15-3



「言いたければ言えば良い」


予想外な言葉だった。
先生はこれまでの悪行をバラされるのを恐れていると思っていたから。


「アン、私がこれまでおまえに受付をさせて来たのはなぜだか分かるかい?」


ニヤニヤと薄汚い笑みを浮かべるこの人は
少し前まで感謝と尊敬の対象でしかなかったあの先生と、本当に同じ人物なんだろうか。


「薬を患者に渡すのが“おまえ”だった。その事実を私は作りたかったんだ。意味が分かるか?」


…まさか


「私はちゃんとした薬を処方した。…患者の手に渡るまでに何者かがそれをすり替えたかもしれないがな」
「…!!なんて卑怯なの!!」


最初の頃は何も出来なかったから。
包帯を巻くのも、注射や点滴や問診も。

だから先生が処方した薬を渡して、治療費を受け取って…


何か役に立ちたいって私に、先生が役目を与えてくれたんだと思ってた。
いつだって先生は、私が居てくれて助かるって
優しい笑顔でありがとうって言ってくれてた。


…全部、この為だったの?


「長年医者としてここを見ている私と、おまえみたいな小娘の言葉。あのバカ共はどっちの言葉を信じるんだろうな?」










絶望した。
色んな事に。


医者としてあり得ない人だとは思ってた。
私を好き勝手に抱くこの人が気持ち悪いと思ってた。


でもそれ以上だった。


両親は病気で死んだんじゃない。
ずっと恩人だと思っていた人に殺されていた。

一見綺麗な親切には
こんな薄汚い裏があった。

私はずっと
病気を治す手伝いをしてるつもりが何の役にも立ってなかった。
寧ろ人殺しの手伝いをしてた。


そして私には
この地獄のような毎日から抜け出す方法なんて


何一つない。





「そう怖い顔をするな…アン。綺麗な顔が台無しじゃないか」


この世界のどこに
そんな話をされて笑っていられる人が居るというのか。


それだけの絶望を突き付けられて
それでも先生は私を抱いた。


もう
何も考えられなかった。


何も、感じなかった。















あれから私は色んなことを諦めた。
色んなことが麻痺していった。

この人達を救おうと頑張っていた筈が
何も知らずに騙されている患者達が愚かに見えた。

具合こそ悪くても
自由な皆が羨ましかった。





死のうと思った。
それ以外ないって。


手術用のメスで手首を切ろうとした。


でもいざそうなると
出来なかった。


メスを持つ手は怖くてガタガタ震えるし
両親と楽しく過ごしたあの日々が脳内で再生されるの。


腹が立って仕方なかった馬鹿な島民達が
ありがとうって、具合悪くても怪我してても
そう笑顔で言ってくれるあの人達の顔がいくつも浮かぶの。


私が死んでも、先生はこれを続けるだろう。
寧ろ誰もこの事実を知る人が居なくなってしまう。


希望なんて一つもないのに
死のうとしてるのに

こんな時に限って生まれてくる変な正義感と
足枷でしかない思い出。


結局死ぬ勇気も
立ち向かう勇気も
逃げ出す勇気もなくて

毎日僅かに残るそんな気力ですらも少しずつ磨り減っていって


何年もの時間が過ぎた。


私は沢山の人を殺した。
知っていて、何の効果もない薬を
病に苦しむ人々に渡し続けた。






「しょぼい島ー。姉ちゃんの店なさそうじゃん」
「仕方ないでしょ。ログ溜まるまで我慢して」





ドフラミンゴとカイドウの間にある“SMILE”の取引。
“SMILE”の製造場所は割れた。
俺が出来る、実現可能そうなドフラミンゴを追い落とす為の算段もついた。


必要なのは地位。
それに適任なのは、七武海の称号。


海軍公認で海賊行為を行えるその立場。
“SMILE”の製造場所に潜入するには、それが必要不可欠。


もっと有効で確実な算段を考えつつ
腕を磨きつつ
新世界の航海は続いていた。


次の島には、成り上がる為に役立ちそうな要素は見当たりそうもない。


期待するモンはペンギンとは違うものの、ログポースが指す島は本当に小さい島だ。
ログが溜まるまで補給を済ませて、すぐに出航。


そんなとこだろう。






小さな島とは言え、港に堂々と船を付けるのは流石に上手くない。
岩影に船を置いて、一応情報収集と散策に町に出た。


「一応ある程度は栄えてるンすねー。店とかすらないのかと思いましたもん、俺」
「曲がりなりにもログポースが指す島だ。少なくとも海賊の往来はあんだろ」


悪目立ちも面倒臭ぇ。
ベポは置いてきた。

人数も極少人数。


繁華街がないと踏んだクルー達は、留守番に何の不満も溢さなかった。


「ゴホン、ゴホッ!」
「けほけほ!」


…流行り病か?


