15-2
「行くぞ」
「…はい!!」
私は住み慣れた島を今日、出ていく。
生まれ変わるの。
新しく。
後ろめたい事はもうしない。
今から踏み出すこの道も、褒められたものじゃないかもしれない。
でも決めた。
私は一生、この人に着いて行く。
グランドラインの新世界にある、小さな島。
ここは人口100人と少しの長閑な島だ。
「アン、“薬”を。患者に処方しておいてくれ」
「はい、先生」
私の名前はアン。
この島で唯一の診療所で、看護師をしてる。
幼い頃、流行り病で両親を亡くした。
先生はとても熱心に治療をしてくれて、助からなかったけど父と母の容態がいよいよ悪い頃には毎日のように往診に来てくれた。
両親の死後、身寄りのない私を引き取ってくれて
育ててくれて
看護師として一人前にしてくれたのも先生。
この島にお医者様は先生しか居ないの。
先生は島の皆にとってかけがえのない人。
病気になっても
怪我をしても
先生しか治療出来る人は居ない。
人柄も、熱心で真面目で誠実で
とても患者に親身になってくれる。
そんな、仏がこの世に現れたかのような人だった。
私は先生を尊敬していたし
ここまで養って貰った恩をとても感じてた。
先生は血縁もない天涯孤独の私にとても優しく接してくれて
なに不自由なく暮らさせてくれた。
恩返しがしたいと思っていたの。
先生に相談したらね、一冊の本を渡された。
それは医学の本。
私は必死で勉強した。
本でも、先生の診療所を手伝いながらも。
先生の役に立ちたい。
両親の命を奪った病、それに立ち向かう医療という知識を学びたい。
毎日一生懸命だった。
15歳くらいの時かな。
診療所を閉めた後、先生に呼ばれてね
もうアンは立派な看護師だって。
立派な一人前の大人だって。
そう、褒めてくれた。
認めてくれた。
とても嬉しそうに。
嬉しかったな。
そう言って貰えたことも、何よりそれをとても喜んでくれてる先生を見て
嬉しいって思った。
頑張って良かったなって。
少しは恩返し出来たかなって。
両親は亡くしていたけど
それでも私は自分の身の上では有り得ない程恵まれていたと思う。
あの時までは、私は私なりに幸せだった。
少しだけ、おかしいなとは思っていたの。
放って置けば治るような病気はちゃんと完治する。
怪我だって、縫合が必要な切り傷も骨折も
ちゃんと治ってる。
でもね
抗生剤が必要な感染症だとか、器質的な臓器の病は、いつも予後が悪いの。
何ヵ月も通院してたし、時には亡くなる事もあった。
絶対に亡くなる事がない病気じゃない。
でも医学の知識を学べば学ぶ程、私の目には診療所に通う人達の予後が少し不自然に映った。
気のせいだって思ってたよ。
だって先生はお医者様だもの。
あんなに熱心に患者様の為に尽くす、最高のお医者様だったんだもの。
一人前だと認められたあの日
先生は私を大人として扱った。
言葉通り“大人の女”として。
驚きと恐怖で
何が起こったのか分からなかった。
荒い息遣いも
体を這い回る手や舌の感触も
グロテスクな男の人を象徴するそれも
体を貫く痛みも
聖人かなにかかと思っていたその人が
あの日突然豹変した。
私の上で愉悦に浸った顔で腰を振りたくるその人は
気持ちの悪い、浅ましい生き物だった。
あの日からだ。
私の人生に、希望なんてこれっぽっちもなくなったのは。
一頻り私の体を好きにして気が済んだ先生は
見たこともない、本当に別の人みたいな顔で私にこう言ったんだ。
「医者は良い商売だな…アン」
「そう…ですね…」
私を無理矢理抱いた事には一言も触れてこなかった。
まるで何もなかったかのように、先生は言葉を続けた。
「この島で、こんなちんけな島で唯一の医者である事に意味があるんだ」
何を言ってるのか
意味がわからなかった。
「おまえも薄々勘づいてはいるだろう?患者達の治りが遅いことも、助かる筈の病で命を落とす患者が多いことも」
それは…
なんとなく思ってたけど。
「全部計画通りさ。すぐに治られてしまってはこの狭い島では商売あがったり…だから死なずに、長く患者でいさせること。そこが重要なんだ」
先生は…何を言ってるの…?
