02.
「名前ちゃんは五条さん達の席着くの始めてだよね?さっきも言ったけど、ウチにとってとても大切なお客様だから。絶対に失礼の無いように。名前ちゃんが着くのは五条さんと夏油さんのお連れ様だからあんまり関わらなくて済むとは思うけど、同じテーブルに着く以上気を付けてね」
「は、はい。気を付けます。」
「他の皆はいつも通りに丁寧な接客をお願いね。それじゃ行こうか」
"大切なお客様"こと五条さん、夏油さんと呼ばれる人達が来店したのは20分後の事だった。
わざわざ店長が釘を刺しにくる程のお客様だ。
私のような入店したばかりの、それも業界未経験で週に2、3回しか出勤しない素人同然のキャストはヘルプどころか呼ばれないまま終わるかもしれないと思っていたのに、予想に反して一回転目のキャストに選ばれた。
五条さんと夏油さんには指名のキャストがいるのだが、お連れの2人はフリーでその内の1人が"新人が良い"と指定してきたらしい。
この店で1番の新人は私なので選ばれた、と言うわけだ。
再度"失礼の無いように"と釘を刺され、店長を先頭に毎月売上1位の座を争っている人気嬢2人、お連れ様に着くらしい先輩キャスト、そして私の順でVIPルームへ歩いていった。
"とにかく失礼の無いように、回転の時間になってボーイに抜かれるまでやり過ごす。
普通のフリーのお客様とは訳が違うのだから、指名を取りに行こうとしなくて良い"
それが私の中で纏まった接客方針だった。
指名も売上も欲しくない訳じゃないが、あくまで副業だし正直なところ時給さえ貰えれば良いのだ。
五条さんと夏油さんのお連れ様とは言え、店にとって"大切なお客様"と言わしめる人物の連れに気に入られたら面倒そう、と思ってしまう私は世界一やる気の無いキャバ嬢だ。
そんなことを思っているうちにVIPルームへ着いてしまい、店長が媚びを売るような声で個室内へ呼び掛け、そして丁寧にドアが開かれた。
室内には白髪で青い瞳をした美しい顔の男性と、長い黒髪を後ろでお団子に束ねた前髪が特徴的な塩顔の男性、金髪をオールバックにして変わった形のサングラスをした外国人のような男性、黒いニット帽を被った人懐こそうな顔のあどけない印象がある男性、の4人が座っていた。
扉が開かれるまで"どれくらい良い男か見てやろう"と思うくらいには余裕があったのに、いざ対面してみると4人から発せられる圧が凄まじく、緊張感に襲われた。
そもそも私は子供時代のトラウマのせいで所謂イケメンが苦手なのだが、4人はそれぞれタイプは違えど揃いも揃って顔が整っており、それだけで恐ろしく感じた。
女の子達の話からして、五条さんと夏油さんがイケメンなことは理解していたが、お連れまでイケメンだなんて聞いてない、と心の中で叫んだ。
今月の売上No.1キャストが「五条さぁん」と甘い声で呼んだのは白髪の男性で、きらきらした目で隣に腰を下ろしべったりとくっついている。
接客やサービスというより自ら進んでそうしている様に見える。
黒髪の男性の隣はNo.2のキャストが座り、「夏油さん、お久しぶりです」とこちらもまた甘い声で話し掛けている。
なるほど、この2人が五条さんと夏油さんか。
待機席での女の子達の浮かれっぷりを思い出して、確かにこの容姿なら色めき立つのも納得だ、と心の中で頷いた。
先輩キャストは金髪の男性へ、そして私は黒いニット帽の男性の隣へ座るよう促された。
簡単な着席の挨拶を済ませると、男性はニコニコと人好きする笑顔で自己紹介をしてくれた。
ご丁寧にフルネームまで教えてくれた彼は猪野琢真さんと言うらしい。
お酒を作って当たり障りの無い会話をしているうちにあっという間に回転の時間になっていた。
猪野さんと話しているのは苦じゃないどころか空気感が合うようでとても楽しい。
キャバクラで働き始めてから1番良い接客が出来た気すらしていた。
