恋は瞬きの隙に


大粒の雨がざあざあと降りしきる。今日の天気予報では晴れだと言っていたのに、太陽は陰っていて光は全くなく、淀んだ曇が空を覆っていた。こんな雨では客足も遠のいてしまうし、そもそも予報とは大外れなのだから傘を持っていない人も多いのではないだろうか。かくいうわたしも傘を持ってくるはずもなく、帰るころには止んでいるといいなあと窓から外を眺めてため息をついた。(まあ最悪カフェの置き傘を借りればいいから問題ないだろう)
ふと、その窓辺に人影がさす。入ってくるかと思ったけれどその様子はなく、雨宿りのようだった。その姿はびしゃびしゃに濡れていて、少し気の毒に思ったわたしはマスターに相談して予備のタオルを取り出すと、ドアを開いて彼に声をかけた。



「あの、これ良かったら使ってください」
「え…ああ、すみもはん」
「(…もはん?)」



彼の言葉遣いにキョトンとした顔をしたのが分かったのだろう、彼は恥ずかしそうに「すみません!」と言い直した。どこの方言だろう、なんだか可愛いな。ふふふ、と笑えば彼はばつが悪そうにタオルで顔を隠した。



「良かったらコーヒーいかがですか?」
「あ、いや オイは…」
「もしお急ぎでなければですけど…外は寒いでしょう?」
「……いただきます」



ぺこりと頭を下げ、彼はゆっくりと店のドアをくぐる。
こじんまりしたカフェは焦げ茶を基調とした落ち着いた内装で、いわゆる『レトロ喫茶』だ。マスターが時間をかけてゆっくりと淹れるコーヒーは格別。子供はあんまりいなくて、来店されるのはお年を召されたお客様や、コーヒーが本当に好きでいらっしゃる方ばかり。そんな中で突然背の高いすらっとしたイケメンが舞い込んできたのだから、普段穏やかなマスターもぱちくりと目を瞬いていたし、彼はそれほどの顔立ちだった。



「カウンターのお席へどうぞ」
「すみも…ません」
「ふは、」



言い直した彼に「無理しなくても、いつも通りの言葉遣いでいいんですよ」と、そう言ってカウンターへ促せば、少し緊張した面持ちでふかふかの椅子に腰かけた。年齢はわたしと同じか、少し年上くらいだろう。丁寧に淹れたコーヒーを差し出せば、彼はふうふうと少しだけ息を吹きかけ一口飲みこんだ。わたしはそんな鯉登くんから目が離せなかったのを覚えている。







「うんめ…やはり玲の淹れるコーヒーは美味しいな」



そう言って朝のコーヒーを啜る鯉登くんに、「マスター直伝だからね、そう言ってもらえて嬉しいよ」と伝えると彼もどことなく満足げな顔をした。
あれからというものの、彼はほぼ毎日お店に現れた。すっかり常連さんになったころ、わたしの家がシェアハウスみたいなもので、ひと部屋空いていることをぽろっと零したところ、一度見学に行きたいと言い出したのだった。それからあれよあれよという間に鯉登くんの入居が決まり、今に至る。同い年だし学校も同じということで、授業が重なる日はこうして一緒にコーヒーを飲んでゆったりとした朝の時間を過ごすことも増えた。



「鯉登くん、今日はお父さんのお手伝いないの?」
「ああ、今日は大学が終わったらまっすぐ帰ってくる」
「そ?じゃあ晩御飯用意しておくね」
「……楽しみじゃ」



嬉しそうに微笑む鯉登くんに、こちらの頬も緩む。鯉登くんのお父さんは大企業の社長さんで、とても裕福な家庭の育ちなのだそう。それなのにどうしてルームシェアなのか尋ねたけれど、毎回なんだか照れてばかりではぐらかされてしまう。杉元や尾形とも仲良くやってくれているし(たまに3人が喧嘩しているところも見るけれど)(その都度ドタバタして取っ組み合いになるのは勘弁してほしい、血の気の多いやつらめ)、鯉登くんがいてくれて毎日がさらに楽しいというのも事実だ。鯉登くんは少し庶民の暮らしに疎いところがあるけれど、一緒に買い物に行ったり寄り道をすると毎回新鮮な反応を見せてくれるので面白い。

この下宿の住人たちはどこかおかしくて、それぞれに事情があって、それでいて愉快な人たちである。



20240314



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