始まりにかしずく夜明け



 他愛ない話をいくつかして1時間くらい経った頃、頭が上手く回らない感覚に妙な違和感を覚えた。

酔いともまた違うような──そう思った時、きゅっと手を握られる感覚がして手元に視線を落とすと、茂部さんの両手が私の手を包んでいる。

何か変だ、と困惑する私をよそに真剣な口振りで話し始めた茂部さんはどこか恍惚とした表情を浮かべている。

「名前ちゃん…改めて今までお疲れ様。楽しい時間をありがとうね。君と居ると本当に楽しくて癒されて……だからもう会えなくなっちゃうのが辛いんだ。これからは君のことをプライベートで支えていきたいと思ってるんだ。僕達きっと合うと思うし、付き合おう?」

「え、あ、どうしたんですか……?いつもそんなこと言わないのに……あ、もしかして酔ってます?」

ふふ、と笑ってやり過ごそうとするが茂部さんは相変わらず恍惚とした表情で私の手を撫でている。

どうやらこれは冗談でも酔っ払いの戯言でも無いらしい。

「いつも我慢してたんだよ?名前ちゃんに嫌われたくないから……。だって、キモいでしょ?只の客が下心丸出しで口説いてきたら。だから我慢してたんだけど……名前ちゃん、言ってくれたよね。僕は特別だ、って。僕の席に居る時は安心する、落ち着く、って。それって…僕のこと好きってことだよね?」

確かに、席に着いている時は気楽で落ち着く、安心すると伝えた記憶がある。

だがそれでどうして好きという発想になるのだろうか。
自分の伝え方に問題があったのかと記憶を手繰り寄せるが、上手く回らない頭では詳細まで思い出すことが出来ない。

そんな状態でも状況が良くないことは充分理解出来たし、この男は私が思っていたような"良い"人ではなく、"危ない"人だと判断することは容易だった。

「ごめんなさい、私明日も朝早いのでそろそろ帰りますね。また連絡するので、そういうお話は改めてしましょう?」

「だ、だけど、」

「あのこれ、足りますかね?ここのお代」

「いや、それは僕が払うから要らないけど……ほら、タクシー!タクシー呼んでないし、」

「適当に拾いますから大丈夫です」

「今帰ったらタクシー代、出してあげないよ!」

最悪だ。
タクシー代出して欲しかったらもう少し話に付き合え、と脅しているつもりだろうか。
そんな脅しで、はい分かりましたと大人しく座る女が居るとでも思っているのだろうか。

たかがタクシー代。
安くは無いが払えないほど困ってもいない。

これ以上会話するだけ無駄だ、とバッグを掴み席を立つ。

「タクシー代は要りませんから。ご馳走様でした。」

足早に店を出て、楽しい最終日だったのに最後の最後でこれか、とぐったりしながら家の方面に向かって歩き出した。
しかし2、3歩進んだ所でぐわん、と目眩がして、立っていられずその場に座り込んだ。

たった3杯しか飲んでいないお酒でこうなる筈がない。
硝子さん程ではないが私もお酒の強さには自信がある。

あいつ、やっぱりカクテルに何か仕込んでたな、と考えているといきなり腕を掴まれぐっ、と強く引かれ強制的に立たされた。

「痛っ…!」

あまりに無遠慮な力加減に足が縺れる。
だれ、と振り返ると、私の腕を掴んでいたのは茂部さんだった。

「……僕がどれだけ、君にお金を使ったと思ってる……どれだけ時間を割いて……」

ブツブツと独り言のように言葉を漏らす姿は目が虚ろで常軌を逸している。

「あの男…、まさか最近よく来る白髪のデカい男とデキてるの?そういえばあの男が来るようになってから名前ちゃん変わったもんね。ドレスの趣味も変わってストッキング履くようになって挙句の果てにはいきなり辞めるなんて、前は暫く続けるつもりだって言ってたのに…!」

早口で捲し立てる姿に、まずい、と思った瞬間、男は声を張り上げた。

「おかしいだろ!僕の方が前から応援してて、アイツより時間も金も使ってるのに!何で付き合ってくれないんだよ!?付き合ってくれないなら返せ!僕の金と時間!」

「ッ、ごめんなさいっ……」

 普段、人間よりずっと恐ろしい呪霊とそれを祓う曲者達を相手に仕事していて修羅場もそれなりに経験しているが、明白に自分に向けられる憎悪というのは初めてで恐怖で肩が震えてしまう。

