凍える

眠れない。
 時刻は丑三つ時。布団に入ってもう随分と経つが、未だに瞼は重くなる気配がない。頭はカフェインでも摂取したのかと疑うくらいに冴えまくっているが、生憎、家に帰ってきてから飲み物は水しか飲んでいない。
 隣からは、弟と母親の大きな寝息が羨ましいほどよく聞こえてくる。ああ、二人はこんなにも気持ち良さそうに寝ているというのに、どうして僕だけ眠れないのだ!あまりの眠れなさに、次第に苛々としてきた。
 今日は、ずっと見学していては成績に関わると、いやいやながらも参加した体育で吐き気がするほど散々運動場を走らされ、更にはいつもより遅くまで光クラブで活動をした。満身創痍である。僕の体はヘトヘトで、今にも倒れそうな程疲労しているに違いないのに、いつか誰かが僕を裏切るのか。僕は十四才で本当に死んでしまうのか。或いは三十才にして世界を手に入れるのか。色々な不安と焦りが押し寄せてきて、気が付けばめでたく不眠症デビューである。いや全くめでたくない。これっぽっちもめでたくない。嫌だよこんなデビュー。
 このままでは睡眠不足で学業にも支障が出てきてしまう。体育はともかく、いつか世界を征服するかもしれない帝王がテストの結果がボロボロなんてあり得ない。かっこ悪すぎる。それだけはなんとしてでも避けなくてはいけない。
 しかし、眠れないものは眠れない!頭の中で羊を数えても、円周率を読んでも、一向に眠気はやって来ない。そして、どうにかこうにかしてやっと眠れたのは午前四時。僕がいつも起きる時間、六時の二時間前だった。



「ハァー‥‥‥」
 目覚めて早々、深く、重たい溜め息をつく。
 ‥‥二時間だ。たったの二時間しか、眠れなかった。残念ながら僕はショートスリーパーではない為、当たり前ながら疲れも取れていないし、まるで寝た気がしない。鏡を見れば、案の定目の下には隈。我ながらすこぶる血の気がない顔。あれ?僕、ちゃんと生きてる?死んでないよな?まるで死人のようだ。数日ろくに寝られないだけでこんなにも顔色が悪くなるのか。
 なんとなく食欲も湧いてこなくて、朝ごはんも殆ど手を付けずに家を出る。ああ、怠い。体が重たい。果たして、こんな状態で授業に集中出来るのだろうか。恐らく答えは否であろう。
「ゼラ、おはよう! ‥‥ん?」
「ジャイボか。おはよう」
 毎朝、約束をしていなくとも当たり前のように僕の住むアパートの前で待っているジャイボは、僕の顔を見るやいなや目を見開き、どうしたの?!なんて言って駆け寄ってくると、僕の頬や目の下を撫でてくる。少し、擽ったい。
「ゼラ、この間から思ってたけど、顔色悪いよ?今日が一番酷い!色白を通り越して真っ青だ」
「‥‥ああ。ここ最近寝不足でね」
 ‥‥って、おい。色白と言うな。血色が悪いのは少し気にしているんだぞ。確かに、死人かと自分でも疑う程ではあったけれど。
「寝不足?どうして。もしかして、タミヤのせい?」
「何故そこでタミヤが‥‥うーん、まぁ、色々だ」
 そう、色々。嫌になってしまうほどに。文句を言うなら僕がこうなったであろう原因のあの占い師と僕の親に言ってくれ。
「ねぇ、いつから眠れてないの?」
「お前は気にしなくて良い」
「ゼラ」
ジャイボはこういう時、執拗い。
「‥‥もう、一週間以上は、まともに寝られてない、かな」
 面倒だから、ジャイボには言うまいと思っていたのに。ジャイボの視線に耐えきれず、僕はあっさりと白状した。そう、もう一週間、僕は寝不足なのだ。
 ああ、ジャイボはこんな僕を情けないと幻滅するだろうか。睡眠不足は、自分が思っている以上に参っているのかもしれない。
「ふぅん?そりゃあ隈も出来る訳だね。じゃあさ、一緒に寝ようよ。僕が添い寝してあげる」
「ジャイボと?」
「うん。今夜、僕の家に泊まりに来てよ。明日は学校も休みだし、どれだけ寝ていても怒られないでしょ?」
 また、随分と急な話である。それに問題は、そもそも眠れるかどうかなのだが。あれだけ眠れないのだ。とてもではないが、ジャイボの家に一晩泊まったところで眠れるとは思えない。‥‥まぁ、でも、今は兎に角一分一秒でも早く眠れるようになりたい。どんな手段でも、試してみる価値はあるか。やらないよりかは、やってみるべきだろう。
「分かった。今夜はジャイボの家に泊まらせて貰おう」
「きゃは。じゃあ、決まり!」
 ジャイボは上機嫌に、指切りしよ!なんて小指を絡めてくる。
 ジャイボと寝る、か。誰かと眠った事なんて、あっただろうか。親と同じ布団で寝た事なんて、仮にあったとしても物心つく前の相当幼い時だけだろうし、記憶にも残っていない。何だか新鮮だ。
「きゃは、楽しみ!早く夜にならないかな」
「‥‥今夜こそ、ちゃんと、眠りたい」
「眠れるよ。僕に任せて」
「その言葉、信用して良いんだろうな」
「勿論」
 本当に僕が眠れるか分かりもしないのに、大した自信である。





