雨宿り、君の服が濡れている

秋の田の 仮庵の庵の 苫をあらみ
わが衣手は 露にぬれつつ



本当に急な雨だった。校舎から校門までのわずかな距離の間に雨足はどんどん強くなって、私は慌てて校舎に逆戻りした。ほんの少し雨に打たれただけなのに、髪からはぽたぽたと雫が滴り落ちて、靴の中はぐっしょりと濡れてしまっていた。えーっと、こういう雨、なんていうんだったっけな?

「ゲリラ豪雨なァ」
「あっそうでした!」

慌てて戻った校舎から雨の様子を伺っていると、隣に並んできたのは数学の不死川先生だった。先生も傘を持っていないようで、地面に跳ね返る雨粒の強さに舌打ちをしていた。

「お前帰るの遅くねェか?」
「この間の化学のテストが赤点ギリギリで…伊黒先生に怒られてました」
「あー…そりゃあ…」

伊黒先生のお説教はとにかく長い。そして首に巻かれたあの蛇も一緒に威嚇してくるのでとても怖い。

ポケットのハンカチを取り出してみたけれど、やっぱり雨に濡れてしまっていて使い物にならなかった。それを見た不死川先生があーあとため息をついた。

「ん?」

不死川先生は私の背中の辺りをじーっと見ていた。その視線に思わず首を傾げると、先生は手に持っていたスーツのジャケットを私の肩にかけてくれた。

「着とけ。風邪引くぞォ」
「あ、すみません…」

不死川先生のジャケットからはいい匂いがした。香水かな。なんとなく、大人の男の人のような匂いがする。そのジャケットに私の髪から落ちた雨粒がすーっと吸い込まれていくので、なんだか非常に申し訳ない気持ちになった。

「クリーニングして返します」
「んな気ィ使うな。にしてもどーっすかな…」
「先生急いでるの?」
「今日金曜だろ?夕飯当番なんだわ」

そういえば前に玄弥くんが、うち兄妹多いんだよと言っていた気がする。確か全員で6人…いや7人だったかな?仕事中は怖いけど家に帰れば優しい弟妹思いの兄ちゃんというのが玄弥くんの不死川先生への総評なので、人は見かけによらないんだなとその時はしみじみ思った。

とはいえ不死川先生の言葉は他人事ではない。私もどうやって帰るべきかそろそろ真剣に考えなければ。とその時、カバンの奥に閉まっていたスマホがブブッと震えた。

「あっ、お母さんだ」

娘の帰宅を心配してくれたのか、お母さんから今どこ?とメッセージがきた。この流れはお迎えに来てくれるパターンだ!急いでまだ学校と返信すると、向かいますと車の絵文字つきのメッセージがすぐに返ってきた。

「よかった、お母さんが迎えに来てくれるって」
「そりゃよかった」

先生は先生でスマホで誰かに連絡をしているようだった。なんとなくジャケットの後ろが気になって、肩から下ろし目の前に広げてみる。

「あーやっぱりめっちゃ濡れてる…先生ごめんなさい」

ジャケットは外側はもちろん、内側の方まで湿っていた。その時後ろの靴箱から男子生徒が1人やってきた。先生は慌ててジャケットを私の手から掴むと急いでまた私の肩に乗せた。

「だから着とけっつっただろうが!」
「えっごめんなさい!」

余りの剣幕に反射的に謝罪する。男子生徒は不死川先生に小さく会釈して、蝙蝠傘を広げて雨の中を躊躇することなく歩いていった。なんて準備のいい学生なんだ。

そうこうしているうちに校門の外に一台の車が停まった。うちの車だ。スマホには着いたよとお母さんからのメッセージ。

「お前んちか?」
「はい!あっ、先生待ってて」

私は大雨の中を全速力で駆け抜けた。車までたどり着くと、助手席の後ろにいつもお母さんが乗せているビニール傘を掴んで急いで来た道を戻った。お母さんはポカンとしていたし、不死川先生もただでさえ大きな目をさらに見開いていた。

「先生、傘どうぞ!」
「お、おう」
「さようなら!」

これで不死川家の子どもたちもお兄ちゃんお手製の美味しいご飯にありつけるだろう。よかったよかった。無事に助手席に滑り込んだ私はお母さんに事情を説明すると、それは仕方ないわねと言って車を発進させた。

家に帰ってまずは洗面所に直行し、そのままシャワーを浴びることにした。先生に貸してもらったままのジャケットはお母さんがクリーニングに出してくれると言ってくれたので、私は安心してジャケットを肩から下ろした。ら。

「そういうことか…!」

雨は制服のブラウスを通り抜け、下に着ていたキャミソールにまで浸透していた。ぴったりと張り付いたブラウスからはキャミソールの下の下着の色までばっちり透けて見えていた。しかもこんな日に限って色は黒だ。不死川先生がジャケットを貸してくれた意図を今頃になって汲み取ってしまった私は、なんとも居た堪れない気持ちになって、熱めのシャワーで雨と羞恥心を洗い流した。

お母さんが張り切ってクリーニングに持っていった先生のジャケットは、日曜日の夕方早々に私の部屋に戻ってきた。ビニールに包まれたジャケットからはもう先生の香水の匂いはしなくって、代わりにクリーニング特有のなんとも言えない匂いが私の鼻先を掠めた。

月曜日、早めに家を出て職員室を覗くと、不死川先生は少し眠たそうな顔をしてパソコンと睨めっこをしていた。

「不死川先生」
「おー…あ、クリーニングはいいっつっただろ?」
「そういうわけにはいきませんよ。ありがとうございました」

先生は紙袋の中のジャケットをチラッと確認すると、パソコンの画面に視線を戻した。

「こっちこそ助かったわ」
「晩御飯間に合いました?」
「おー、ばっちりだわ」

不死川家の楽しい食卓に微力ながらも貢献できたのなら何よりだ。ところで先生の得意料理って何だろう?あとで玄弥くんに聞いてみよう。

「傘、昇降口んとこに置いてっから」
「わかりました」
「…目印ついてっから、すぐわかると思う」

そして先生はじゃあなと右手をひらひらさせたので、私も小さく頭を下げて職員室を後にした。先生の言っていた目印というのがなんとなく気になって、昇降口に寄ってから教室に戻ることにした。今日は晴れていて生徒用の傘立てに傘はほとんど立っていない。数本あるビニール傘のうちの一本に、柄の部分にピンク色の小さなビニール袋が結ばれていた。どうやら不死川先生が言っていた目印とはこれのようだ。早速袋の結び目を解いて中を覗いてみると。

「ふふっ、可愛い」

中から出てきたのはピンク色の折り紙で作られた可愛いうさぎさんだった。裏には子どもの字でありがとうと書かれている。きっと妹さんだな。袋の中には小さな一口サイズのチョコレートも三つほど入っていた。

なるほど、玄弥くんの言う通り弟妹思いのお兄ちゃんというのは伊達じゃないと、改めてしみじみと思った。チョコレートを一つ口に放り込んで教室に向かうと、甘い味が口いっぱいに広がった。


(210502)