ベポの次に目立つ人物。
台所当番のジャンバールから言付かった食材を購入してまわる中
島民達に咳をしている連中が多い事が気になった。


「ここのログはどれくらいで溜まる」
「4日…コホッ!申し訳ないねぇ…コホコホッ!4日で溜まるよ」


…4日か。
補給は1日もかからず終わる。


残りの時間は何をして潰そうか。


「ゴホッゴホゴホ!!」
「けほけほ!」
「…おい。この島に医者はいねぇのか」


流石にこの咳は異常だ。
クルー達に移っても面倒臭ぇ。


「居るよ。立派な先生…ゲホゲホッ!…が。あの丘の上…ゴホッ…の診療所に」
「立派な医者の割に、腕は悪そうだな」


感染経路は空気か飛沫か…
咳を伴う感染症患者にマスクすらさせねぇ医者なんて
ヤブにも程があんだろうが。






その医者を貶された事がよぼど不服なのか
島民達は咳こみながらもその“立派な先生”の功績を必死の形相で語りだす。


何を信じるかはこいつらの自由だが
ならばあまり近寄らないで貰いたい。
移る。


一向に止まらないその先生の輝かしい話を聞き流しながら、目を向けるのは話題に上がった診療所。


小高い丘の上に一軒だけ建っているその建物は
どこか町から切り離された印象を受けた。


「船長!お待たせしやした!これで全部ッス!」
「行くぞ。ここに長居は不要だ」


あんなに咳込んでいれば息苦しいだろうに
まだ喋り足りない感染症患者達から踵を返して船の方角へ足を進めた。


「…おいおまえら。船に戻ったら真っ先に手洗いとうがいだ。アルコールで除菌もしとけ。服も着替えろ。」
「え?了解っす!やっぱあの咳なんかの病気っすか!?」
「良いんすか?キャプテン。治療してやんなくて」


こいつらは果たして
自分達が海賊だという自覚があるんだろうか。


「深入りするな、面倒臭ぇ」


慈善事業じゃねぇ。
その医者がただの能無しか裏があるかは知らねぇけど
立ち寄る島全ての病人を診て回っていたらラチがあかない。


なんもねぇ上に病原菌の温床でもある島なら
海の上と同じだと思ってやり過ごすのが無難だろ。


「でもアレっすね!流石に咳はしんどそう」
「恐らく、あれは普通に治そうとすれば適切に抗生剤を服用させねぇと治んねぇ」
「キャプテンいつの間にスキャンしてたんすか?!流石っ!仕事早い!」


してねぇよ。
診ねぇって言ってんだろ。

何のメリットもない状況で体力を削るこの能力を使う意味がない。


「勘だ。医者の、な」
「どっちみち格好良い!!」
「あれ死んだりとかするヤツっすか?」


あの咳の仕方。
それ以外は特にない症状。


…恐らく


「肺に炎症起きれば体力ねぇヤツは死ぬかもな。治療しねぇ予後を見た事ねぇ。元が健康な大の大人がどうなるかは知らねぇよ」
「えー…怖っ!…なんか気の毒な気もすっけどなー…」


間違いなく気の毒だな。
それは言えてる。


“立派な先生”がどんな医者かは知らねぇけど
それを信じてぇならそれはアイツらの勝手だ。





「おかえりー。早くない?そんななんもなかったの?」
「他のヤツラにも伝えとけ。用がないなら町には出るな。感染症が流行ってる。戻ったら手洗いうがいは絶対しろ」
「「「「はーい」」」」


食堂ではペンギン達が麻雀卓を囲んでいた。
見る所もねぇあの島なら、こうしてた方がよっぽど有意義か。


「それは治るのか?」
「適切に治療すりゃ、な。島の医者がヤブらしい」


ほっとしたように肩を落とすジャンバールが食材を片付け出す。


別に良いんだが
ウイとお揃いらしいこのフリルのついた小花柄のエプロンを着ることにこいつは何の抵抗もねぇんだろうか。


「?どうした?」
「いや…なんでもねぇ」


うちのクルー達の服の趣向はどうも理解しかねる。
揃いのつなぎに、こっちは花柄エプロン。

まぁ、愉快で良いヤツラだ。
そのくらい目を瞑ろう。


「お、ウイ今大丈夫か?──何かこう、風邪とかの予防に良さそうなオススメはあるか?」


…。


麻雀で騒いでるクルー達を眺めていれば
キッチンから聞こえて来たのはウイの名を呼ぶジャンバールの声。


「あぁ。着いた島で感染症が流行ってるらしくてな。クルー達に移ったら大変だろう?」


…おまえはどこの主婦だ、ジャンバール。


こいつがたまにウイに飯の相談をしてるのは知っていた。
シャチが一人で作ってた時よりも大分食卓は豪華になったし、シャチの飯よりウイが作る飯に近い気がする。


旨いし本人も楽しそうだから構わねぇけど
思考までウイに似てきたな、こいつ。


「それは良いな!温まりそうだ!野菜は何でも良いのか?」


…鍋か?


ここからだとウイの声は聞こえない。
最近顔を見てねぇが、元気でやってるだろうか。











「船長、──ウイが代わって欲しいそうだ」


呼ばれた声に振り向けば
そこにはでんでん虫片手にこちらへ向かってくるジャンバールの姿。


返事もせず、何なら気だるそうにそれを受け取った。


アイツが何を言い出すか…
これに耳を当てなくても分かる気がした。




destruct at reality.