退屈な平日の午後のことだった。放課後になり、特にすることもないので学校に残っていた。どうせ家に帰っても苛付くだけなのだ。
そんな折、見覚えがあるようなないような女に話しかけられた。
「あの、虹村くん。」
無言で送る訝しげな俺の視線に、たじろいだ様子もなく女はイヤによく通る声で続けて言葉を発した。
「虹村くんって、弟さんいる?」
心の中で舌打ちをした。いや、もしかしたら外に漏れでているかもしれないが構わない。聞こえていようがいまいがどうでもいいことだ。
俺はこの高校に入ってから幾度か聞いた────人生ではその数十倍聞いているような────その質問に辟易とした。
特に女はこの手の話を好み、俺と億泰が似ていないということをさも愉快そうに大声で喚く。遠まわしに億泰の悪口も添えて。
目の前にいる女は、俺の表情の変化と無言を肯定と受け取ったのか、また一人で喋り出す。
「やっぱり。一年生のオクヤスくんだよね?目つきの悪さそっくり。」
でもオクヤスくんのほうがかわいげあるよね、と真顔で言ってのけた。
俺の経験上、目の前にいる俺も含めて貶した上に億泰のことを可愛いなどと評する人間は初めてだった。
その為か、俺はほとんど無意識のうちに
「あいつは俺と違って愛想があるからな。」
などと俺自身初めて言葉にするようなことを口走っていた。
女は、やっと声を出したか、とでも言いたげに俺を見上げ、「わかる。」と嬉しそうに笑みをこぼした。
これが女、名字名前との出会いだった。
☆
「ねえ虹村!虹村って転校生だったよね?小さい頃はこっちに住んでたりした?」
出会って数日経ったが、この女は執拗に俺に付きまとっている。全く気づかなかったが同じクラスらしい。
口を開けば質問三昧で、その多くを無視しているが一向に諦める気はないらしい。目的は弟・億泰であることはたしかだ。
まだ先程の質問の答えをせがむので、ため息をついてから「住んでねえ」と答えた。
「そっか……あ、住んでなくても、遊びに来てたりとか?」
「ねえ……ん、いや、一度だけあったか……」
何の為に訪れたんだったか……と記憶を掘り起こそうとするが思い当たることはなく、この女の為に悩む必要もないな、と早々に諦める。来ていたにしても、かなり小さいころだったはずだ。
「1回!?1回あったのね!?」
「うるせぇな……」
あからさまに邪険にしているはずなのだが、名字はその答えで充分だったようで1人で浮かれだした。それはどうでもいい。が。
いつまで着いてくる気なんだ?既に校門は出ている。眉を顰めて名字に目を遣ると、ああ、と声を上げる。
「お気になさらず!億泰くんのおうちの場所を知ったらなんとなく登下校が楽しくなりそう、って思っただけだから。」
俺の視線の理由に気づく頭があって何故そんな意味の分からない発想が出るのか、理解に苦しむ。つまり家まで着いてくる気か。
追い返すなり振り切るなりすれば済むことだ。しかし、この女にも『試す』価値はあるか……。そう考える自分もいる。
ニコニコとこちらを見あげる名字を横目に、無言で歩みを進めた。
「? あ、ここ?」
急に立ち止まった俺を不思議そうに見上げた名字に、ああ、と短く返事する。
この、おおよそ人間が住んでいるとは思えない住処を見ても動揺しないところを見るに、疑うことを知らないめでたい性格をしているのだろう。いや、事実めでたい女だが。
俺が門を抜け玄関の戸に手をかけたタイミングで、門の外から声がかかる。
「あっじゃあ私これで!また明日ね!」
「ん?なんだ、寄ってくわけじゃねぇのか」
「えっ!!!」
もじもじと「でも」「いきなり家は」などと、ここまで付いてきておいて今更何を気にしているのかしらないが悩んでいる様子だった。
気にせずドアを開けると、自分のものではない靴が目に付いた。
「億泰のやつ、なぜ靴も揃えられないんだ……?」
「億泰くんいるのね?」
素速すぎる移動をしたようで、すぐ横から話しかけてくる。「あがらせていただきます。」
返事はせずに、弟を呼びつける。すると、ドタドタと騒がしい音をたてながら億泰は階段の上から顔を出した。
「兄貴ッ、おかえ……おわっ!?」
降りてきたと思えば、急に立ち止まった。どうしたのかと問えば、わなわなと震える指をこちらに向ける。
「あ、あ、兄貴が、女連れ……!?」
見当違いも甚だしい発言に反射的に舌打ちしそうになるのをなんとか抑えて、「お前に客だ」とだけ言ってリビングへ向かった。
さて、あの女を連れては来たものの、これからどうするか。
振り返ってみると、まだ玄関から動いていないようだった。
「あ、は、はじめまして、虹村……じゃない、形兆くん?のクラスメイトの、名字名前です……お会いできて光栄です……!!」
「えっ!あっこりゃどーも。えーと、虹村億泰ッス。」
そんなたどたどしい挨拶をしている。
しかし、何だって億泰にこだわっているんだ?会ったこともないのにあの執着はおかしいだろう。
その俺の疑問に答えるように、名字は声を出す。
「っていうか、はじめましてじゃなかったり。アイスクリーム屋さんで会ってるんだけど……覚えてないかな?」
「アイスクリーム?」
首を傾げる億泰に、名字は何事か小声で呟いたようだった。俺には聞こえなかったが、それは億泰の記憶を呼び起こしたようで、「あの時の!」と2人ではしゃぎ出す。知り合いだったらしい。
「おい」
「あっ、兄貴!この人よぉ、」
「なんでもいい。いつまでそこにいんだ、上がれ」
「えっでもその、親御さんとか……」
名字はまたもじもじとしだす。「ウチに親はいねえ」とだけ吐き捨てて、2階へ向かった。
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01将を射んと欲すれば
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2016- やぶさかデイズ
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