幸せを金魚鉢で泳がして
「あちらが新郎の控え室となっております。悟様は恐らく中にいらっしゃると思います。」
「ありがとうございます…」
「いえ、では失礼します。」
穏やかな笑みを称えて頭を下げたロマンスグレーが似合う中老の男性に頭を下げて、悟が居るらしい一室へ一歩を踏み出した。
結局石段を登りきったあとは追い出される訳でもなく、悟の同期だと伝えれば案外あっさり中へ通してくれた。
先程の男性は恐らく五条家の人間で、名乗り出るより先に『悟様のご友人の方ですね』と言われた時には驚いた。
硝子や夏油君と違って私には特筆する術式も無ければ家柄も無い。
まぁ、あの黄金世代の落ちこぼれ、という点では有名かもしれないが、それも高専を卒業して何年も経つ今ではどうこう言われることも無くなった。
あの男性はきっと悟に関わる人間の殆どをきちんと把握しているのだろうなぁ、と思うと改めて悟って凄い所の出で、しかも今は当主なんだよな、と思い知らされる。
たどり着いた障子の前で深呼吸をひとつして、"失礼します"と中に声をかけた。
恐らく声で、いや呪力で私だと気付かれているはずだ。
驚く様子もなく『はーい』と間延びした声が返ってきた。
震える指先に力を込めて、するすると滑らかに動く障子戸を開く。高専の引き戸とは大違いだ。
障子の先には想像していたより幾倍も立派な紋付羽織袴を着た悟が此方を向いて立っていた。
「……悟、」
「どうしたの?こんなとこまで来て」
「…ごめんね、こんなめでたい日に押し掛けて…」
「いいよ。オマエだもん」
「ありがとう。…似合ってるね、袴」
「まぁね。僕に着こなせない服は無いよ。……で?そんなことを言うためにわざわざ来たの」
悟は優しい。
きっと私がどうしてここへ来たのか分かっているのに。
嫌な顔ひとつせず、口元にはいつもより幾分柔らかい微笑みを称えて私の言葉を待ってくれている。
ふと壁に掛けられた歴史を感じさせる掛け時計に目をやると、細やかな細工が美しい長針が6を指していた。
式が始まるまで30分しかない。
早くしなければ。無駄な時間を取らせる訳にはいかない。
「あのね。聞いてほしいことがあるの」
「うん」
「とっくに知ってると思うけど、私は悟が好きなんだ。高専の入学式の日に一目惚れしてからずっと好き。本当はもっと早く伝えたかったのにタイミングを逃して、悟は私のことなんか好きにならないって決め付けてここまで来た。昔、3年の頃、私に聞いたよね。オマエ俺の事好きでしょ、って。あれもちゃんと聞こえてたのに聞こえてないふりして適当に流して……凄く後悔してるの。あの時、そうだよ好きだよって答えてたら何か変わったのかな、って」
十数年分、積もりに積もった思いの丈は一度口から出てしまえば止められなかった。
悟はそれを茶化すことも笑うことも遮ることもせず黙って耳を傾けてくれている。
刻一刻と進んでいく時計の針に、あと少しだけ時間をくださいと祈りながら続きを口にした。
「本当はね、悟が彼女出来たとかセフレの話とか聞くの嫌だったの。別れたって聞くと嬉しいし、長続きしないことに安心してた。だから今回もどうせって思ってたの。最低でごめん。悟には幸せになって欲しい。だけど悟を幸せにするのは私が良い。他の誰でも嫌なの」
醜い嫉妬まで晒して、これで告白だというのだから笑える。もう少し綺麗に纏められなかったのか。
ここまでくればもうなるようになれば良い。
相変わらず黙って耳を傾ける悟が何を考えているのかは分からないが、この情けない告白は今更無かったことにはならない。
覚悟を決めろ、と自分を叱咤し、宝石のように美しく輝く青い瞳に視線を合わせた。
「…悟、好き。彼女より、私の方が悟のことずっとずっと大好き。この気持ちは絶対負けない。それに、私の方が悟に相応しい、絶対。だって私これでも一級術師だし呪力もそこそこあるし並んで…は驕り過ぎだけど守られるだけの女じゃない。一緒に戦える。だから──」
「何でもっと早く言ってくれなかったの」
「……え」
私の言葉が最後まで紡がれることは無かった。
言葉を遮った悟は微笑んでいて、しかしそれは今まで見たどんな顔とも違っていた。
「やっと言ってくれた。もう、待ちくたびれたよ。ずっと待ってたのに。」
「……どういうこと…?」
「オマエさ、僕のこと好きなのに、好きって顔にも態度にも出てるのに全然言葉にしてくれないんだもん。……初めはね、悪戯心だったんだ。あの頃僕はオマエのこと好きじゃなかったし、彼女出来たって言ったらどんな反応するかな、焦って告ってくるかなって。でも、何も言ってこないから意地になっちゃって」
「何それ…」
