「ぴぎゃあああああ!!ナマエちゃんからっ!離れろっ!」
騒がしい声で目が覚めた。
仮眠のつもりが、思いの外深く眠っていたらしい。
午後に来る約束になっていたSAIがやって来て、ホワイマン相手に騒いでいるのを眺めていると、デスクの上に水が置かれた。
「おはようございます、ドクター・ゼノ。すみません、起こしてしまいましたね」
「いいさ。懐かしい夢も見れた」
つい最近石化から目覚めたばかりのナマエは、夢の中で見たあの日の彼女とほとんど変わらない。いつだって僕の視界を明るく照らすナマエの姿に頰を緩めていると、丸めた大判紙を手にしたSAIが割り入ってきた。
「どっ、ドクター・ゼノ!相談していた話っ、始めてもいいかな!?」
「ああ。昔の顔を推定できるプログラムを作ったと言っていたね」
「昔?人間は未来を知りたがるするものではないですか?昔のことなら脳の記録があるのはずです」
ホワイマンの疑問ももっともだと、SAIがプログラムの原型を作成した意図を疑問に感じていると、彼の両目からブワリと涙が溢れ出た。
「記憶はっ、もちろんあるよっ!でも、写真でだって欲しいじゃないかっ!僕の大事なアルバムっ、お前の石化で全部風化しちゃったんだぞっ⋯⋯!」
「SAI、めーちゃんも悪気があったわけじゃないんですから、」
「分かってるけどっ!でもっ、頑張って集めたのにっ⋯⋯!」
デスクの前で、SAIが「うぅ〜⋯⋯」と情けない嗚咽を漏らしながらさめざめと泣き始めた。このような姿を見ていると、彼と僕の生まれ年が同じという話を疑いたくなる。
「SAI、私も何か手伝えることがあったらやりますから、今は仕事の話をしましょう?」
「本当⋯⋯っ?ナマエちゃん、手伝ってくれるっ?」
「ええ。私たち、同じ七海の人間でしょう?」
「うんっ!そうだよねっ!」
「じゃあ仕事の話をしましょうか」
「うんっ」
さすがと言うべきか、あれだけ泣いていたSAIの涙を止め、輝くような笑顔まで引き出したナマエは流れるようにSAIの抱える紙を奪い、デスクの上にくるくると広げていった。
「こんな感じで、プログラムの設計自体はそこまで複雑じゃないんだっ!でも、精度をもっとあげたくてっ!」
「おお、実にエレガントな計算式じゃないか。これなら使いながら調整を繰り返せば、すぐに精度も⋯⋯」
待て。SAIはなぜこのプログラムを作り、精度を執拗なまでに重視している?
先程アルバムが風化で失われたと嘆いていたが、まさか、記憶だけでなく写真で残したいアルバムの中身とは——。
「ところでSAI。協力する前に確認だが、君、肖像権という言葉は知っているかな?」
「うんっ、し、知ってるよっ!」
「おお、そうか。なら、復元したい写真の被写体が人間なら、当然その彼彼女の許可は取ったのだね?」
「⋯⋯ナマエちゃんっ!ぼ、僕のお手伝いっ、してくれるんだよねっ⋯⋯?」
「そうですけど、なんでまたその確認を?⋯⋯あ、」
ナマエもSAIの考えに思い至ったのだろう。僕にサッと目線を送ってきた彼女へ、その予想で間違い無いだろうと頷く。
SAIの言う「大事なアルバム」の写真とは、彼自身の写ったものではなくナマエが写ったものに違いない。
旧時代ではインドの地からアメリカで暮らすナマエを盗撮・盗聴していた男だ。その彼のアルバムの写真が彼女の同意を得て集められた可能性は、相当に低い。
非合法、あるいは脱法的手段で集められた可能性の高い、とうに失われた写真だ。その写真の復元など、断られて当然だろう。SAIのストーカー行為への危機感が頗る低いナマエでも、こればかりは嫌がるのではないだろうか。
そうなったら、SAIの家に身を寄せている彼女へ僕の家に滞在しないか誘ってみよう。
そう算段していると、SAIに向けてナマエがため息を溢した。
「⋯⋯まあ、確かに手伝うと言ってしまいましたからね。できる限り手伝いますよ」
「っ!あっ、ありがとうっ!ナマエちゃんっ!」
今何が起きたのかと目を丸める。
「ナマエ、⋯⋯君、いいのかい?」
「止めてもSAIならやろうと思えばできちゃいますし⋯⋯。それに、プログラム自体は大切な写真を復元したい誰かの、希望になるものですもの」
本当にそれでいいのかと言いそうになって、やめた。ただの諦めではない。「誰かの希望になる」と静かに言った彼女が優しい微笑みを浮かべていたから。
「そういうことなら僕も協力しよう。ちょうど僕も、記憶の中だけに残すには惜しい1枚があるからね」
願わくば、あの眩しいほどに輝いているあの夏の日の記憶が、ナマエの中にも色褪せずに残りますように。
記憶の中の彼女へ「いつまでも覚えているとも」とあの日できなかった返事をしながら、ささやかにそう願った。