 それから、ジャイボに心配されながら、いつもより集中力の持たない状態で何とか授業をこなし、待ちに待った放課後。僕は光クラブの活動前に一旦家に帰宅すると、リビングで黙々と内職をしている母親にジャイボの家に泊まりに行く事を告げた。
 同級生の、雨谷典瑞くんの家に泊まりに行く。そう言えば、僕に泊まりに行くほど仲の良い友達がいたのかと、酷く驚かれた。友達。ジャイボは、僕の友達なのだろうか。友達にしてはちょっと時折やる事がディープすぎる気もする。いや、でもアイツとは恋人ではないし。友達でも恋人でもないとしたら……。うーん、猫みたいだから‥‥ペット?それは失礼か?まぁ今更だけど。
僕とジャイボの関係、どれにも当て嵌まるようで、当て嵌まらない。謎だ。
 ……まぁ、何にせよ、無事に許可は下りたので、あとは支度をして行くだけである。光クラブの活動が終わったら、僕は荷物を持ってジャイボの家に行く。眠る為に。
 僕は眠りたい。ただ、それだけ。



 その日の光クラブ。僕達はいつものように、機械の制作に励んでいた。ジャイボは、汗を滲ませながら複雑なパーツを組む皆を涼しげな顔で見ながら、少し離れたところでふんふんとご機嫌に鼻歌を歌っている。相変わらず、制作には一切関与しないのがジャイボである。本日の活動報告も、いつものようにちゃんと見守ってるよぉ!と元気よく答えてきた。そう、見守るのがジャイボの仕事なのである。そこにいるだけで良いと言ったのは紛れもない僕だ。
「あら。ジャイボってば、今日はいつにも増して機嫌が良いわね?何か良い事でもあったの?」
 鼻歌を歌うジャイボに、雷蔵が不思議に思ったのか問い掛けた。
「きゃはっ!雷蔵、聞いてよ。今日はゼラが家に泊まりに来るんだ」
「あら、そうなの?!」
「え、マジ?!」
 そこで何故かヤコブまで反応した。それに続くようにダフやカネダまでもあのゼラが?!なんて言って、一気にザワザワと騒がしくなる。あの、とは何だ。あのとは。
「ゼラってば寝不足みたいでさ、じゃあ僕と寝ようよって。ほら、人肌があればなんか一人より眠れそうじゃない?僕、ゼラより体温高いしっ」
「添い寝?!何だか進展しそうなカンジじゃない!?」
 おいこらジャイボ。あまりべらべらと喋るんじゃない。ジャイボのせいでタミヤやニコの視線がグサグサと突き刺さる。ニコはまだしも、タミヤ。なんでお前までそんなに僕を見つめてくるのだ。…もしや、ジャイボに気でもあるのか?!
「‥‥タミヤ。何か文句があるなら聞くが?」
「いや、ゼラも同級生の家にお泊まりとかするんだなー、って思ってさ」
 お前まで僕の母親と同じような反応をするか。まぁ、わからなくもない。僕は友達が少ないし、ジャイボほど深い関係になる者など今まで一人もいなかった。
「なんとしてでも早急に解決したい悩みがある。それを解決出来るのはジャイボかもしれない、と、思ったら僕だって行動に出るさ」
「悩み?」
「ゼラ!それは、ジャイボでなきゃ駄目なんですか?!もし良ければ、俺がっ」
「きゃはっ。‥‥ニコ。僕の邪魔しないでよ。ゼラと添い寝が出来るのはこの僕だけだよ」
 目が笑っていない。そして僕は別にジャイボだけとは言っていない。
「ニコ。気持ちは嬉しいが、悪い。今回はジャイボに頼む事にした」
「そう、ですか‥‥」
「なぁ、ゼラ」
「なんだ、タミヤ」
「お前、最近さ、心配になるほど顔色悪いよ。早く、ちゃんと眠れると良いな。俺もたまに妹と寝たりするし、たまには、人肌も大事かもしれないぜ」
「‥‥ああ。そうだね」
 これで治れば、良いのだが。果たしてそう簡単に上手くいくものなのだろうか。



「本日はここまで」
 その言葉は、本日の光クラブの活動が終わる合図である。僕は皆にそう伝えると、いそいそと片付けをし、帰る準備をする。
「ゼラ、ゼラ」
 すりすりと、まるで猫のようにジャイボが擦り寄ってくる。なんだと言えば、早く来てね、待っているからねと催促をされる。遊ぶ目的で行く訳でもないのに、僕が泊まりに来るのが楽しみで仕方がないようだ。僕はといえば、結構かなり疲労していた。駄目だ。もうあまり、頭が回らない。機械の制作も、僕もジャイボの事を言えないくらい何も出来なかった。もしこれで今日も眠れなかったら、明日こそ倒れるかもしれない。

 ああ。早く。早く。眠りたい。今、体調を壊す訳にはいかないのだ。何としてでも、機械を完成させなければ。僕は世界を手に入れる男。倒れたりなんかしたらお終いだ。僕の計画が全て狂ってしまう。



「お邪魔します」
「どうぞ!入ってよ」
 夜も更けた頃、僕は荷物を持って、ジャイボの家にお邪魔した。ジャイボの家は、病院である。そこら辺の家よりかは立派、なのだろう。安い団地の狭苦しい我が家とは大違いだ。
「ここが僕の部屋!僕は飲み物持ってくるから、適当に座っててよ」
 案内されたジャイボの部屋は、まぁ、予想通りといった部屋だった。物は多く、少し散らかっている。見慣れた白黒のボーダー柄の服がベッドに放り投げられていた。
 服や小物など、色は黒が多め。勉強机の上に雑に置かれたゼラチンペーパー。教科書が何一つ机にないところがなんというか、ジャイボらしい。ジャイボが勉強している姿なんて殆ど見た事がない。来年は受験生だと言うのに。まぁ、僕なんてあの占い師には十四才で死ぬかもしれないと言われたのだ。そもそも十五才を迎えられるかどうかも怪しいけど。