反射的に出た謝罪の言葉は火に油を注いでしまったようで更に声は大きく、言葉も荒くなっていく。

「何に対しての謝罪だよ!?謝るくらいなら態度で示せ!僕と付き合えよ!」

「そ、それは、出来ませんっ…!」

「だからっ、」

「はーいストップ。何してんの?こんな所で」

再び張り上げられた声に肩が震えた時、背後から五条さんの声がした。

どうしてここに、とか、任務は、とか気になることは諸々あったが、それよりも助かった、と安堵の思いが強かった。

私の数歩後ろに立つ五条さんは目隠しもサングラスもしていなくて、その綺麗な顔がよく見えるのだがそれは明らかに怒りを滲ませていて、茂部さんよりヤバい顔をしている。

瞳孔は開いてるし、これではどちらが悪者か分からない。


「お前…最近よく来る名前ちゃんの客か…?」

「そうだけど。お前は名前の1番の太客だっけ?何してんの?店はとっくに終わってるよね」

「僕は名前ちゃんと今まで飲みに行ってたんだ。今大切な話の途中だから2人にしてくれないか?」

「ふーん……大切な話、ねぇ」

本当?と私を見た五条さんの顔は恐ろしくて、必死に首を横に振ることしか出来ない。

「違うって言ってるけど」

「名前ちゃん!僕達のこれからについて話してたじゃないか!これは大切な話だよ!とにかくお前には関係ない、帰ってくれ!」

五条さんは口元を歪ませ、関係ない……と復唱した。

「あのさぁ、お前ハッキリ言わないとしつこそうだから言わせてもらうけど。実は僕達付き合ってんの。僕は名前の彼氏で、名前は僕の彼女。分かる?で、彼氏の僕が関係ない大切な話って、何?」

五条さんは冷たい声でそう言って首を傾げたが、如何せん瞳孔が開いているせいで全く可愛らしくない。
むしろ、その仕草は恐怖を倍増させている。

「う、嘘だよね……?だって僕はずっと名前ちゃんのこと1番近くで応援してきて…僕の方が名前ちゃんのこと大好きだしよく知ってるし…特別だって、安心するって言ってくれたじゃないか!それにコイツなんかよりお金だって僕の方が持ってるよ!?そんな男と付き合ってないよね!?」

「えっと……ごめんなさい。この人と付き合ってるっていうのは本当です。」

「そんな、だって、」

「ねぇ、ちょっと気に食わないから言わせて欲しいんだけどさぁ、僕と名前は学生時代からの仲だし僕はその頃から名前のこと好きだし多分お金も僕の方が持ってるし、つまりお前は僕に勝てる要素ひとつも無いんだけど。で、誰が関係なくて、何の話してるんだっけ?」

「ッこの、クソ女!騙しやがって!許さないからな!お前ら2人とも!覚えてろよ!」

見本の様な捨て台詞を放った茂部さんは早歩きで夜の街へと消えていった。

まるでアニメや映画に出てくる悪役みたいだ、と思ったのは開放された安堵からなのだろうけど、"で?"と隣から聞こえてきた低い声に、さっきよりマズイ状況なのでは、と冷や汗が吹き出した。

「オマエからまだ話聞いてないんだけどこれはどういう状況?」

「……えーっと…」

事の経緯を慎重に言葉を選んで、多少自分に都合良く言い換えたりしながら五条さんに話していく。

ハァ?とか馬鹿なの?とか所々辛辣な一言を貰いながらも最後まで話終えると、五条さんは盛大な溜息を吐いた。

「オマエが馬鹿だってことはよーく分かったよ。」

「う……ごめんなさい。何も言えないです…」

「オマエの迂闊な行動のせいでうっかり僕が人殺しになるところだったよー?アイツの怒鳴り声が聞こえてきた時はマジで殺すかと思った。思い留まったこと褒めてほしいよ」

「思い留まってくれて良かったです……それにしても本当に助かりました。でも五条さんはどうしてここに?」

「お店の閉店時間になっても連絡無いし、僕が送ったメッセージも既読すら付かないから心配になって飛んできたの」

そしたら案の定これだよ、と大袈裟に肩を竦める姿に申し訳無い気持ちでいっぱいになる。


「本当にごめんなさい。黙って行っちゃって…」

「まぁ言いたいことはまだあるけど、今日はこのくらいで勘弁してあげるよ」

ほら、と差し出された手をぎゅっと握る。
そういえば手を繋ぐのはあの日以来だ。

気恥ずかしくて黙りこくっていると五条さんがふと振り返り私の顔を覗き込む。

「もしかして手繋いだくらいで照れてんの?」

「だって五条さんと恋人っぽいことするの慣れなくて……私達付き合ってからほぼ毎日顔合わせてるのにあんまり関係性が変わってないっていうか…いまいち付き合った実感が無いんですよね。」

「……あー、なるほどね…」

「そりゃ私だって恋愛経験のひとつやふたつはありますから手繋いだくらいじゃ照れたりしないですけど……先輩として見てるからですかね、なんか気恥ずかしくて。」

「ハァ……自分でしたことだけど、まだ先輩って枠を出られてないんだと思うと地味に傷付くね…」

「え?」

「……進展させたくない訳ないでしょ、長年の念願叶ってやっと付き合えたのにさ。名前が彼女なんだと思ったらどんどん独占欲が湧いてきちゃって、このままだと名前の願いを聞いてやれなくなりそうだったから副業辞めるまではなるべく今までと変わらない距離感で接しようって決めてたんだ」

