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 その日、俺はJupiterのダンスレッスンの付き添いをしていた。俺の勤務する315プロダクションは個性豊かなアイドルたちを抱える芸能事務所なのだが、事務所自体はかなりこじんまりとしたもので、レッスン等に使えるような余分な部屋などないのが現状だ。なので、普段からレッスン用にスタジオを借りる必要がある。今日はいつも使っているスタジオが改装工事で借りられず、違うスタジオを抑えたので、プロデューサーである俺も付き添うことになったのだ。
 とはいえ、プロデューサーではあっても歌もダンスもからきしである俺ができることと言えば、音楽をかけるとか、素人なりに客観的な意見を述べてみるとか、飲み物を差し入れるとか、その程度だ。特にJupiterはインディーズ時代、自分達だけの力でライブ、ひいてはそのためのレッスンをこなしていたという経験もあって、基本的に三人で自主練を進めていける。なので俺はレッスン中、カウントを取るなどしながらそのフォーメーションの美しさに呆けるばかりであった。
「プロデューサー!悪い、今のとこもう一回頼む」
 冬馬が額に伝う汗をぬぐいながらこちらに言う。俺は「ああ」とうなずいて、持参したスピーカーで曲を少しだけ巻き戻して再生した。

 ……どうやら納得いかない部分らしい。先ほどまでの部分を踊り終わるとまた曲を止めて、ああでもないこうでもないと真剣に話し合う三人を見守る。この事務所に入ってきた時もすでに相当の実力と団結力を持っていた彼らだが、最近はさらに磨きがかかったようだ。意見を相手に遠慮することなくぶつけられるというのは、そしてそれが許される間柄というのは、初めからできるものでは決してない。その様子を見ていると、トップアイドルという頂は、このユニットにとって……そして彼らのプロデューサーである俺にとって、夢ではなく目標なのだと確信できる。
「三人とも。一旦休憩にしよう」
 煮詰まっている様子だったところにそう声をかけると、三人は少し力を抜いて、翔太が「そうだね。その方がいいかも」と伸びをしながら言ったのをきっかけに、それぞれ休憩に入り始めた(冬馬は若干不承不承ぎみではあったが)。しばらく休んで頭を冷やした方が良いだろうというのは三人とも、少なくとも頭では分かっているだろうから、俺が監視していなくても大丈夫だろう。
 自分では特に何もしていないとはいえ、真剣なレッスンに付き合うのはそれだけで少し体力を消費するものだ。充実から来る疲労感といった感じだろうか。スマートフォンに重要な連絡が来ていないのを確認して、気分転換に飲み物でも買うか、と部屋を出たところの自動販売機に向かうと、そこにはすでに見慣れた金髪の姿があった。こちらに気がつくとひらひらと手を振って俺を呼ぶ。
「プロデューサー」
「北斗。二人は?」
「冬馬と翔太なら、まだレッスンルームに。ちゃんと休憩を取るように念を押しておいたので、無理はしていないと思いますが」
「そうか、ありがとう」
「いえ……このくらいは。むしろお礼を言うのはこっちの方です。プロデューサーには、いつも助けられてばかりで……」
 北斗は言いながら自動販売機に硬貨を何枚か入れ、続けて二回、同じボタンを押した。ガタンガタン、と音を立てて落ちて来た二つの缶を受け取り口から回収すると、「……なので、どうぞ。今日は付き添ってくださってありがとうございます」と、片方を俺の方に差し出した。見るとそれはいつも俺が事務所に備え付けられた自動販売機で買っているコーヒーだった。断る理由もなく……、むしろ、顔がニヤついてしまうのを感じながら「ありがとう。頂くよ」とよく冷えたそれを受け取る。暑い夏、消費者のニーズに合わせたアイスコーヒーは、レッスン室の熱気で火照った体にちょうどよかった。蛍光灯の照らす廊下、自動販売機のそばにある年季の入った長椅子に二人で座ってコーヒーを飲む。