しかし指名されるのは面倒だ、という気持ちは相変わらずだったので回転の時間に安堵していたのだが、猪野さんの口から出たのは指名の2文字だった。
「俺、名前ちゃん指名しても良いっすか?」
「もちろん良いよー。猪野が指名するなんて珍しいねぇ。気に入った?」
「名前ちゃんめっちゃ良い子なんすよ!話しててラクだし!んじゃ俺名前ちゃん指名で!」
この場は五条さん持ちなのだろうか、ご丁寧に五条さんにお伺いを立てて、私を呼びに来た店長に指名すると言った猪野さんはかなりご機嫌だった。
一方で私はありがとうございます、と喜んでみせながらも心中は穏やかではなかった。
まぁ、猪野さんと話すのは楽しいし、お店には五条さんや夏油さんに連れられてたまに来るくらい、と言っていたからそう顔を合わせることもないだろう、と諦め他愛ない話を続けた。
1時間2時間と過ぎていく毎に話題は広がり、お互いお酒も進み酔いが回っていく。
始めの頃は五条さんや夏油さん、それから金髪の男性こと七海さんが気になってしまったりもしたけれど、案外全員キャストとしっぽりタイプなのか特に話すことも関わることもなくやがて気にならなくなっていた。
探り探りだった会話もすっかりディープな話題へと変わっていき、お互いの仕事についての話になっていた。
「へぇ!じゃあ名前ちゃん昼間はOLしてんだ。OLってなんかエロいよな」
「どんなOLを想像してるのか知りませんけど全然エロくも何とも無いですよー。もう、地味な格好してカタカタパソコン打って、上司に怒られ後輩の尻拭い……そんな毎日です」
「で、そんな地味なOLが夜はこーんなに可愛いキャバ嬢になっちゃう訳でしょ?エロいじゃん」
「えへへ、初めて言われましたよ」
「……すみません、他人の会話に介入するのは趣味じゃありませんけど、今のは照れるところでは無いかと。」
「確かに自分で言っといて何だけど、七海さんの言う通り今のは照れるとこじゃねーよ!多分セクハラだから怒るところ!」
「えぇ?じゃ、じゃあ、セクハラで怒りますよっ!」
「…ふっ、あははは!何だよそれ!全然怒ってねぇー!名前ちゃんって人にキレたり出来ないタイプでしょ?」
「あ、当たりです」
「だよねー、お酒のせい?それとも普段からこんなふわふわしてんの?」
「ふわふわ……普段はキリッとこう、格好良いお姉さん、なつもりですヒールカツカツ鳴らしちゃったりして」
「マジかよ全然想像付かねぇ〜!ヒールポキッとかやってそうじゃん」
「……まさに今朝ポキッとやったところです。」
「マジか冗談で言ったのに当てちゃった」
猪野さんはぎゃははは、と元気な笑い声を響かせ、猪野さんの声が大きいせいか近くに座る七海さんまで肩を震わせている。
七海さんの隣に座るキャストはコロコロ代わっていて、今隣に座る女の子は初めに着いた子ではない。
会話に入れないせいか、貼り付けたような笑顔で猪野さんと七海さんを見ている。
そういえばあまり視線を向けるのも良くないかと思って気にしないようにしていたけれど、五条さんと夏油さんの隣に座る女の子もこまめに変わっている。
と言ってもそれは彼らが指名している女の子達がお店で最も人気のあるキャスト達だから、指名のお客様が他にも居てこのテーブルに付きっきりという訳にいかないからだ。
ヘルプとして宛てがわれた女の子達はそれでも喜んで席に着くし、役目が終わると心底残念そうにテーブルを抜けていく。
確かに2人はとんでもないイケメンだから、女の子達の気持ちも分からなくは無い。
だけど私だったら隣に座っただけで緊張して仕事どころでは無くなりそうだ。
猪野さんだって整った顔をしているし黙っていられたら緊張してしまうだろうけど、如何せん口を開くとこんなにも気さくで面白い。
お陰様でさして緊張すること無く接することが出来ている。
猪野さんが指名してくれなかったらヘルプとして五条さんか夏油さんのどちらかに着くことになっていたかもしれないから、指名してくれて助かった。