「きゃは、ゼラが僕の部屋にいるなんて不思議!」
 座っていてと言われたものの、どこに座っていいか分からず、とりあえずドアの近くで正座をして待っていると、ジャイボが笑いながら紅茶を運んできた。
「その紅茶、君が淹れたのか?」
「んー?うん、まぁね。淹れた事なんてないから、味は保障出来ないけど」
 ティーバッグで淹れたのならまぁ不味くなる事はないだろう。そう思って特に不安も抱かずに紅茶を飲み込む。
「‥‥ンッ、ぶ、ゴホッ!ゲッホ!」
 噎せた。大袈裟なくらいに噎せ込んだ。
「あれ?どうしたのゼラ、変なとこ入った?大丈夫?」
 ジャイボが噎せて震える僕の背中を擦る。
 なにこれ、なんだこれ。これは本当に紅茶なのだろうか。思ってもいない味と食感がしたのだが。いや、飲み物なのに食感って。
「あっっっま!」
「あ!そうそう、味見してみたら苦かったから、砂糖沢山いれといたんだ!」
「なんかものすごくジャリジャリする!」
「砂糖が溶けてなかったのかな」
 僕は甘い物はそこまで得意という訳ではない。比べてジャイボは、どちらかといえば甘党である。紅茶なら大丈夫と信じた僕が馬鹿だった。そうだ、コイツはとんでもなく料理が下手くそなのだった。解剖は得意で手先は器用なクセに、どうして料理になるとこうも駄目駄目なのか。
 ……そもそも紅茶を淹れるって、料理に入るのか?
「気持ちは嬉しいが、これでは僕には甘すぎる。僕は無糖でいいんだ」
「そうなの?あんな苦いの、よく飲めるね」
「いや、寧ろお前はそれでよく糖尿病にならないな」
 普通に心配するレベルの甘さだぞ。
「それよりさ、お風呂どうする?」
「…ああ、そうだった。家で入ってから行くべきだったな」
 夕食まで世話になるのは申し訳ないと、食事だけは軽く済ませてきたが、風呂は準備に気を取られすぎてすっかり忘れていた。まぁ、準備といっても着替えくらいしか持ってきていないけれど。
「まだ入っていないなら、一緒に入ろうよ!」
「いや、でも、ご家族がいるだろう。もし変な目で見られたらどうするんだ。ここが銭湯ならまだしも、僕の家より大きかったとしてもあくまで一般の家。自分の息子が中学生にもなって同級生、しかも男同士で一緒に風呂へ入っていると知れば、卒倒するぞ?」
「えー?父親は基本的に部屋にこもってるし、見られたところでなんとも思わないよ。それに、僕は父親よりゼラの方が大事だからね」
 これをジャイボの父親が聞いていたらなんて思うのだろうか。
「先に言っておくが、やましい事はしないでおくれよ」
「えー?」




 風呂場までコソコソと人目を気にしながら向かい(幸い誰ともすれ違わなかった)、脱衣所でお互い黙々と服を脱ぐ。
 雑に脱ぎ捨てられる制服。明るい所で見る、ジャイボの裸。薄暗い光クラブの基地でしか見たことがなかった為、こんなにまじまじと見るのは初めてだ。…やはり、美しい。色白で、体毛がなにもない。髪の長さや中性的な顔立ちも相まって、女に見えなくもない。まぁ、当たり前ながら胸は脂肪なんてものはなくぺったんこだし、下を見れば男性を象徴するアレが付いているけれど。
「あ。眼鏡を取ったらなにも見えない」
 僕は視力が悪い。眼鏡を外す風呂の中は湯気も相まって本当に何も見えない為、割と危険なのである。尚更やましい事なんて出来ない。ジャイボが何か変な触り方をしてきても、極力反応しないよう気を付けよう。コイツならやりかねない。
「視力が悪いって、面倒だね。僕が体、洗ってあげようか?」
「否、いいよ。お前は自分の事だけをやればいい」
「えー?それじゃつまんない。ゼラの体、触りたい。僕が綺麗にしたい!」
 有難い申し出ではあるが、今は勘弁して欲しい。場所によっては触られると体が反応してしまうかもしれない。僕の体は案外正直者なのである。恥ずかしい話だが、こればかりは仕方のない事だ。‥‥全てジャイボのせいである。上手くなりやがって。
「体は絶対に自分で洗う。けど‥‥髪は、ジャイボにお願いしようか」
「!うんっ」
 半分ずつ、譲り合い。お互い、これで折れる事にした。全て断ると機嫌を損ねて後が面倒だから、とは言わないでおこう。