「プロデューサー。どう思いますか」
「ああ、……こういうのも何だが、すごいよ、お前たちは」
 真剣な面持ちで問いかけてきた北斗にそう答えると、微妙な顔をする。苦笑い、といった風のその表情に一瞬首を傾げかけ、そして今の問いは先ほど煮詰まっていた部分に対してのものだったのだと気がついた。
「……悪い」
「あはは、いや、すみません。でも、そう言ってもらえると自信がつきますね」
 屈託無く笑う北斗に、今度はこっちが苦笑する番だった。
「ならいいんだがな。まあ、お前たちならさっきのところもどうにかなるだろうとは思っているから」
「ええ、もちろん。どうにかして見せます」
 頷く北斗の表情は充実したものだった。それを見て俺はつい顔を綻ばせてしまう。出会った当初はユニット内での年長者として思うところがあったのか、一歩引いたポジションにいることが多かった北斗だが、最近はこうして俺の前でも熱い面を表に出すようになってきた。それで明らかになったことなのだが、北斗のJupiterというユニットに向ける想いはきっと、三人の中で一番強いと言ってもいいレベルだ。
 インディーズの頃、北斗が背負っていた役割が(それが自分から買って出たものであるとはいえ)本人にとって負担になっていたというのは、北斗自身の談もあるから間違いない。315プロに入って、俺……プロデューサーや、事務所、アイドルとしての仲間ができた今、きっと北斗はこれからもっと変わっていくのだろう。そのことを思うと、今から楽しみで仕方がなかった。
 ごくごくとコーヒーを飲んでいるとあっという間に小さな缶は空になった。立ち上がって空き缶を近くに備え付けられていたゴミ箱に放り込む。北斗は俺を待っていた。北斗が何も話し始めなかったので、俺たちは特になにを話すわけでもなくレッスン室に向かった。

「北斗!さっきのとこ、こうすれば良いんじゃないか!?」
 部屋に入るやいなや、頬を紅潮させた冬馬にきらきらとした瞳で詰め寄られる北斗に思わず笑ってしまう。タオルで汗を拭っているところからするに翔太も共犯だろう。北斗は初め面食らったようだったが、すぐに気を取り直して呆れ半分な表情で二人をたしなめていた。
「冬馬……翔太まで。俺、休んでって言わなかったっけ?」
「もう充分休んだよ。っていうか、北斗君とプロデューサーさんが遅かったんじゃない?」
「えっ、そうか?」
 気を抜いていたところに翔太から話が飛んできて慌てる。たしかに明確な時間は決めていなかったが、もしかしてゆっくりしすぎただろうか。
「騙されないでください、プロデューサー。そもそもまだ十分くらいしか経っていませんし。二人がやる気を暴走させただけですよ」
 とかなんとか言って、先ほどの冬馬と負けず劣らずな良い表情で「どうにかして見せますよ」とか言っていたくせに……。と、思わないでもなかったが、それを言ってしまうと北斗は確実に拗ねるので口をつぐんでおくことにする。
「ええ〜?僕は冬馬君一人じゃ不安だったから、ちょっと付き合ってただけだもん!」
「何がもん!だ!お前だってノリノリだっただろうが!」
 ……というか、もしかして二人だけで物事を進められてしまってすでに拗ねているのではないだろうか。ちらりと北斗の表情を伺うと、若干不機嫌そうな気もしないでもない。いや、これくらいで問題になるような三人ではないので俺が口を出すことではないのだが……。
 とにかく、その後は煮詰まっていたのが嘘のようにレッスンは捗った。一度うまく行き始めると時間は飛ぶように過ぎていく。レッスン室に備え付けられた時計を確認すると、スタジオを出なくてはいけない時刻が近づいてきていた。
「じゃあ今日はそろそろ終わりだな」と三人に伝えると、案の定「あと一回!」という声が上がる。「そう言うと思ったよ」と三人がポジションに着くのを確認して音楽をかけた。