あの悍ましいまでに天才的なギャンブラー・真経津晨が、目を見開いたまま時を止めたように固まった。
食えない男の珍しい表情に、つられるように獅子神の動きも止まる。
真経津晨の真っ直ぐな視線の先にちょこりと立っている自分の幼馴染。真経津は止める暇もなく彼女に駆け寄り、白くやわらかそうな彼女の右手を両手でぎゅっと握り締めた。
「ねえ、ボクと結婚しよ。今すぐ!」
***
自慢の外車を走らせてきた獅子神は、ホテルのロビーラウンジでコーヒーを飲んでいた。どうせいつものごとく真経津の待ちぼうけをくらうのだから、こうして時間を潰した方がいい。そう気づいてのことだった。
「けいちゃん?」
「あ?」
ついガラの悪い返事をしながら声のした方を振り向いて、獅子神は息を飲んだ。
「ナマエちゃん……」
ちゃん付けなんてガキ臭い呼び方が漏れたことを気にして手で口を塞ぐ、なんてことも出来ずに、彼女を見つめたままぽかんと口を開いた。
小学生の頃。
ランドセルも洋服も、自分だけがボロボロで、周りの皆はピカピカしていた。
その中でナマエちゃんはいっとうピカピカでまぶしかった。団地とは反対側の、お城みたいな真っ白の一軒家に住んでいて、他の子に何となく仲間はずれにされている中。ナマエちゃんだけが遊びに誘ってくれたっけ。
半袖のカジュアルドレスから覗く白くすらりと伸びた手足が相変わらずピカピカだと目を細めていると、彼女は弾けるような笑顔でかけ寄ってきた。
「わあ!本当にけいちゃんだ!元気?」
「まあ、ボチボチ」
思いがけない相手に出会ってしまって、うまく言葉が出てこない。
だって自分は銀行賭博の会場としてこのホテルに来た。自分が知っているここに来るヤツは、暇を持て余した金持ちか銭ゲバの銀行員、クソみたいな性格のギャンブラーだ。
それがまさか、彼女に会うなんて。
「パーティー?」
「うん。大学時代の友だちの結婚式。けいちゃんは?」
「あー……。ちょっとな。知り合いを拾いに」
真経津をダチと呼ぶのも、パシられたなんて言うのもなんだか癪で、ぼやかした言い方をする。ぱっちりとした愛嬌のある二重をぱちぱちと瞬きした彼女のキョトンとした顔が小動物みたいで可愛らしい。
「けいちゃん、いつの間にかスゴイ人になったんだね。私はここまで自分の車を運転してくるなんて無理かも」
「別に運転くらい大したことじゃねェよ」
「そんなことないよ!けいちゃんはすごいよ!私はこういう機会でもないと、こんなすごいホテル来ないもん」
「あー……。まあな」
言えない。
「ギャンブルにバチクソ染まっている野郎どもと地下深くでやっている銀行賭博のために来ることが多いです」なんて。
獅子神は歯切れの悪い返事をしながら、ナマエから目を逸らした。
「なあ、ナマエちゃん、」
「あれー?ナマエ?」
もとからの臆病や緊張を振り払って「飯でもどう?」と聞こうとしたところで、ナマエが別の誰かに呼ばれた。賭場の観客たちの中に見かけるような、見るからにオートクチュールのドレスと、誰もが知っているハイブランドのパーティーバッグを持った女。横には同じく上等なスーツを着た男が立っている。
「ナマエ、せっかくの二次会なのに帰っちゃうんだってー?大手のエリートと出会える機会なんてめったにないよー?」
「うーん、私はちょっと場違いかも……」
曖昧にほほ笑んだ彼女を女がハッと鼻で笑った。勝ち誇った笑いだった。
「まあ、ナマエってイイ子だけど印象に残んないもんね」
「あはは、そうかも……」
「焦ってからじゃ遅いよ〜?」
「……うん」
弱い声で返事をしたナマエは相変わらず微妙な微笑みを浮かべてはいるが、ちっとも楽しそうではない。
気づいた時には、獅子神はパーティーバッグを握っている彼女の左手を掴んでいた。
「ナマエちゃん、飯食いに行こうぜ」
「けいちゃん?」
「何食う?せっかく綺麗な服着てんだ。上のラウンジでも行くか?」
最上階のスカイラウンジへ続くエレベーターの方を顎でしゃくりながら言うと、勝ち誇った顔をしていた女が「えっ」と声を上げた。
「あのぉ、初めまして!アタシ、名前のお友達のぉ〜」
「ヘェ。んじゃ、俺らは特別な関係ってヤツだから、悪りィがトモダチは遠慮してくれ」
「え〜、でもォ〜」
「遊びてェなら隣のヤツに言えよ。俺と遊ぶのは高くつくぜ?」
すっかり空気になっていた女の横に突っ立っている男の方を目で促す。
勝ち誇った態度で男に腕を絡ませていた女は、平凡な顔立ちの男をまじまじと見ると、夢の醒めたような顔でするりと腕を放した。
その程度の気持ちでよく勝ち組を気取れたものだ。
「じゃあな。行こうぜ、ナマエちゃん」
勝ちは頂きだ。
ずっと欲しかったけれど、臆病さ故に手放した彼女を今度こそ手に入れるのだから。
