その手に触れることこそ罪



 耳元で無機質な音が鳴り響き強制的に意識が覚醒していく。

この音本当に嫌い、と重たい瞼をやっとの思いで開きアラームを止める。

 緩慢な動作でベッドを抜け出し向かった洗面所の鏡に映る自分は目の下に濃い隈を作っていて中々酷い顔をしていた。
今日は入念にコンシーラーを塗る必要があるな、と溜息を吐き歯ブラシを手に取る。

歯を磨きながら手に取ったスマホには五条さんからのメッセージが届いていた。

『おはよう!起きれた?』

 そのひと言が送られてきたのは今から30分程前らしい。
私より遅く帰宅して眠ったはずなのに、私より早起きだなんて体調は大丈夫だろうか。

『今起きました。眠いです。五条さんは眠くないですか?』

文字を打ち込み送信してみるが既読は付かない。既に任務か授業準備でもしているのだろう。


 それにしても、昨晩は五条さんに家まで送ってもらったわけだが何も無かったことには驚いた。

あくまで噂ではあるが、五条さんは手が早いと聞いたことがある。
おまけに、複数の人と同時に関係を持つという不誠実っぷり。

これらの噂を知っていたので、お互い明日も仕事だと分かっていてももしかしたら……なんてヒヤヒヤしていたのだが、私が部屋に入るのを見届けるとあっさり踵を返し、帰って行った。

「また明日ね。早く寝るんだよ、おやすみ。」

と微笑んで部屋に入るよう促された時には、何もないの?と拍子抜けしたくらい。

少しでも疚しい想像をした自分が恥ずかしくて、『おやすみなさい』と早口に告げて部屋に入った。

玄関の扉が閉まったあとでお礼をしてないことに気付いてメッセージを送ってみたが、

『どういたしまして。そんなこと気にしなくて良いから早く寝るんだよ』

と、可愛いキャラクターの"おやすみ"スタンプ付きで返信が来ただけだった。

 五条さんの不誠実な噂は案外適当なものなのかもしれない。
あのルックスで地位も名誉もある。

モテない訳が無いのだ。
事実、五条さんを狙っている女性は少なくない。
私や硝子先輩、歌姫先輩など五条さんとそれなりに親しい間柄の女は五条さんを特別視しないが、関わりが薄くなればなるほど、五条さんに憧れを抱く女性は増える。

そんな関係でありもしない噂を立てられてる、なんてことも有り得る。

顔が良いっていうのも、中々大変だなぁ、と鏡の中で忙しなく歯ブラシを動かす自分を見詰めながら思うのだった。



 高専に向かう通勤途中、頭を占めていたのは五条さんのことだった。
昨夜は色んなことがあった。
五条さんと付き合うことになって、不覚にもときめいたりして。

 もしかして、たったあの数時間で私は五条さんに惚れてしまったのか、と昨夜のことを事細かに思い出してみたが、あのときめきは夢だったのかと疑うほど胸に異変は起きない。

アレはやっぱりお酒のせいだったんだ、と思ったのも束の間、高専に着くや否や早速目に入った姿に胸が擽ったくなる。

私から挨拶をするより先におはよう、と言って挙げた大きな手が昨日のことを思い出させる。

私は昨日この大きな手に直接触れたんだと思うと、頬が熱くなる気がした。

一歩、二歩、と足の長い五条さんが踏み出せば私達の距離は途端に縮まり、触れられる程の距離に立つ五条さんに妙に緊張して視線を逸らしてしまう。

「あの後すぐ眠れた?」

「ま、まぁ。寝不足が続いてるせいで気絶するみたいに寝てました。」

「そ。ちゃんと寝れたなら良かった」

そう言って微笑んだ五条さんに、どきどきと鼓動が早まる気がした。

「これから任務で出ちゃうけど20時にはお店行けるようにするから。」

私の耳元に口を寄せ一際小声でそう言った五条さんはまたね、と手をヒラヒラさせ歩いていってしまった。

危ない、心臓止まるかと思った。
いきなり顔が近付いてきたから一瞬キスでもされるかと思ったし、あの良い声で耳元で囁かれて背中がぞくぞくと震えた。
それに、物凄く良い匂いがした。
普段と変わらない、嗅ぎなれた香りのはずなのにやけに甘く感じる。

 五条さんが消えていった曲がり角を見つめながら廊下の真ん中で呆けていた私は、背後から伊地知君に声を掛けられたことでやっと動きを取り戻した。


「苗字さん?…苗字さん!」

「わ、ごめん、ボーッとしてた」

「いえ…最近お疲れの様ですが大丈夫ですか?」

「ちょっと寝不足なだけだよ、ありがとう」

私よりよっぽど疲労を感じさせるやつれた顔の彼に、伊地知君こそ休める時に休みなよ、と声をかけて事務室のドアを開けた。



 今日最後の任務が予想より手間取ってしまい、高専に帰れたのが17時頃。

大急ぎで書類を作成して帰宅したのが18時過ぎ。
そこからシャワーを浴びて用意を済ませ家を出たのが19時半前。

 今日は20時出勤の予定だが、お店に着くのはギリギリになりそうだ、と溜息を吐いた。
来店予定の客を確認する為スマホを開くと、メッセージアプリの通知が表示される。
タップして開いたメッセージは五条さんからのもので、

『20時ピッタリくらいにお店着くよ』

と、犬のキャラクターが急いでいる様子のスタンプ付きで送られてきていた。

可愛いなあ、と思ったのは猫のスタンプに対してか、それとも。



「五条さん、お疲れ様です」

「お疲れー……ねぇ、ちょっと」

 出勤して最初に着いた席は五条さんの席だった。

オープンと同時に入店したらしい。
店内にはまだ五条さんと、同伴で来店した他のキャストのお客様が数組居るだけで閑散としている。

五条さんのドリンクを頼んでから隣に座ろうとするとそれを制されてしまった。
相変わらず目元は黒い布で覆われているせいで表情は伺えないが、声のトーンから察するに機嫌があまりよろしくない。

「…?何ですか?」

「……そのドレス、露出多くない?」

「え?そうですか?」

頭のてっぺんから爪先までじっくり見られ、恥ずかしさにドレスの裾をきゅっと握る。

露出が多い、と五条さんは言っているが、今日のドレスはタイトなシルエットにミニ丈の一般的なドレスだ。
確かに胸元は多少開いているけど、普通の範囲内だと思う。

しかし気に入らないらしい五条さんは"着替えてきて!"とか、"せめてストールでも巻いて!"と言って騒いでいる。

今日はこれ以外ドレスを持ってきてない、と答えれば"僕が買ってくる"などと言い出す始末で、『名前さん少々お借りしてよろしいですか』と黒服が呼びに来るまでの数十分私達の攻防は続いた。

「ねぇマジでその服で他の男の前出る気?有り得ないんだけど。」

「もう、行きますよ!触られないようにしますから大丈夫です!」

「そんなの当たり前でしょ!触られる以前の問題。見られるのが嫌、無理、有り得ない」

埒が明かないと判断した私はご機嫌斜めの五条さんを適当に宥めながら黒服が呼びに来るのを待った。

流石に黒服が呼びに来れば五条さんも黙るしかなく、大丈夫ですから!ちゃんと気をつけますから!と言い聞かせて席を立ったのだった。



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