「ゼラの髪、綺麗だよね。枝毛なんて一つもないし、全然傷んでない。待って、髪質良すぎない?僕もゼラを見習って気を使っていかなきゃ‥‥」
「それとした手入れはしていないが?」
 いざ風呂へ入ると、ジャイボは至って真面目に僕の髪を洗ってくれた。人に髪を洗われるのは、少しくすぐったいが、存外気持ちが良い。悪くはなかった。
「力加減はどう?」
「気持ち良いよ。‥‥意外だ。ちゃんと洗ってくれるとは。しかも普通に上手い」
「きゃは。ほんとはゼラの体も洗いたかったし、色々したかったけど……今日一日、学校や光クラブの活動で疲れたのか、朝より顔色良くないみたいだし、僕も流石にそんなに悪戯しないよ」
「そうか。‥‥有難う」
 色々。色々とは、何だろう。どうでもいい事が気になってしまう。
「ねぇ。今度、また一緒にお風呂に入る機会があったらさ、その時は、今度はゼラが僕の髪、洗って欲しいな」
「‥‥あぁ。分かった。覚えておこう」
「それで、次こそゼラの体を洗うの!」
 やっぱり諦めていなかったか。何がそんなに良いのやら。しかしそこまで言うのであれば、本当にまた機会があるのならば、許してあげようか。
「分かった。また今度」
「本当?絶対だからね!約束!」


 それから間もなく、逆上せてしまうからと早めに風呂から上がる。ジャイボも、じゃあ僕もと、後に続くように立ち上がった。
 風邪を引かないよう髪をよく拭いて乾かせば、いつもジャイボからする香りが僕自身からすることに気が付く。ジャイボの香りを身に纏う、僕。何だか落ち着かない。そんな僕の匂いをふんふんと嗅いで、にこにこと口角を上げ微笑んでいるジャイボは、何が面白いのやら。まぁでも、きっと『お泊まり』とは、こういうものなのだろう。勿論、正解は分からないけれど。
「きゃはっ。ゼラから僕の匂いがする。なんか、良いね。でも、僕はいつものゼラの匂いのほうが、好き」
「そうか。でも、お前の使っている石鹸の方が質は良さそうだが?」
「でもゼラの匂いのほうが好きなの。だって、ゼラだから」
 理由になっていない。



