愛情の在処



苗字名前は、純粋な愛情を知らない。
理由としては明解なことである。彼は箱庭で育った。というのも、幼い彼の潜在的な魔力の多さがあまりあるもので、彼の家がその力の暴走を危惧したために結果としてこうなったのだ。
もちろん、最低限の教育として小学校と中学校には通うことが許された。家でのけもののように扱われていた彼は、それらを反面教師にするように快活で心優しく周囲に接した。
しかし、出る杭は打たれるものだ。
彼が中学一年生の時だった。
どれだけ優しくとも、学校という小さな社会は彼に優しくなかった。彼の学校での状況を知った両親はすぐに彼を家に閉じ込めた。無論、万が一の暴走を防ぐためである。
外を許されなくなった彼にとって、世界とは、本の中のお伽噺に過ぎないものだった。
この聖杯戦争の始まりに、英雄王ギルガメッシュを召喚するまでは。


***


「王様は、迷惑じゃないんですか」
「……何だ、藪から棒に」

就寝前、名前はふと、何気なしにギルガメッシュに問いかけた。
不思議でならなかったのだ。名前自身からすれば、自分は不敬をはたらくだけのマスターでしかない。その不敬を、ギルガメッシュが何故受け入れるのか。

「我は唯一無二の王だ。世話をやかれるのは今も昔も変わらぬと言ったところか。」

貴様の手間はかかるがな、と付け加え、ギルガメッシュは名前の隣で無邪気にくつくつと喉を鳴らす。「何故斯様なことを訊く」と、ギルガメッシュは名前に問い返す。

「夢を、見たんです。小さなころ、王様とまだ出逢う前の夢を」

名前はひどく弱っていた。トラウマというほどではないが、こうして家を捨ててしがらみがなくなった身で客観的に自分の置かれていた状況、生い立ちを思い返すと、自分はこの世界から愛されてはいないように見えてしまった。
世界が愛さない自分に、何故ギルガメッシュが普通に接してくれるのか。
自惚れてもいいのだろうか。
この、深く入り交じったような感情を、ギルガメッシュも自分に持っていると。
名前はそう、考えてしまった。

「……王様は、俺のこと、どう……。……いや、やっぱり、いいです。」
「何を躊躇う?申してみよ」
「……悪い子になってしまいます。王様は俺みたいな有象無象にかまけているほど暇じゃないのに、なのに俺は欲深で、王様からの愛が欲しいと願ってしまう。だから、悪い子です。悪い子は、愛されてはいけない。だから世界も、俺を見放したんでしょう」

すみません、忘れてください。
名前はそう付け加えていつものように振舞おうとした。ニコニコと、笑おうとして。
一方ギルガメッシュは名前を横目にゆらゆらとグラスを揺らし呑んでいたワインを飲み干し、脇のテーブルに静かに置いた。
静寂が耳を劈くようだ。落ち着きと行き場を失った手がシーツと衣擦れを起こす音がひどく鮮明に聴こえる。
しばらくして、ギルガメッシュは諌めるような声音で話し出す。

「気に食わぬ。貴様は日頃、何の猜疑心も無く我に付き纏う。その手を惜しみなく伸ばすことの、なんと愚直で純粋なことか。」
「……」
「そのくせに我が貴様に手を伸ばしてやろうとすれば、貴様はすぐさまに身を引こうとする。それが気に食わぬと言っているのだ。」

薄く秘められた怒気。しまった、と名前は思った。ギルガメッシュの中で許されていた不敬のボーダーラインを超えてしまったのかもしれない。
しかし─────
不安、焦燥、空虚、無力感、さまざまな感情がないまぜになって、止められない。
自分はどれだけギルガメッシュに尽くしても、それを返してもらうだけの資格などないような人間なのだ。なにせ、あのとき確かに、世界は自分を見放していた。

「……、だ、だって、王様も今言ったように俺が勝手に王様のことを慕っているだけです。…王様が俺に、その、気持ちを返してくれるのは嬉しいですけど、俺よりもっと相応しい人が、いるんじゃないかって…」
「貴様は時折耳が遠くなる故面倒だな。来い」
「え、」
「来いと言ったのだ。何度も言わせるな」

