの?
尊奈門の語る「ドクタケ城に囚われた憐れなナマエ姫」の話を聞けば聞くほどそう言いたくなるのを、雑渡は何度も飲み込んだ。

聞いたことのない南蛮の歌を歌っていて、城の中の簡素な部屋で暮らしていて、彼女曰く身の回りの世話はほとんどが八方斎。

まずドクタケ領に南蛮貿易のツテはない。南蛮留学者を招き入れているとは聞くが、娘が歌を覚えるほどの機会はあるのだろうか。しかしどこか別の領の、例えば南蛮との付き合いのある商家の娘を攫って来たのなら、騒ぎになって争いが起きているはずだがそれもない。そして忍者隊の頭領がわざわざ世話を焼くほどの、それなりの身分であろう娘。
考えるほど、奇妙なことだらけだ。尊奈門が見たのは八方斎の幻術と片付けてしまうのが一番楽ではある。
気にはかかる。かかるが、仕事を止めるほどではない。特に、稗田八方斎は舐めてかかると痛い目を見る、意外と厄介な男だ。特に2年前に起きた鞠男事件は思い出したくもない。八方斎が不在にすると聞きつけて黒鷲隊の一部のみを潜入にやったら酷い目に遭った。「人の気配が無いのに突然『まーりおー!』と知らない男の声がした」、「とにかく前に進まなければという気に駆られる音楽が鳴り出して、地図と違う道を進んでしまった」、「『まんまみーあ』と謎の言葉が聞こえた。あれは呪詛ではないか」と、帰ってきた隊員たちがことごとく混乱していた。
この「ドクタケ鞠男の怪」は今では黒鷲隊だけでなく全ての隊が知る怪談話となり、あれ以来ドクタケと関わる任務には皆若干及び腰である。

「尊奈門、2日連続でドクタケに忍ぶのは危険だ。まず私が今晩単独で忍ぼう」
「はい!」

頷いている尊奈門には悪いが、仮に尊奈門の言う通り囚われの娘がいたとして、手出しするつもりはない。それを救う益がタソガレドキにはないからだ。むしろ余計な火種を撒く可能性がある。
尊奈門には「潜入したがそんな少女はいなかった」と伝え――。

⋯⋯ドクタケのことを考えていたからだろうか。
前方に見覚えのある、頭身の低い長髪禿頭がいる。そして隣には十三、四と思しき女子。

「組頭、あれ――」
「ああ。八方斎だ」
「ナマエ!」

叫んで飛び出そうとした尊奈門を抑えて慌てて茂みへと飛び込む。

「落ち着け尊奈門。2人の会話を聞いてみるんだ」
「むぐぐ」

おかしい。どうして――。
どうして稗田八方斎が女子を連れて忍術学園の門の前にいる!?
ドクタケと忍術学園がいつの間にか手を結んだのか?

「大丈夫ですかな、姫様」
「うん。八方斎、もうこの確認七回目じゃない?」
「確認は念入りにやるほど良いのです。ささ、」
「うん。『学園長先生こんにちは。きの⋯木之本ナマエです!ドクタケ忍者隊頭領の稗田八方斎の部下の息子の父親の上司の娘です!ここに編入学させてください!』」
「すばらしいですぞー!!」

茶番か。オーバーに拍手する八方斎を見て思わずジト目になる。

「さっ、もう1度」
「うん!『学園長先生こんにちは。きの⋯⋯木之本ナマエです!ドクタケ忍者隊頭領の、稗田八方斎の部下の子どもの父親の上司の娘です!ここに入学したいです!!』」
「すーばーらーしーいーー!!!」
「えへへ」

本当に何の茶番だ。

「これでダメだったらどうするんでしたかな?」
「はい!これでダメだったら、この賄賂のおまんじゅうを、『箱の下に袖の下が入っているのでお納め下さい』って学園長にお渡しします!!」
「グハハ!完っっっ璧ですなー!!!」

どこが完璧だ。尊奈門も小さく頷いて同調してるんじゃない。まったくあの禿、子供に何を教えてるんだ。

「では姫様どうか、どうかお気をつけて」
「まかせて!行ってきます!」

手を振って校門へと歩いていく少女へニコニコと笑顔を作っていた八方斎が、事務員の姿が見えるなりサッと茂みへ隠れた。

「尊奈門、行くぞ」
「はい!」

茂みの陰からハラハラと少女を見守っている八方斎は隙だらけだ。今なら始末できるかもしれない。
――だが。
木野と名乗りかけて木之本と言い直し、八方斎に「姫様」と呼ばれているあの少女。彼女の正体はもしかすると、もしかするかもしれない。
ドクタケ領当主には跡継ぎ――嫡男がいない。だから現当主・木野小次郎竹高の崩御を待って領を頂くという手もあったが、娘がいるのならばもっと手早い方法がある。
木野小次郎竹高の娘を懐柔し、黄昏領主・黄昏甚兵衛に嫁入りさせればいい。娘の存在が明らかになれば、殿もそのように考えるだろう。ただそれは忍術学園も同じこと。独身の土井や山田の息子、教師として学園に残る生徒のいすれかと縁談を纏めれば、忍術学園は平和的にドクタケとの関係を得ることができる。彼女を探り、狙わない手はない。
だから今は隙だらけの八方斎よりもナマエだ。木野小次郎竹高の娘である可能性が高いナマエと忍術学園の接触の様子を見なければ。

雑渡は八方斎に見つからぬよう裏口へと周り、忍術学園の勝手知ったる天井裏へと潜って行った。



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