 さて。お風呂ですっかり体も温まったところで。
「じゃ、寝よっか」
 パチ、と部屋の電気が消える。ようやく目的であった就寝の時間だ。
 ジャイボの布団は、ベッドである。僕が普段寝ているぺらっぺらな敷き布団と厚みがまるで違い、フカフカとしていて柔らかい。こんな良い布団で毎日寝ているだなんて、羨ましい。医者の息子であるジャイボと、父親のいない僕では、やはり家庭環境は大きく異なるのだと目の当たりにする。
「ゼラ、早く入ってきなよ」
「‥‥ああ。お邪魔する」
 そろりと、ジャイボの布団に足を入れる。よほど足が冷えていたのか、ジャイボの足に僕の足が触れると、ジャイボがうわ!と声を上げる。
「きゃは。ゼラの足、冷たい。僕が温めてあげるね」
 そう言うと、僕より体温の高い、ジャイボの足が絡んでくる。
 ジャイボの布団。ジャイボの匂い。全てが、暖かい。
「ジャイボ‥‥」
「なに?」
「僕を、……抱き締めてはくれないか」
「きゃは。良いよ。いくらでも抱き締めてあげるよ」
 今なら、何を言っても許される気がした。僕の我が儘通り、ジャイボは腕を回し、僕を抱き締める。体だけでなく、何だか心までもがじんわりと温かくなっていくようだ。もしかして僕は、人肌恋しかったのだろうか。
「ゼラ‥‥ゼラは頑張ってるよ」
「‥‥そう、か」
 何も頼んでなどいないのに、ジャイボはこうやって、僕が欲しかった言葉を当てて、さらりと口にするのだ。思わず、肩の力が抜けてしまう。
「僕はずっとゼラの傍にいる。‥‥死ぬまで、ずっと一緒だよ」
「‥‥僕は、このまま十四才で、死んでしまうのだろうか」
「?、何の話?」
「‥‥言われたんだ。占い師に」
 十四才の誕生日は刻一刻と近付いてきている。
「あの占い師によれば、僕は、十四才で死ぬ‥‥或いは、三十才で世界を手に入れる」
 死ぬのは、怖い。怖くない人なんて、いないだろう。確かに、大人にはなりたくない。でもそれとこれとは、少し、違うのだ。別に、大人になりたくないから早く死にたいとか、そういう訳ではない。
「一体僕は、どうやって死ぬんだろうな。僕もローマ皇帝エラガバルスのように、便所で殺されたりなんかして‥‥はは」
「ううん。ゼラは殺されない。僕と生きるんだよ。二人で、たくさん」
「いきる?ふたりで?」
「うん」
 目の前にあったジャイボの首筋に、なんとなしに顔を埋めてみる。ふんわりと花のような、甘い香りがした。僕も今、こんな優しい匂いがするのかな。
「ねぇゼラ。僕ね、まだ、螢光町から出た事がないんだ。ねぇ、いつか、僕を螢光町から出してよ。一緒に海に行こう。遊園地も楽しそうだね。デパートにだって行きたい。新しい靴が欲しい。お洒落なコートも欲しい。地下にある美味しいケーキも!まだ、やってない事が、沢山あるんだ」