「まぁ僕もあの頃は健全な男子高専生だし?溜まるものは溜まるからイイなーと思ったら付き合うなり何なりしてみるけど全然しっくり来なくてさ。オマエもそのうち何か言ってくるかなと思ってたのに相変わらず何も無いし。……でね、そのうち気付いたんだ。僕ってオマエのこと好きなのかも、って」
「は、はぁ!?それなら何で…」
「まぁ話は最後まで聞いてよ。…誰と付き合おうとどんなにいい女を抱いても思い出すのはオマエだった。付き合うとか考え無かった訳じゃない。オマエの気持ちはよーく分かってたしね。でももう何も失いたくなかったんだ」
悟が何を指しているのかは聞かなくても分かった。
悟にとって唯一無二の親友。誰も踏み入れない不可侵の領域。
「……私は置いていかないよ」
「……分かってる。それに、置いていかせない。」
「そう思ってるなら尚更…私のこと、す、好きだったなら言ってくれれば良かったのに…」
「本当だよねー。オマエの口から好きって言って欲しい、なんて変な意地張ってたなって自分でも思うよ」
「…悟の気持ちは何となく分かったけど。でも結婚…私、悟が結婚するって聞いてから頭が上手く回らなくて今日も勢いで飛び出してきちゃったから今まで気付かなかったけど、悟と彼女さんってもう籍入れてる…よね。大体式の前には入籍するもんね。もうちょっと早く悟に気持ち伝えれば良かったなぁ。そしたら──」
「ちょっと待って。勝手に話進めないで。僕達まだ入籍してないよ」
「あ、え?そうなの?」
「今日、式が終わったら披露宴の前に出しに行く予定だった」
「うそ、え、でも……」
「でも、何?」
「悟が今話してくれたのはあくまで過去の話なんだよね?今はもちろん彼女さんを愛してるんだよね、結婚するんだし」
「結婚はするつもりだったけど愛してはないよ」
「は、」
「久しぶりに彼女出来たって報告しても会わせてもオマエはちっとも変わんないし、実家は結婚結婚うるさいからもうこの子でいいかなって。ワンチャン結婚って単語だせばオマエが何かアクション起こしてくれるかなって期待もあった。かなーりギリギリになったけど読みが当たったね」
「……クズすぎ」
「ほら、よくあるでしょドラマとか映画でさ。"その結婚、ちょっと待ったー!"ってヤツ。アレ、いいよね」
「よくない!何言って─ってまさか硝子にベラベラ式場と時間喋ったのって…!」
「ビンゴ!あとオマエの誕生日に予定立てたのもわざとだしー、ここにすんなり入れたのも僕が言っといたからだからね!じゃなきゃ普通、部外者をおいそれと上げないから」
「……彼女さんがあまりにも可哀想じゃないですか」
「え、乗り込んできたオマエがそれ言う?僕を略奪しに来たんじゃないの。そんな大昔に渡したキーホルダーまで付けちゃってさ」
悟が指を差した先には今日のラッキーカラー、水色のキーホルダー。
悟がこれを覚えていたことに驚いたが、今はそれより彼女のことだ。
「これは今日のラッキーカラーなの!そんなことは良いから!私は略奪しに来たんじゃなくて、フラれにきたの!悟にきっぱりフラられば諦められるんじゃないかと思って!万が一、億が一略奪出来たら良いなとは…思ってたけど…」
「その億が一、叶っちゃったね」
「でも…!」
「細かいことは良いよ。ね、ほらどうする?式までもう15分もない。そろそろ此処にも人が来てそしたら式が始まっちゃう」
悟は楽しそうにしているが、私はこの短時間で脳に入った情報を処理しきれていない。
元より頭を使うのはあまり得意では無いのだ。
これ以上考え事を増やさないで頂きたい。
早く、早く、と急かす悟の声にやられてつい口走ったのは悟が"いいよね"と言ったシチュエーションそのものだった。
「もういっそ2人でどこか遠くに行っちゃおうか」
「何なに、マジでドラマじゃん。サト子、どこに連れてかれちゃうの…?」
「私はサト子と一緒ならどこでも良いよ」
「うわ、ちょっと急にすごい可愛いこと言うのやめて。マジでしよう、逃避行」
「結婚式ドタキャンして逃避行…慰謝料ヤバそう」
「ヤバいって言ってもたかが知れてるよ。それよりほら、そろそろ人来るよ」
「…よし、行こう!三日間だけ行方不明になろう。悟の行きたいところ、教えて」
くすくすと悪戯を企む子供のように笑い合い、そっと手を繋いで障子戸を開いた。
遠くから賑やかな声が聞こえてくる。
今頃新婦は白無垢に身を包んでその時を待っているのだろう。
その姿を想像すると心が痛んだが、繋いだ手を振り解く気は無い。
最低だと罵られる覚悟は出来ている。
贖罪なら何でもする。
だから、今だけは。
「そうだ、お誕生日おめでとう」
幸せな夢と眠らせて。
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