舞台裏で夢を唄う



 悟がマンションを借りたことが噂になったのは、あの日から3ヶ月程経った頃だった。

高専を卒業すると同時に寮を出た悟だったが、多忙すぎる故に高専に寝泊まりする日が多く、ついに数年前マンションを出て高専内の社員寮で暮らすようになった。

そんな悟がマンションを借りた理由はひとつしかない。

「彼女と同棲することになったんだよね」

「へぇ。順調なようで何より」

「今度マンション遊び来る?」

「は…悟、本気で言ってる?」

「本気だけど。硝子と名前は僕の大切な同期だし?彼女紹介したかったんだよね」

「……そりゃどうも。でもまぁ、全員忙しい身だからね。予定が合ったら、ね」

 この男に思いやりやデリカシーを求める方が間違っている。
そんなこと、重々理解している筈なのに、神経を疑わずにはいられない。

 普通、学生時代から10年以上も自分に想いを寄せる相手を恋人との愛の巣へ招待するだろうか。

 引き攣る表情筋をどうにか動かして、努めて穏やかに微笑んでみせる。
悟の10年来の友として。




「いや、しかし流石の私も悟の神経を疑ったよね」

「今まで疑ってこなかったアンタの神経疑うけど」

「家入さんに同感です」

「ちょっと2人とも辛辣なんだけど」

 中ジョッキを傾けながら硝子が笑い、七海がおしぼりで手を拭う。
伊地知は苦笑しながら刺身に手を伸ばしている。

見慣れたいつもの光景だ。
この4人で飲むことは比較的多い。
長く一緒に居るだけあって、私と悟の、いや、私が一方的に悟に想いを募らせているこの関係もよく知っている。

 硝子同様に後輩2人も決して優しい言葉で慰めてくれるようなタイプではない。
黙って話を聞いてくれて、そして私がアドバイスを求めた時だけ辛辣かつ的確な答えをくれる。
いつもはそれが心地好いのだが、今回ばかりは心地悪くもあった。

何故なら、今回は悟の様子が違うのだ。

付き合った人数より、浮ついた関係の方が圧倒的に多い悟だが、交際人数だって少ない訳ではない。
悟の恋愛遍歴はほとんど本人の口から聞かされているのだが、大抵3ヶ月を超えた頃から上手くいかなくなり、そこから惰性で2、3ヶ月付き合った後別れる、というのがお決まりの流れだった。

しかし今回はどうだろうか。
これまでなら破局へ向けてのカウントダウンが始まる3ヶ月目にして同棲用のマンションを用意したのだ。

それはつまり、悟と彼女はまだ上手くいっているということ。
わざわざ言葉に出さなくとも、この場にいる全員が、"今回は今までと違う"と感じているに違いない。

「……同棲ってさぁ、結婚視野ってことだよね」

「でしょうね。まぁ、五条さんももう若くないですし立場を考えれば結婚を意識するのは当然かと」

「だぁよねぇ。むしろこの歳まで結婚しなかったことの方が奇跡なんだよね……」

「しなかった、じゃなくて出来なかった、だろアイツは。」

「確かに。悟って結構飽き性だし彼女と続いたことないもんね。でもさ、今回の彼女さんとは付き合ってからは短いけど、逆に言えばこんな短期間で同棲に踏み切るくらい、良い人ってことでしょ?……凹むなあ」

 恋人が出来てもどうせすぐ別れる。
それは私の救いだった。
長い人生の中でたった数ヶ月だけ悟の1番で居るより、友人として長い時間を共に過ごす方がよっぽど特別だと思えた。

だけど結婚となれば話は別だ。
悟の立場を考えるとそう簡単に結婚だ離婚だとはいかないだろうし、それは悟も理解しているはずだ。
その上で結婚を視野に入れた同棲を始めたという事実は、私に重く伸し掛る。

 凹んだところでどうにかなる訳ではないことは分かっている。
せっかく4人で集まれた時間を暗いものへはしたくない、と、黄金色のアルコールを勢い良く煽った時、場違いに明るい声が背後から聞こえた。

「あれ、凄い偶然じゃん。4人で呑んでんの?僕誘われて無いんだけどー」




 端的に言うと、"最悪な時間"だった。

"偶然じゃん"と言って現れた悟は、写真で見たままの可愛らしい彼女を隣に連れていた。

"居酒屋に行きたい"という彼女のリクエストで、仲間内でよく訪れるこの店にやってきたのだと言っていた。

ちなみに3ヶ月前、彼女が出来たと報告されたのもこの店である。

 偶然か店員の図らいか私達の隣のテーブルに通された悟と彼女。
自然と6人で呑むかたちになってしまい、居心地の悪さに酔いが冷めていく。

離れた席に通されているのに此方のテーブルに居座る、という状況なら、店の迷惑だとか彼女との時間を大切にしろだとか遠ざける理由はいくらでも見付かるのに、そもそも隣に通されたとあってはそうもいかない。