「おまえも…ずっと欲しかったんだ…!アン!綺麗に育つと思っていた…!私はこの時を待ちわびたよ…!」
どういう…こと…?
「ずっと…診療所を手伝っておくれ。私が死んだ後にはそれなりの財産を遺そう。おまえにしか私の助手は務まらない」
そう言うなり
先生は私の唇を啄んだ。
その感触に、背筋に嫌な何かが走る。
キモチワルイ
急なこと過ぎて
あの日は何を言われたのか
何が起こったのか
よくわからなかった。
それから私はね、夜勤って事にされて
先生の家には帰れなくなった。
診療所で寝泊まりしたの。
ここが私の家になった。
恩返しがしたいって、確かに言った。
食事も、身の回りの物も
全部先生が困らないように用意してくれていたから。
お給料なんて貰わなくても平気だったんだ、あの時は。
何もおかしいとも思わなかったし、不満もなかった。
でも
診療所で寝泊まりするようになって
毎日のように診療所を閉めた後に先生に犯されて
嫌だと思った。
こんな事する為に生きていくことに、嫌気がさした。
私は逃げ出そうとしたの。
その時、やっと気付いた。
お金がなきゃ、住む家もなければ暮らしていく事も出来ない。
島の外に出るための定期船にだって乗れない。
私は先生という檻の中で
飼われてたんだ、って。
私は逃げられないけど
先生に捨てられたら生きていけない。
この島に診療所は1つしかないから。
あったとしても無理だったかな。この島は狭いから。
どうせすぐに見つかってしまう。
だから怖くて逆らえなかった。
でも、また島で流行り病が蔓延して
苦しむ患者さんを見てて
耐えきれなくなって先生に話したんだ。
ちゃんと治療をして欲しいって。
「私のする事に!口答えするな!!!」
「っ!!」
腕を捕まれて、思い切り投げ飛ばされた。
診察室の患者さんが横になる簡易ベッドが、物凄い音を立てて私になぎ倒される。
「全く何もしていない訳じゃない!ある程度楽になる位の治療はしている!!」
「でも…!!このままじゃあの人達!死んでしまいます!!」
私も譲れなかった。
両親が命を落とした流行り病。
両親のようになってしまうかもしれない患者さん達を、見ていられなかった。
「ならばどうする?私が医者を辞めれば、一時ですら症状が軽快する事はないんだぞ!!?この島の医者は私一人だ!!」
「死んでしまったら…!患者さんの数だって減ります!!皆先生を信頼して…それでここを頼って来てるのに…!」
何も知らずに先生を慕ってる患者さんに、ありがとうと言われてお金を貰うのはつらすぎる。
それも、日に日に弱っていくの。
本当に両親のよう…
ちょっと…
待っ…て…
「先生…まさか……父と母も…?本当は助かったんですか!!?あれは…治る病気だったんですか!?!」
「今更気付いたのか。言っただろう?私はおまえが欲しかったんだ…アン」
人を投げ飛ばしておいて
優しい手つきで頬をなぞるこの人に
殺意を覚えた。
良い顔を張り付けて
人助けをしてるふりをして
沢山の命を奪ってきたこの人を、殺してやりたくて仕方なくなった。
バシィィン
「っ!!」
「なんだ、その目は。育てて“いただいた”恩を忘れたか?アン」
「島の皆に、…本当のことを話します。先生は…間違ってます!」
何が育てていただいた恩、だ。
私から両親を奪ったのは…
先生だ…!!