不都合な愛を自覚して
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このドレスを選んだことは失敗だったかもしれない。
五条さんの言う通り、着替えればよかったのだ。私自身はこれ一着しか持ってきていないが、お店には数着のドレスとパンプスなどが常備されているのだからそれらを借りれば良かったのだ。
と、酒で赤く染まった顔を私に近付けて胸や足を舐めるように見る中年の男を否しながら思った。
五条さんの席を抜けて着いたのは、指名客の席ではなく新規フリーのテーブルだった。
女の子が足りず付け回しの調整の為に少しの間だけ着いてほしい、と申し訳無さそうに言われたが、混雑時や開店直後などはキャストが足りずこういった事も珍しくない。
それにこれは新規のお客様をゲットするチャンスでもある。
もうすぐ辞めるのだから新しいお客さんをゲットしたいとは思わないが、かと言って働く以上最後まできっちりやるつもりだ。
そんな訳で着いた新規のお客様はどうやら私を気に入ってくれたらしく、着いてすぐに指名を頂いた。
それはとても有難いことなのだけど、問題はこのお客様が下ネタ大好き、お触り大好きタイプだったということ。
五条さんが居るおかげで付きっきりにならないことが救いだが、しつこさとお触りへの執念が凄まじく、たった15分程度の接客の間に何度も触られかけている。
窘めて躱して何とかやり過ごしているが、それも時間の問題だろう。
何よりこんな所をもし五条さんに見られでもしたら。
"僕以外の男がお前に触れた瞬間店ごと潰しちゃうかも"
昨日の五条さんの言葉が頭に過ぎり青ざめていると、すり、とカサついた感触が足に走った。
「名前ちゃん隙アリ!…わあ、生足なんだねぇ」
うわ、と思ったのと同時にカサついた手は太腿の隙間に滑り込んでいく。
キャバクラで働き出して3ヶ月、お触りが激しいお客さんなんて初めてじゃない。
軽めのボディタッチも含めれば一々数えていられないくらいには経験がある。
だからと言って慣れた訳では無いし気分の良いものでも無い。
手を退かそうとした時、ざわりと背中が粟立つような呪力を感じ、恐る恐る其方に目をやると、トイレの方向へ歩いていく五条さんが目に入る。
此方をチラリとも見ずに、わざと私にだけ伝わる様に呪力を向けて牽制している。
いやいや、私はちゃんと気を張っていたしこれは不可抗力だしちゃんと今から手を退かそうとしていたし…と心の中で言い訳をするが勿論五条さんには届かない。
ヘルプで着いてくれている女の子にニコリと微笑んでからトイレに入って行く姿が見えて、なんかもう、そのまま出てこなければいいのに、と思った。
◇
「はーい、言い訳タイム」
「すいませんアレは不可抗力と言いますか、私は気を張っていたしうっかり触られてしまいましたけど当たり前に手を退かそうとしましたし、でもその瞬間五条さんの殺意を感じて体がフリーズしてしまい…」
「オマエさぁ、仮にも学生時代は術師目指してた身のクセに何普通のオッサンに隙作ってんだよ。一般人にスピードで負けるって補助監督とは言えどうなの」
「…オッサンが早すぎました」
「違ぇよオマエが隙だらけなんだよ」
「……オッサンがフィジカルギフテッドで、」
「ふざけない。…だから言ったんだよ、露出多すぎ、って」
「う……ごめんなさい」
あの後、チェックを出したお触りおじさんをお見送りした私は恐る恐る五条さんのテーブルへ向かった。
案の定五条さんは不機嫌で、ずっとこの調子で小言を言っている。
「昨日僕なんて言ったっけ」
「……1億円あげるよ、でしたっけ?」
「言ってねーよ」
険悪な雰囲気をどうにかしたくて軽口を叩き続ける私に五条さんはハァ、と大袈裟に溜息を付く。
「僕以外に触られんなよって言ったんだけど」
「はい……」
「まさかたった1日で約束破られちゃうとはねえ。流石の僕もビックリだよ。この店ごとあのジジイ消さなかったこと褒めてほしいね」
「……ごめんなさい…」
「だから本当は昨日のうちに辞めて欲しかったんだけど……ね、今日この店を辞めるか今此処にいる全員を店ごと吹き飛ばすか、どっちか選んでよ」
「何ですかそれ、二択のフリして選択肢ないじゃないですか…もっと気を付けるので最初の約束通りシフト分は働きたいです…!」
「オマエのそういう律儀なとこ嫌いじゃないけどさ。……どうしても働きたいって言うなら約束して欲しいんだけど」
と言って五条さんが出した条件は生足禁止、胸元見せるの禁止、というものだった。
本当はミニ丈のドレスも禁止と言われたけど、着るものないです!と食い下がり生足を出さない、ストッキングを履くということで譲歩してもらった。
