声も吐息もこの腕の中


「玲さん!」



不意に声をかけられてゆっくりと振り返れば、嬉しそうに笑顔で駆け寄ってくる杉元がいた。その姿はさながら大型犬のようだ。背中にしっぽが見えるなあと思いながら、杉元へ軽く手を振った。
夕方に差し掛かり帰宅の途に着く学生も増えるこの時間、よくわたしの姿を見つけたもんだ。それとなしにそう伝えれば、「玲さんならどこにいたって見つけるよ」と口説き文句のような言葉が返ってきて笑顔が零れた。学科は同じでも取っている授業が違えば、この広いキャンパスではなかなか会えないものだけど帰りの時間は比較的同居人に会いやすいなと感じる。



「杉元は今からバイト?」
「うん、玲さんもでしょ?」



その問いにこくりと頷けば、杉元は「じゃあ近くまで一緒に行こ!」と笑った。わたしも杉元も自宅近くの飲食店でアルバイトをしている。とはいってもわたしはカフェ、杉元は居酒屋なのでお互い帰宅時間はばらばらだ。何度か尾形と鯉登くんと3人で居酒屋に飲みに行ったことがあるけれど、大将のご飯はとってもおいしいし同僚の白石は面白いし(3人の顔は白けていたけど)、何度でも通いたくなる場所だ。杉元の働きっぷりにニヤニヤとしながらみんなで茶化した覚えがある。(自分のバイト先にも3人それぞれ来店することもあるしお互い様)(絶対に3人一緒には現れないのがまた不思議なところである)



「もう俺たちも3年だね」
「そうだね、今年からゼミも就活も始まるかと思うと…」
「あっそれ以上はやめよッ、ねッ?」
「ふふふ」
「でもホントあっという間だよな〜学生なんて」
「杉元たちと一緒だと毎日楽しいしね」



そうニヤリと笑って言えば、案の定口元を抑えて「れ、玲さん…ッ!」と嬉しそうにこちらを見る杉元。こうして気持ちを素直に伝えることは誰にでもしているけれど、杉元は特に喜び方が分かりやすい気がする。(鯉登くんも然り)
高2の頃に喧嘩っ早い杉元を拾うような形で家に上げてから、はや4年。大学に入り本格的に一緒に暮らす様になってもう2年が経ったのだ。今だってよく尾形と喧嘩になっているけれど、それも日常のひとつになっていた。「なんか、こんな生活がずっと続けばいいのになあ」とぽつりと呟く。




「俺は玲さんと一緒ならどんな生活だっていいけど」
「そうだねえ」
「俺、玲さんに対する気持ちはずっと変わってないからね」
「ん?うん、ありがとう」



そう返せば、眉間に皺を寄せた杉元がぎゅうっとわたしを抱きしめる。外なんですけど、ここ。そう口に出そうにも彼の大きな身体の胸元に顔が埋もれて何も言えない。もごもごする中で「すぎもと、くるしいよ」と何とか口に出せば、ハッとしたように身体を離す。そうして真っ赤になった杉元は、「お、おれ!バイトこっちだから!」と慌てた様子で走って行ってしまった。家に帰ってから自然に接すれば彼の調子も戻るのだけど、きっと今日はバイトで色々ミスしたりしそうだなあ。
なんにせよ、彼からの告白は一度断っているわけで。わたしに好きな人がいないと分かっているからこそ、諦めたくないのだそうだ。




「すごいなあ、杉元は」



杉元といえばちょっと不思議な人で、わたしと初めて出会った時にぽかんとした顔で見つめてきたと思ったら、「…やっと見つけた、玲さん!」とぎゅうっと抱き着いてきたのだ。知らないイケメンから抱き着かれるなんて経験したことがなかったから、思い切り声を上げることもできず、あまりにも嬉しそうに顔を緩めているもんだから「あなた誰ですか」なんて毒気のある言葉も出せなかった。それでもわたしが彼と同居をしているのは、そんな彼のことが憎めなかったからだろう。

わたしもいつか、あんなに誰かのことを想う時が来るのだろうか。そう他人事のように考えたときには、もうわたしはバイト先に到着していたのであった。




20240314



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