そんなことを思った時、テーブルに置かれた猪野さんのスマートフォンがぶるぶると震え着信を知らせた。
「あ、やべ。ごめんちょっと出てくる!外で電話してくるから名前ちゃんはここで待ってて」
「え、あ」
早口でそう捲し立てると、スマホを手にテーブルを抜け、五条さんと夏油さんにスマホを掲げ会釈してVIPルームを出ていった。
猪野さんが席を立ったことで暇を持て余した私は意味もなくグラスの水滴を拭ってみたりおしぼりを整えてみたけれど、すぐにまた仕事を失い、猪野さん早く戻ってこないかなぁ、とぼんやりとドアを眺める。
私の思いが通じたようにドアが開いて、猪野さんが戻ってきた!と喜んだが、VIPルームに入ってきたのは小太りの黒いスーツを着た男、店長だった。
どうやら五条さんと夏油さんの指名の女の子が抜ける時間らしい。
なぁんだ、回転の時間だっただけか、と落胆していると、「ごめんねぇ、すぐ戻ってくるからね」「もっと夏油さんの隣に居たいのにぃ」と、彼女達の甘えた声が聞こえてきた。
なるほど、ああいう事が言えるようになれば指名率が上がるのかもしれない。
まぁ、2人の様子からして営業ではなく本心のようにも見えるが。
普段はあの二人のヘルプばかりで接客している姿なんてまともに見たことがない。
売れっ子の接客は勉強になるな、と感心したが、学んだことを活かすほどの熱量は私には無い。
なんて、呑気に思いながら自分のグラスに口を付けた時、五条さんがとんでもない事を言い出したことでその場の空気が一気に変わった。
「あ、店長ー。僕ヘルプ要らないから。傑にだけつけてやって」
「え、でも…」
「その代わりさ、あの子、隣連れてきてよ」
そう言って五条さんが指先を向けたのは私だった。
もしかして七海さんの隣に座る子かも、なんて思いもしたが、綺麗な青い瞳とバッチリ目が合ったことで自分で間違いないと確信した。
「ちょっと悟、あの子は猪野が指名してる子だよ」
「分かってるよ。猪野が戻ってきたら猪野もコッチ座らせりゃ良いじゃん」
「五条さぁん、私が戻ってきたらどうするの?私どこに座ったら良いの?」
「別に広いんだしあの子が左側でお前が右側に座りゃ良いじゃん」
「でも…」
「コロコロ女変わるの正直鬱陶しいんだよねー、またイチから会話すんのめんどくさいし。出来るよね?」
「は、ハイッ!さ、ほら、名前ちゃんこっち、五条さんのお隣座って!」
五条さんの言葉には圧が込められていて、背筋を伸ばした店長はコクコク頷いている。
促されるまま自分の荷物とグラスを手にいそいそと五条さんの隣へ歩いていくが、入口から私をじっと見つめる…というより睨んでいる五条さんの指名嬢の視線が痛い。
睨まれたって、私が何かしたわけじゃない。
話してもいないし、それどころか目すら今の今まで合わなかった。
それがどうしてこんな展開になっているのか、私が1番分からない。
とにかく猪野さん、早く戻ってきて。
そう祈りながら、失礼します。と呟いて隣に腰を下ろした。
それを見届けて店長はキャスト2人を連れて部屋を出て行ったが、五条さんの指名嬢は最後まで私を睨み付けていた。
一波乱起きる予感に、やっぱり今日はツイてないなぁ、と頭の中で呟くのだった。
◇
「僕が君を呼んだ理由?んー、猪野が居なくなっちゃって暇そうだったから。さっきも言ったでしょ?僕コロコロ女の子変わるの嫌なんだよねー。まあ、アイツが売れっ子って証だから"僕の立場"的には喜ぶことなんだけどさ。あ、何?もしかして気に入られちゃった、とか思った?」
この饒舌っぷりで手元のグラスはソフトドリンクだと言うのだから驚きだ。
お酒が入ったらどうなってしまうのだろう。
話題に困った私がひとまず投げ掛けた疑問に身振り手振りを加えて答えてくれる五条さんの言葉にはトゲがあるというか、圧があるというか。