それでも尚お小言を言っていた五条さんだったが、緊急の任務が入った様で嫌々帰って行った。
テーブルに置かれたスマホが震えた時の舌打ちといったら。
店中に響いたのでは、というほどデカい舌打ちをかましながら手に取ったスマホの画面には伊地知君の名前。
ちょっとごめん、と言って外に出ていく五条さんの後ろ姿を見ながら、恐らく普段の3倍は嫌味を言われるであろう伊地知君を想像して同情した。
今の五条さんの不機嫌な理由は間違いなく私なので、理不尽にキレられているであろう伊地知君には非常に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
明日コーヒーでも奢ろう。
◇
「苗字さん?いきなりどうしたんですか?有難いですが…」
「うーん、何となく?いつも伊地知君疲れてるから…」
「お気遣いありがとうございます」
次の日、予想通り普段の二割増でゲッソリしていた伊地知君が目を血走らせてパソコンに向かっているのを見付けた私は缶コーヒーを差し入れた。
まさか昨日の五条さんの不機嫌の理由は私ですとは言えないので、適当な理由を付けて缶コーヒーを渡せば少し困惑しながらも受け取ってくれた。
「目、めっちゃ充血してるねぇ。最近寝れてる?」
「それがあまり……昨日も久しぶりに定時で上がれたと思ったら呼び出しが掛かって五条さんと任務に行くことになって…」
その先は聞かなくても分かる。
五条さんに連絡して、不機嫌な五条さんに嫌味を言われながら任務に向かって……。
想像しただけでキツい。
「ちょっと、2人で朝から僕の悪口ー?」
「ヒィ!五条さん!お、おはようございます!悪口なんてそんな、とんでもない!」
「わぁ!音もなく後ろに立たないでください!おはようございます!」
ひょこ、と顔を出した五条さんが私達の手元を覗き込む。
「2人でコーヒー飲んでんの?」
「あ、はい。苗字さんが奢ってくれて…」
「ふーん?何で?僕には?」
「伊地知君、なんか疲れてたので気になって…」
勘が良い五条さんはここまで言えば私が伊地知君にコーヒーを差し入れた理由が分かったようで、"僕も疲れてるんですけどー"と不貞腐れていた。
夜中の呼び出しという点では五条さんも疲れているだろうけど、伊地知君の疲れの半分は五条さんによる心労だと思うので五条さんに奢るコーヒーは無い。
なんて思っていると、口をへの字に曲げた五条さんが私の手から缶を取り上げ中身を飲み干した。
「はぁ!?ちょ、ちょっと五条さんっ」
「うげぇ、苦……」
んべ、と舌を出した姿に、勝手に飲んだくせに、とか、関節キスだ、とか忙しなく頭が回る。
一方五条さんは何でも無いという顔でご馳走様〜、と言い残すと歩いて行ってしまった。
残された私と伊地知君の間には気まずい空気が流れていたが、"仕事に戻りましょうか"という伊地知君の一言で私達はそれぞれのデスクに向き合い始めた。
◇
「五条さん、今朝のはマズイですって」
「今朝の?あー、間接キス?」
「かっ、…ハッキリ言葉にされると恥ずかしいんですけど」
「名前ってそんなにピュアだったっけ」
「少なくとも五条さんよりはピュアでしょうね」
「ちょっと。僕もピュアだけど」
「何言ってんですか。そのビジュアルでモテない訳ないじゃないですか」
「……ふーん、それはつまり名前は僕のことイケメンだと思ってるってこと?」
「う、そりゃあ、五条さんのことをブサイクだと思う人は居ないと思いますけど。」
「へぇ?好きな子に褒められるとこんなに嬉しいものなんだね!」
「すっ!?もう、恥ずかしげもなくそういうことポンポン言うの辞めてください!心臓が持たないです!」
首を少し傾げてニヤリと笑う五条さんは完全に私の反応を楽しんでいる。
なまじ先輩後輩という関係が長いせいで、いきなり甘い言葉を言われるとどんな顔をしたら良いか分からなくなる。
五条さんは分かり易く態度に出していたと言うけど私は全く気付かなかったし意識していなかったので、"意地悪だけど頼りになる先輩"という認識しかしていなかった。
恋愛経験の少ない私は好きだと言われただけで意識してしまうし、数日前までただの先輩としか思っていなかったのに特別に見えてくるのだから恐ろしい。
若いうちにもっと色々経験しておくべきだったな、と熱くなった顔に手を当て考えていると黒服に呼ばれ席を立った。
これ以上揶揄われたら本当に心臓が持たなかったので助かったと思う反面、五条さんから離れたくないと思う自分もいて、流石にチョロすぎるのでは?と呆れてしまった。
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