「そうだったんですか……」

「ま、それも今日で終わりだけどね。名前にとってまだ僕はただの先輩みたいだけどこれからは遠慮なくいかせてもらうよ。だから早く僕のこと好きになってよ」

「……そ、それなら多分もう…」

「え、」

「まだハッキリ言えないけど…でも、多分私も五条さんのこと、すき、です…」

「……マジ?」

「マ、マジです…」

恥ずかしさから五条さんの顔をまともに見られず俯くと、繋いでいた手が離された。

どうしたのだろう、と顔を上げようとしたが、それを制するように抱きしめられ身動きが取れなくなる。

子供のように高い体温が、とくん、とくんと規則正しく刻まれる心音が、伝わってくる。
ほのかに甘い香りが鼻腔を擽り、肺を満たしていく。

広い背中に手を回すと、私を抱きしめる手に力が入る。
ひどく緊張している筈なのに、それ以上に五条さんの温もりに安心している。


「……さっきのさ、もう1回言ってよ」

「い、嫌ですよ!」

「だってオマエ、こんな時くらいしか言ってくれなさそうじゃん。明日には酔ってたから〜とか言って惚けてそうだし。」

「なんでお酒飲んだって分かるんですか……!」

「分かるよ。酒の匂いはするし舌っ足らずだしふらついてるし。他の男の前でこんなになるまで飲むとか、」

「ち、違います!お酒は3杯しか飲んでなくて、これはあの男になんか変な……あ」

「変な、何」

「……えーっと、変なお酒を……」

「正直に」


墓穴を掘った私は詳細を説明させられることになり、五条さんにはしっかり叱られた。

そして、"やっぱりさっきの男殺していい?"と冗談とは思えないトーンと顔付きで言う五条さんを宥める羽目になった。

「もうお店辞めた訳だし二度目は無いと思うけど、僕以外の男と2人で飲みに行くの禁止。」

「イエッサー!」

「ふざけない。ほら、そんなことならさっさとタクシー捕まえて帰るよ。オマエ、明日休みだよね?」

「休みです。五条さんは?って休みなわけ無いですよね」

「休み」

「ですよねぇ、って、え?!お休みなんですか?」

「最近マジで全然休み無かったからもぎ取ってきた。ま、お呼び出しがあれば行かなきゃだけどね。てことで行くよ、僕の家」

「僕の、家?」

「付き合って初めて2人の休みが被るんだよ?するでしょお泊まり。そんで明日はデート。」

「は、え?」

いきなり告げられたこれからの予定に思わず素っ頓狂な声が出た。

恋人の家に泊まるということが何を意味するのか分からないほど純粋ではない。
恋人同士が一つ屋根の下で一夜を明かすということは、つまりそういうことだ。

「ちょ、ちょっといきなりすぎません?展開が早すぎる…!それにほら、あの、下着とか着替えとか諸々用意が、」

「じゃあ一旦名前の家に必要な物取りに帰ってから行こっか」

「あ、それなら──じゃなくて!心の準備がですね!まだ出来ていないというか!」

「なにー?もしかしてやらしいこと考えてる?」

「エ?!いや!考えてないですけど!?」

「僕は訳わかんない薬盛られた名前の体が心配だし明日は朝からデートしたいから家に泊まればー?って意味で提案したんだけど、何を想像してるのかなー?」

「え!?わ、私も、そういった意味での、合理的なお泊まり会だと受け取っておりますが!」

「何その喋り方、大丈夫?てか名前もそう思ってるなら問題無いよね!じゃあ決まり!一旦名前の家寄ってから僕の家!」


そう言うやいなやタクシーを停めると私を押し込みアパートの住所を告げた。

五条さんが私の家の住所を暗記していることに若干引いたが、これから五条さんの家に泊まる準備をする為に帰るのだと思うと緊張や羞恥、それからほんの僅かな期待が押し寄せどうでも良くなる。


 まるで、熱でもあるかのように頬が火照っているのを感じながら、私達はまだキスもしていないのだしきっと何も起こらない、と自分自身に言い聞かせる。

 馬鹿になってしまったようにどくどくと脈打つ心臓を宥めるように、五条さんは何だかんだと言っても優しいからまだ待ってくれる、と自分自身に言い聞かせる。

そうして漸く落ち着いた火照りと心音に安堵しながら窓の外を流れる景色に目をやる。

明日のデートには何を着ていこうか。
クローゼットに仕舞われたまますっかり出番を無くしていたお気に入りのワンピースを数枚思い浮かべながら、わくわくと心を踊らせている自分に気付くのだった。


 その後、五条さんのペースに乗せられ上手いこと流された結果、翌日のデートの予定が大幅に変更になることをこの時の私はまだ知らない。



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