"気に入られちゃった、とか思った?"と言った顔は自信たっぷりで、さもこの世の全女性が自分に気に入られたい、気に入られたら光栄な事だと思ってる、というような口振りに少しカチンときた私は、長年のOL生活により培った"鬱陶しい上司を相手にするモード"に心を切り替え、ニッコリ満面の笑みを浮かべた。
「いえ!そういう事なら良かったです!わざわざお気遣い、ありがとうございます。人のお客様を取っちゃうなんてご法度だし、せっかく猪野さんにご指名貰ってるから、気に入られちゃってたら困るなぁ、って思ってたので!」
言ったあとで、あ、ちょっと言い過ぎたかも。と思ったし、"絶対に失礼の無いように!"という店長の言葉を思い出したが手遅れだったようで五条さんは笑顔のままピシリと固まっていた。
「……オマエさ、良い度胸してんじゃん」
「あ、あは……えーっと、ありがとうございます…」
「褒めてねぇよ。はー、なんか久しぶりにこんな生意気な女見たな」
くつくつと喉を鳴らして笑っているが、これが愉悦からくるものでは無く怒りからくるものだと私には感じた。
やってしまった。失礼な態度を─どころか、完全に怒らせてしまった。
お店をクビになってしまうだろうか。
まぁこの仕事向いてないと思ってたしそれはそれで良いかもしれない。
「おい、オマエ名前なんだっけ?」
「名前です…」
「名前ちゃんね。名前ちゃんの威勢の良さ気に入っちゃったからさ、もーっと稼げる割の良い仕事紹介してあげるけど、興味ある?」
「ひっ…?いや、間に合ってます…」
「そうなのー?でもコレは副業だってさっき猪野と話してたじゃん。お金に困ってるから副業してんじゃないの?ココ来てからずーっと猪野に付きっきりってことは週末の夜なのに指名の客が居ない、売れてない嬢ってことでしょ?そんなんじゃ最低時給しか貰えなくて全然稼げなくない?」
ずい、と寄せられた顔の圧に気圧されて言葉が詰まってしまう。
美形の顔というのはそれだけで圧倒されてしまうのに、そこに怒りのような圧を乗せられてしまえば迫力が凄まじく恐ろしい。
「……悟、そのくらいに─」
見兼ねた夏油さんが助け舟を出そうとしてくれた所で、五条さんのスマホが着信を知らせた。
五条さんはパッと顔を離し、画面を確認すると舌打ちをひとつ鳴らして端末を耳に押し当てた。
「はーい。今出先なんだけど。急ぎ?……あー、それね。僕行かないとダメ?……チッ、じゃあ今から向かう。10分もあれば着く」
苛立ちを隠そうともしない声色で、乱雑に切られテーブルに置かれたスマートフォン。
「傑ー、七海ー、呼び出し。例のアレ。」
「あぁ…思ったより早かったね」
「猪野君を回収して行きましょう。」
「猪野の電話も随分長ぇな。」
「任せてるアレ、今忙しいみたいだからね」
「ふーん。あ、店長呼んで。チェックで。」
良かった、助かった。
なんて良いタイミングで電話が掛かってきてくれたのだろう。
これで五条さん達は帰って、私が五条さんに会うことはもう無い。
そう、会うことは無いのだ。何故ならお店を辞めことにしたから。今決断した。
No.1の子には目を付けられてしまったみたいだし、万が一また五条さんと顔を合わせる事があったら今度こそどうなるか分からない。
上がるタイミングで店長に切り出して、なるべく早く辞めさせてもらおう。
副業は新しく探せば良い。
「あ、そうだ名前ちゃん。副業の話、考えておいてねー?また近々来るからその時返事聞かせてね」
やっぱり朝からツイてない日は1日ツイてない。
二十数年の経験則は間違っていないのだ。
絶対、何がなんでもここで働くのは辞めよう。
店長に止められても絶対、最悪バックれてでも辞めてやる。
お見送りの為に席を抜けてきた五条さんと夏油さんの指名嬢達がわざとらしくボディタッチをしながら寂しがっている様子を眺めて、そんな事を考えていた私の顔を五条さんがじっと見ていたことを私は知らなかった。
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