上手く回らない頭では、一瞬自分が何処に居て何をしているのか全く理解出来なかった。
二度寝してしまいたくなる酷い睡魔に、"今日は明け方近くまで眠れなかったもんな"と思う。
どうして明け方まで眠れなかったんだっけ、と考えながら真っ白な天井が目に入った瞬間、最後に見た記憶を思い出し飛び起きた。
触り心地の良いシーツ、広すぎるベッド、白で統一された生活感のない部屋。
それらは私の部屋でも彼の部屋でもない、知らない部屋だった。
しかし、最後の光景を思い出せばここが何処なのか大体予想が付く。
眠る前、自宅マンションの通路で最後に見たもの。
それは、間違いなく五条さんだった。
閉まるドアの向こう側に佇む姿を認め、何で、と問い掛ける前に記憶は途切れた。
黒いアイマスクもサングラスも掛けていない五条さんの顔は酷く冷淡に見えた。
何の目的で拐われたのかは分からないが、とにかく危険な状況だということは分かる。
ひとまずこの家から出なくては。
衣服に乱れがないことを確認してベッドを抜け出そうとシーツを捲り、自分の荷物が無いことに気付いた。
家を出る時トートバッグを肩に掛けていた筈だが、それらしき物は見当たらない。
通路に落としてきたのか、それとも別の部屋に保管されているのか。
スマホがあれば警察や彼へ連絡が取れるが、まぁ五条さんだって馬鹿じゃない。
簡単に外部へ助けを求められないようスマホや財布は隠すだろう。
今は荷物の行方より家を出ることが先決だ、と慎重にベッドから降りた時、見計らったかのようなタイミングでドアが開いた。
「おはよう。随分ぐっすり寝てたね」
「っ、ご、五条さん…」
「名前で呼んでって言ったよね」
「あ……ごめんなさい…」
入口を塞ぐ2メートル近い長身の大男は只でさえ恐ろしいというのに、加えてこの異常な状況、虚ろな瞳は恐怖を助長させている。
相手を逆撫でしてはいけないと脳が瞬時に判断し、素直に従うことを決めた。
「呼んで」
「さ、悟さん…」
「ん。やっぱり良いね。君の声で名前を呼ばれると胸が暖かくなる」
満足気に微笑んだ五条さんの声は柔らかく穏やかで、虚ろだった瞳も光を取り戻していた。
機嫌を損ねなかったことに安堵する。
「……あの…、」
「なぁに?」
ここは一体どこで何を目的に連れて来たのか、これからどうするつもりなのか。
聞きたいことは山程あるが、下手な聞き方をして機嫌を損ねたら、と考えると言い淀んでしまう。
今、私の命はこの男に握られていると言っても過言ではない。
「聞きたいことがあるならどうぞ。何でも答えてあげるよ」
「……、じゃあ、あの…ここはどこなんでしょうか…」
「僕の家。いや違うか。もう"君と僕の"家だね」
「っ、え、えっと…でも私、アパート…荷物置きっ放しだし、に、荷物を取りに…」
「荷物?新しいの買えば良いよ。てか着替えとかアメニティはざっと揃えてあるから心配ないと思うけど。あ、でも自分で選びたいか……今週中か来週には休みもぎ取るから必要な物買いに行こう!心機一転ってことでさ、古いのは捨てちゃおうよ」
「そ、そんな…大切な物もあるし……あ、会社、会社に行くのに必要な物だって、」
「あ、そうだ。明日から仕事行かなくていいよ」
「そういう訳には…!」
「そうは言ってももう辞めまーすって連絡しちゃったしなぁ」
「え!?な、勝手に何を…!」
「勝手じゃないでしょ。もうすぐ僕は君の夫になるんだし。それに僕稼ぎ良いよ〜?別に好きに使ってくれて構わないし、名前がわざわざ働きに出る必要ないよ」
どこまでも話が通じないことに頭痛を覚えた。
機嫌を損ねないために五条さんを否定せず、さり気なく外に出る機会を作れないかと提案してみたが尽く潰されてしまった。
頼みの綱、会社にまで根回しされているとなると、明日私に連絡が付かないことを不審に思った会社の人間に探してもらえる可能性は無くなった。
そもそも、五条さんは昨日の今日でどうやって私のマンションや職場を突き止めたのだろうか。
考えたくもない。
「ご、…悟さん。私…どうしてもここで暮らさないとダメですか?…あのマンションも会社も気に入ってて…出来れば引越しもしたくないし会社も辞めたくない、です……」
「んー……ごめんね。可愛い君のお願いだけどそれは聞けないや」
「私のことっ、好きって思ってくれてるならお付き合いしましょう?結婚より先にまずお付き合いして、お互い空白だった時間を埋めましょうよ。それから同棲して結婚して、っていう、そういう普通のお付き合いが私はしたいです…!」
必死だった。このまま五条さんに軟禁、あるいは監禁などされて監視下に置かれたまま結婚させられるなら、交際期間という猶予が欲しかった。
こんな凶行に及んだのはきっと私が連絡先をブロックしたからで、連絡が付かなくなったことに焦りを感じたのだろう。
それなら、私は五条さんから離れないということを示せば満足するのでは、と、思ったのだ。
猶予が貰えたあとはタイミングを見計らって逃げれば良い。
恋人という繋がりを作り安心させ日常を取り戻し、逃げる。我ながら良い策だと思った。
しかしそれがどれだけ浅はかな考えであったのかを、嫣然たる笑みを浮かべた男に思い知らされ絶望に突き落とされることになるなど、この時の私はちっとも思い至らなかったのである。
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