名前を気に食わないと言ったかと思えば、今度は近くに寄れと言う。ギルガメッシュの考えることがわからない。今こうして同じベッドの上にいるのも、他と比べたら近すぎるくらいだろうに。
おそるおそる身を寄せようとする素振りを見せたところで、強く腕を引かれる。急なことで咄嗟に拒むことが出来なかった。揺れた名前の頭は、とす、と軽い音を立てて、ギルガメッシュの胸が受け止めた。
これではいけない。
勘違いをしてしまう。
ギルガメッシュが自分に向ける愛情は寵愛であって、きっと自分がギルガメッシュに向けているそれと同じではない。
離れようとするが、ぐ、と力を込めていっそう強く、抱き竦められてしまった。

「な、なんですか……?王様、らしくないですよ」
「そうさな、らしくはないかもしれぬ。」
「なんでこんなこと、」

どうしてだ、何故だ、やめてくれ。
名前は涙が出そうになった。わけがわからず、もうぐちゃぐちゃだ。今やもう、自分がどんな感情を渦巻かせているのかさえわからない。静寂が自分を包んでくれない。ここは箱庭ではない。ギルガメッシュの鼓動が、名前の鼓膜を喧しくノックし続ける。

「貴様が我に手を伸ばして来ないのだから、我が伸ばすしかあるまい」
「……王様が手を伸ばさなくても、俺は王様の傍から離れたりしませんよ」
「だが、我がやると言っているものを素直に受け取らぬ。らしくないのはどちらか、なあ?名前」

らしくない。そうだ。らしくない。
名前は素直だ。ギルガメッシュが嫌だと言えばその視界に入らないようにし、寝起きの悪さを揶揄われたりして話半分も少し凹んだりするくらいには素直だ。
これまで、ギルガメッシュが名前に「何か」を与えようとすることは度々あった。名前はその度に腰が引けて、自分なんかが、と思っていた。ギルガメッシュへの不敬な物言いも、押しかけるような少しの強引さ、雑さも、名前にとっては無意識下で、自分に対しての無力感の裏返しだったのだ。
ああ、なんて、罪深い。自分の中の渇いた愛情を満たすために我が王を使ってしまったのかもしれない。
愛情とは、なんて苦しいものなのだろう。

「憐憫を向けているわけではないがな、名前。貴様は屈折した愛情しか知らぬ。ならば純粋な愛情も知らなくて然るべきであろうな。」
「そう、……かな……、」
「ああ、そうだとも。そうでなければ、我の腕に抱かれてそのような涙を流しはせん。」

ギルガメッシュに薄い怒気はなかった。
穏やかな声音で少年の涙を受け止め、あたたかな力で少年の小さな背中を抱いている。
寵愛という寵愛ではないのだ。
少年が勝手に自分に尽くし、それで勝手に満たされているだけだ。当たり前のことだった。たまには褒美を与えてやらねばならないと王は思っていた。臣下が本当の愛情というものを知らないことを知っていながら。知っていたからギルガメッシュは褒美ではなく愛情を与えるのだ。
少年は世界の汚さを全て知っているわけではない。しかし、同時に世界のあたたかさを知っているわけでもないのだ。
少年を導くならば、これも教えてやらねばならない。そうでなければこれまで空虚な箱庭でがらんどうの愛情に耐えていた綾が救われない。

「王様が、あたたかくて、」
「そうか、……温いか。良い、今宵は赦す。そのままでいろ。これだけ近ければ届くものもある」

名前はほとほとに変わり者である。
暴君で、理不尽で、冷酷とも言われた自分をあたたかいという。
あたたかいのは、自分ではなく、自分に流れたこの血液ではないのか、とも思う。
それを問う度に名前は言うのだ。
「正義の味方ではない、不条理な悪を好んでいるわけでもない、誰の味方でもなく自分の味方でいる。自分を大切にする人の、何処が冷たいものですか」
名前の言葉通りならば、名前は少し冷たい人間かもしれない。知らないとはいえ、誰かからの愛情を素直に受け取るのを躊躇う人間だ。
だからギルガメッシュは、名前にあたたかさを教えてやりたくなるのだ。

たとえ世界が名前を見放していても、この英雄は名前に笑っていてほしいのだから。


fin.