……と、映画の一幕の気分でエレベーターに飛び乗ったまでは良かった。いや、その後の、スカイラウンジに来て互いの近況を軽く話しながらお茶をしていたところまでも良かった。
「ね。ボクと結婚して。一目惚れしちゃったんだ」
限りなく無傷で現れた真経津が、彼女を目に止めるなりプロポーズをし始めた。周りの人間も自分のことも丸無視して、すぐ目の前で彼女を口説き倒している。彼女の手を自分の頬に導きながら「……ダメ?」とどこから出ているのか分からない甘い声で言っているのを見ても、この男は本気らしい。
困った。まさかこんなことになるとは。
彼女も同じ気持ちらしく、そろりそろりと助けを求めるような視線と目が合った。
「けいちゃん……」
「……けいちゃん?」
真経津お前、さっきの甘ったるい声はどこに置いてきたんだ。
思わずそう聞きたくなる地の底からの低い声と、背後から漏れ出る黒いオーラに思わず固唾を飲む。
人形のように生え並ぶ睫毛の奥で、据わった目が自分を捉えていた。
「獅子神さん、ボクのお嫁さんとどういう関係?」
「いやヨメじゃねーだろ。ナマエちゃん怖がってんだろーが」
「ナマエさんって言うんだ?名前までかわいいね。ますます好きになっちゃった♡」
彼女が腰掛けていたソファーチェアの隣にいつの間にか真経津が並んで座っている。
本当に抜け目のない奴だ。馴れ馴れしい態度や強引なアプローチも、甘え上手な年下の特権として許される。使えるカードは使って勝負をしていく姿は同じギャンブラーとしては尊敬できるが、同じ恋愛相手への勝負では歓迎できない。
「ナマエちゃん、ごめんな。厄介な奴の相手させちまって……」
「ううん。けいちゃんのお友達?それにしては若いし、チャラ……気さくな気がするけど……?」
「あー……、まあな。趣味友達っつーか、何つーか」
運ばれてきた紅茶のシュガーポットを幼馴染の手の届く位置に差し出してやりながら、獅子神は言葉を濁した。
「俺たちギャンブラーです」とも、「舐めプしてたら年下の真経津にボロ負けしました」とも、今もキラキラしている彼女にはとても言えない。
「えー。濁さないでちゃんとボクたちの仲伝えてよー、獅子神サン」
「ハ?」
ギャンブラーですと伝えろってか?
銀行の違法賭博で儲けてますって?
それを彼女の前で言えば自分だってイメージを落とすのに。正気か、コイツ。
「ナマエさん、ボクたちはね——」
「やめろ真経津!ナマエちゃんを巻き込むな!」
「ゲーム仲間なんだ♡」
「……ゲーム?」
そうだよーと無邪気な子供の顔で言う真経津を、彼女は少しも疑っていないようだった。
「なんだ、びっくりした。なんか悪いことでもしてるのかと思った」
「まっさかー。そうだ。良かったらナマエさんもこのあと家においでよ。獅子神さんも来るからさ」
「うーん。初対面の男の人の家に行くのは、ちょっと……」
「美味しいチキンとか食べられるよ?」
「おい人を食べ物で釣ろうとすんな」
チキンってなんだ。そしてそれは誰に作らせるつもりなんだ。
今日こそは、俺は絶対にやらないぞ。
「チキンかあ。昔家庭科で一緒に作ったしょうが焼き、おいしかったね」
「あれは豚な。調理実習とか懐かしいわ」
実習の度に「おいしいね!」と星の弾けるような笑顔で言って、本当に美味しそうに食べるものだから、つい気合が入ったのを覚えている。
懐かしいと思える2人の共通の話題で密かな優越感を感じながら真経津の方を見ると、何か策を持っているかのように唇を吊り上げている彼と目が合った。
「ね、美味しいよね。獅子神さんの料理」
「うん!」
「チキンもさ、絶対おいしいよね!」
「うん!」
「じゃあさ、家で獅子神さんのチキン食べようよ!!」
「うん!!……うん?」
「やったー!じゃ、行こっか♡」
「待てやコラ」
ナマエがキョトンとした顔をするのはいい。
真経津、お前は違うだろ。
「真経津!チキンなんざ自分で作れ!俺は作んねーからな!」
「え〜。ボクもナマエさんもこんなに食べたいのに?」
「けいちゃんのごはん……」
「ナマエちゃん!?飯なんかに釣られんな!」
「だってけいちゃんのご飯、本当に美味しいから」
「ぐっ……」
ナマエちゃん、幼児じゃないんだから食べ物に釣られないでくれ。
そして真経津、お前は他人の料理で人を口説くんじゃない。
できれば真経津とは接点を持たなくて済むようにここでお開きにしたいが、この危険な男に興味を持たれてしまったらどこまでも追いかけられるだろう。
「仕方ねえ。作ってやっから2人ともここで食い過ぎんなよ?」
守るんだ、自分が。ナマエちゃんを。
獅子神の決意を知ってか知らずか、真経津がいつもの食えない笑みを浮かべていた。
YA'ABURNEE