多分、その夢を初めて見たのは中学生、いや、小学校高学年の頃だったかもしれない。
細かい時期までは覚えていないがある時を境に定期的に見るようになったその夢は、真っ白でふわふわした何かを私が撫でている、というものだった。
柔らかくしなやかで絹のような白い毛は猫のようで、だけど白猫を撫でる想像をしてみてもどうもしっくりこない。
正座した両の太腿に感じる重量感やふわふわの下にある頑丈な骨の感触は大型犬のようで、だけど白くて大きな犬を撫でる想像をしてみてもどうもしっくりこない。
他に私は白色の動物と触れ合った事があるだろうか、と考えてみても心当たりはなく、夢を見始めて暫くすれば太腿の上で揺れる白いふわふわのことを考えるのはやめていた。
◇
大学を卒業してから5年、職場と自宅を往復するだけの代わり映えない毎日を送る私に、ほんの少しだけ特別な時間を与えてくれる存在が出来たのは半年程前のことだった。
友達の紹介で出会った彼は優しくて話が合う人で、恋人になるのに時間は掛からなかった。
このまま結婚するんだろうな、と漠然と思うのは、自分がもう27歳という結婚適齢期を迎えたこともあるが彼の堅実で誠実な人柄に素直に惹かれているからだ。
よく恋愛と結婚は別だと言うけれど、彼は正にそれを体現するような男だと私は思っている。
ギャンブルも酒も女遊びもしない、趣味は貯金と無料で遊べるアプリゲーム。
仕事は地方公務員、彼のご両親はどちらも教職。
交友関係は彼に似て真面目な友達が数人。
子供と動物が好きで、好きな食べ物は唐揚げ。
そんな彼は今まで出会ったどの男性より真面目で普通で、悪く言えば"つまらない"男だった。
しかし、結婚して家族になるならこういう男性の方が良いのだということは30年近い人生経験と聞こえてくる既婚者達の愚痴から理解しているつもりだ。
彼を逃したらこの先、彼以上に"良い"人と出会える気がしなかったが、何度想像してみても彼との結婚生活をリアルに思い浮かべることは何故か出来なかった。
◇
依然、自宅と職場を往復する毎日の中で、結婚というワードが初めて彼との間に出たその日に私はまた"白いふわふわを撫でる夢"を見た。
翌朝目覚めた時、見慣れたはずの夢に何か釈然としないものを感じた私は違和感の正体を突き止める為必死に記憶を手繰り寄せたが、私の記憶にあるのはいつもと何も変わらない、両の太腿の上で静かに上下するふわふわを優しく撫でる自分だけだった。
夢のことばかり考えていたせいか、その日の夜も同じ夢を見た。
太腿に感じる心地良い温度と重み。
指先に伝わる軽やかな感触。
"まるで、ねこみたいだね"と、随分あどけない声が聞こえてくる。
これは、子供の頃の私の声だ。
そう理解した時、自分は今夢を見ているのだと自覚した。
自覚した途端、主観的視点から客観的視点へと切り替わり、大人になった私が座り込む前でこちらに背を向けて正座する私とその太腿に頭を乗せている──
「人、だったんだ…」
子供の頃の自分の背中に阻まれ頭は見えないが、私の膝に頭を乗せ横たわる人物の頭髪は白く絹のように柔いのだと確信があった。
手足の長さからして横たわる人物も子供であることが分かる。
どうしてもその顔が見たくて立ち上がろうとするのに手足に力が入らない。
まるで自分の体ではないように言うことを聞かなくなった四肢を動かそうと必死にもがいていると、子供の声が聞こえてきた。
『─くんのかみのけ、しろくてきれいできもちくて、名前だいすきだよ!』
『……あっそ』
『名前、─くんのこともだいすきなの!おとなになったら、けっこんする!』
『おまえとおれはケッコンできねーよ』
『なんでえ…?─くんは、名前のこときらいなの?』
『きらいじゃねーけど。おれには"いいなずけ"がいるんだって。おとなになったらソイツとケッコンすんだって』
『やだ!─くんは名前より…い、いーな、ずけ?がすきなの?』
『すきじゃねーよ。おれ、あいつきらい』
『じゃあなんでけっこんするの!』
わあわあと声を上げ泣き出した子供の私を宥める為に起き上がった子供の頭はやはり白かった。
キャラクターもののTシャツにプリーツスカートを履いた女児らしい格好の私に対して、白い髪の少年は繊細な刺繍の施された上等な着物を着ており、そのチグハグさがこれは夢だと物語っている、筈なのに、何故かそれに違和感を感じない。
所詮は私も自分の夢の登場人物か、と思うことで納得は出来たが、相変わらず動かせない四肢に、これは自分の夢なのだから好きに動かせろと苛立った。
慌てた様子で背中を擦り、"だいじょぶだって"と声を掛ける少年の顔は何故か靄が掛かったように曖昧でよく見えない。
それなのに私は少年がとても美しいかんばせを持つことを確信していた。
『あー!もう、わかった、わかったよ!』
少年の張り上げた声が響き、思わず肩を跳ねさせると、子供の私もびくりと肩を跳ねさせていた。
『"いいなずけ"とはケッコンしねーよ』
『ほんと…?やくそく?』
『やくそく!』
『じゃあじゃあ!名前とけっこん、してくれる?』
『……わかったよ』
『わあ!やくそくね!ぜったいだよ!ぜったい、わたしとけっこんしてね!いつする?いつけっこんする!?』
『おちつけって。おれたちまだガキだからケッコンできねーよ。おとなになんねーと。』
『おとなって…なんさい?』
『わかんねーけど…』
『ね!じゃあさ、名前、27さいになったらけっこんしたい!』
『はぁ?すげえさきじゃん。そんなのもうおれたちオッサンとオバサンだろ』
『でもね、ママは27さいでパパとけっこんして29さいで名前がうまれたんだって。でね、このあいだママがおともだちとでんわしててね、27でけっこんしてよかったーっていってたの。きっと27さいでけっこんしたら、いいことあるんだよ!だから、27さいになったらけっこん、しよう!』
弾んだ声で結婚、結婚と騒ぐ子供の私は無邪気で可愛いな、と我ながら思う。
小指を差し出し、指切りを強請る私の横顔ははっきりと見えるのに、少年の顔はやはり見えない。
それに名前も。
少年の名前の部分だけ私の声が遠くなり聞こえなくなる。
その時、力を込めた指先がぴくりと動いて、体が動かせる!と歓喜した瞬間、私は目を覚ました。
枕元に置いたスマホで時間を確認すると、アラームが鳴るまであと30分というところだった。
二度寝するには微妙な時間に起きてしまったことを悔しがりながら夢を思い出してみる。
着物姿の白髪の少年と子供の頃の私。
歳の頃は恐らく5、6歳。
夢の中で感じた違和感は、考えれば考えるほど大きくなる。
たかが夢だと捨て置けないのは子供の頃から幾度と無く同じ夢を見てきたから、というのもあるだろうが、存在しない記憶として扱うには会話や2人の空気感、太腿に感じる温もりや重み、指を通る髪の感触がやけにリアルだったからだろう。
5、6歳の頃の記憶を呼び起こそうにも私は小学校入学以前の記憶が殆ど残っておらず、手掛かりになりそうなことは思い出せない。
となれば、私の幼少期を一番よく知る人物──母に尋ねることにしたのだった。
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