 ‥‥確かに。僕は何も知らない。美しい青い海も、沢山の子供で賑わう遊園地も、僕には無縁のものだった。今後も、見る事なんてないと思っていた。
「だからさ、まだこんなにやってない事があるのに、十四才で死ぬのは早すぎるでしょ?もったいないじゃん」
「‥‥僕は、焦りすぎているのか?」
「とりあえず、三十才まで生きるのなら、ちょっとね。まぁ、ほんとはもっと長生きして欲しいけど」
 ‥‥分からない。分からないんだ。
「あんまり考えすぎちゃ駄目。ゼラ。眠ろう。大丈夫だよ、ゆっくり、ゆっくり考えていこう。ゼラは、僕と幸せになるんだ。その為にはどうすればいいのか、考えていこうよ」
「ジャイボと、幸せ、に?」
 でも、世界を手に入れるには、一人の少女が鍵になるとあの占い師は言った。ジャイボは、この通り男だ。
「何も全てが正解じゃないよ。ゼラ、無理をしたところでそれこそ生き急ぐだけだ。僕がずっと傍にいる。僕と一緒に、これからを考えていこう」
 何かを引き止めるように、どこか必死に。僕を説得するかのように、ジャイボは僕を抱き締めながら、喋り続ける。
 なぁ、ジャイボ。お前は、何を知っているのだ。顔こそ見えないが、どうして、そんなに泣きそうな声をしているのだ。
「‥‥ジャイボは、本当に僕の事が好きなんだな」
「そうだよ」
「申し訳ないが、僕にはその感情がよく分からない。必要ないと思っている。‥‥否。思って、いた」
 今。ジャイボの布団の中で、ジャイボに包まれた時。良いな、と思ってしまった。僕の感情が、揺らいでしまった。
「温かすぎるんだよ。ここは」
「ゼラ?」
「ああ、どうしてくれるんだ。全部、全部、全部全部全部、ジャイボのせいだ」
 欲しい。
 手放したくない。
 今まで、僕に足りなかったモノ。居場所。
「お前が欲しい。ジャイボ。お前だけは、ずっと僕の隣にいて欲しいと思った……思って、しまったんだ」
 ああ、いやだ。こんなもの、告白しているようなものではないか。
「ゼラッ!!」
「ぐぇっ」
 ジャイボの抱き締める力が強くなる。そして耳元に聞こえる、スンスンとすすり泣く声。うるさいし、首に回った腕が少し締まっていて痛いし、苦しい。でも、不思議とそれが心地よかった。
「‥‥ああ、全く。どうしてくれようか。こんな面倒くさい感情、お前がいなければ絶対に抱く事なんてなかったのに……!」
 狂った。完全に。計画が、狂った。機械になりたかった僕は、たった今、この男に殺された。幼少期からの思いを、あまりにも簡単にこの男はぶち壊してくれた。
「嬉しい。嬉しいよ、ゼラ」
「‥‥ハァ。では、そろそろいい加減、約束通り僕を寝かし付けてくれないか? ‥‥続きはまた、明日話せば良い」
「きゃは。良いよ、じゃあ、子守歌を歌ってあげる」
 首の絞まりがやっと解放されると、まるで幼い子供をあやすように、優しくぽん、ぽんと布団を一定のリズムで叩かれる。