 恐らく、私達4人はこの状況に居心地の悪さを少なからず感じている。
勿論表情や態度に出したりはしない。
全員、良い歳の大人だ。

悟が何を思って何を感じているのかは分からないが、少なくとも彼女の方は何も感じてはいないだろう。
その証拠に人好きのする笑顔と耳障りの良い声で積極的に会話に参加しては楽しそうに笑っているし、時折悟を愛しそうに見つめてみたり、悟の惚気に照れてみたり、幸せそうだ。

いつか悟が言っていた通り、彼女は確かに可愛くてスタイルも良くて、小動物のようで庇護欲を掻き立てられる。
おまけに性格も良いときたら、悟が本気になるのも頷ける。

私とは全く正反対の女性だ。


「名前?ずっと黙ってるけどどうしたの?いつももっと煩いじゃん。まさか人見知り?」

「え、あ、ごめん、ちょっと酔ってるのかも」

「ふぅん。まだ時間早いのに珍しいね、そんな飲んだ?」

「ま、まぁ…」

「何で?ヤケ酒?」

 そんなんじゃない、と笑って返せたら良かった。
もしくは、そうだと言って道化になれば良かった。
しかし、そのどちらにもなれず曖昧に笑ったのは、実際少なからず当てはまるからだ。

「何か嫌なことでもあったんですか?」

 控えめにおずおずと尋ねる悟の彼女に、"10年以上片想いしているアナタの彼氏がアナタとお付き合いを始めたからですよ"などと言えるわけもなく、かと言って、"何でもない"と返せば気を使わせてしまう気がして、適当な理由をでっち上げた。

「あー…えっと、情けない話なんですけど、職場の上層部にいびられてムカついちゃって」

 嘘では無かった。
高専在学時から才能溢れる、溢れすぎる同期に恵まれたせいで各方面からキツく当たられることが多かった。
私に当られたところで、と思うが、その才能、強さ故に好き勝手丸め込めない鬱憤を私で晴らしているのだろう。
実に悪趣味だ。

「お仕事って、悟君と同じ職場なんですよね?名前さんも学校の先生なんですか?」

「あ、うん。先生…とはちょっと違うけどね。まぁ、そんなとこかな。」

 一般人だという彼女に、悟はどうやら呪術師であることを打ち明けていないらしい。
高専の教師ということで通しているようだ。
私自身は教師でも何でもない、ただ高専お抱えの術師なだけなのだが、悟が隠していることを私がどうこう言うことはない。

適当に合わせて、傷付いてなどいない上層部からのいびりをさも辛いかのように演じて見せて、親身に話を聞いてくれる彼女に大袈裟に感謝してみせて、結果的に私は道化だ。

 この場にいる人間は、悟の彼女を除いて全員、私がヤケになった理由を知っている。

悟本人ですら、分かっていてわざとヤケ酒か、なんて聞いてきたのだ。
本当に良い性格をしている。




「んじゃ僕達は帰るねー」

「それじゃあまた!今日はご一緒させてもらえて凄く楽しかったです!ありがとうございました!」

 形の良い小さな頭をぺこぺこと忙しなく下げる彼女と、それを優しく見つめる悟。
仲睦まじく肩を寄せ合って歩いていく後ろ姿はどこからどう見ても幸せなカップルそのものだ。

今から同じ家に帰るのだと思うと胸がきゅっと痛んだ気がしたが、アルコールで押し流して飲み込んだ。

「大丈夫?アンタ、相当気張ってたでしょ」

「そりゃあね……疲れた…」

「…お疲れ様です…」

「ありがとう伊地知ぃ…」

「あの人、年々性格悪くなってませんか」

「アレは性格が悪くなったというより拗らせてんだよ、色々と」

「……確かに、悟って夏油君が居なくなってから変わったよね」

 思い返せば、悟の恋愛事情を聞かされるようになったのも夏油君が離反した頃からだ。
妬けるくらい2人はずっと一緒だった。
夏油君の離反で一番堪えたのは間違いなく悟だろう。

「もう良い歳の大人なんですから、周りを巻き込むのは辞めてほしいですがね」

「はは、本当に。早く五条をどうにかしてくれよ、名前」

「え、私?」

「アンタしか居ないでしょ」

「私には悟の性格を矯正なんて出来ないよ…そんな立場じゃないし。それに、ちゃんと長続きしそうな彼女さんが出来たんだから落ち着くんじゃないの」

 自分で言っておいて嫌になる。
一瞬を消費する恋人より永く傍に居られる友人でありたい、なんて言っておきながら、やっぱり本当は一瞬だとしても恋人として隣に居たい。

悟を支える役割は私が担いたい。

あの子は、あの女は、本当の悟を知らないのに。
悟がどんな仕事をしていてどんな立場でどんな過去を背負って、そして未来を背負っているのか、彼女は何も知らないというのに。

「……狡いなぁ」

誰にも聞こえないよう、小さく呟いた言葉は喧騒に掻き消され誰の耳にも届かなかった。



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