 さぁ ララ ラララ
 ねんねん ころりよ

 さぁ ララ ラララ
 ねんねん おころりよ

 優しい、声だった。僕の重たい瞼は何日も眠れなかったのが嘘のようにすんなりと落ちると、真っ暗な深い、深い眠りへと誘われていく。

「おやすみ、ゼラ。僕の愛おしい人」



















 ─────すぅ、と瞼が開く。視界に広がる、見慣れない天井。いつもより柔らかい布団。隣から感じる熱。
「ここ、は、」
 と、掠れた声で呟いた所でハッと気が付く。そうだ。僕はジャイボの布団で、ジャイボと眠ったのだった。眼鏡を掛け、傍に置かれていた時計を見れば、もう十時を回っている。なんという事だ。こんなに寝坊をしたのは初めてだった。
「僕は、こんな時間まで寝ていたのか」
 どうやら久々にしっかり熟睡出来たようだ。体を起こせば、頭が軽い。怠さも抜けていた。昨日とは大違いである。
「ん? ‥‥あ、ゼラ、起きたの?」
「おはよう。ジャイボ。‥‥すまなかったな、余程寝心地が良かったみたいで、随分と寝坊してしまったようだ。お前も僕に合わせてこの時間まで寝ていたのか?先に起きていれば良かったのに」
「きゃは。今ちょっとだけうとうとしちゃってたけど、さっきまでは起きてたんだよ?ずっと、ゼラの寝顔見てた」
 ずっとジャイボに見つめられていても尚、僕は眠っていたのか。
「飽きないのか?」
「全然」
「僕の寝顔なんて見ても、つまらないだろう」
「綺麗だなって思ったよ。飽きるなんて事ない。いくらでも見ていられるくらい、ゼラは綺麗。‥‥だから、早くその隈取ってよ」
「‥‥努力はする」
 よく眠れはしたが、流石に一日だけでは隈は取れない。なんせ、一週間僕はろくに眠れなかったのだ。それを補うには、これでもまだまだ、寝たりない。
「じゃあ、その隈がなくなるまで、僕と一緒に寝る?」
「嬉しい誘いだが‥‥流石に難しいな。でも、また、いつか。近い内に一緒に眠ってくれないか?また色々考えすぎて眠れなくなるかもしれない」
「もちろん。いつでも言ってよ。僕はいつでもゼラの傍にいたいから」
「‥‥有難う、ジャイボ」
 ベッドから立ち上がる。カーテンを捲れば、ギラギラと照りつける太陽が顔を見せた。それはいつもより眩しく、輝いて見えて。

「また、こんな日が来ることを願おう」
 十四才。これで終わる訳にはいかない。僕は、手に入れるのだ。世界を。
 そして、愛を知ろう。きっと、今からでも遅くない。
 ジャイボはあれだけ僕の傍にいると言い張ったのだ。それなら責任を持って、僕の計画を台無しにした分、教えて貰おうではないか。

「なぁ、ジャイボ」
「なぁに?ゼラ」
「何年掛かっても構わない。だからどうか僕に、愛を教えてはくれないか?」