うたかたの花
ちりん、と風が硝子細工を撫でる。
からんからん。ふたり分の下駄の音が擦れ違う雑踏に消えていく。あたたかな夕闇に染まる入道雲が見えた。雨に降られないかだけが心配だった。
何を隠そう、ギルガメッシュと名前は風鈴市に向かっていたのだ。
***
風鈴市は祭の一環でもあったので、人混みが苦手なギルガメッシュは当初このイベントを渋ったものだが、「祭は祭でも一角の風鈴市ならどうだ」「この暑さでも風鈴の音は涼しいぞ」と、名前が進言してみたところ、ギルガメッシュも暑さには参っていたようで溜息をつきながらも了承した。
そんな話をしていた、休日の真夏の昼下がり。夕飯の買い出し帰りのふたり。
「それじゃ、浴衣が必要だ」
名前が言うと、ギルガメッシュは当たり前のように浴衣を所持しているという。しかも高級品。帰宅してから名前が頼み込んでギルガメッシュにその浴衣を着てもらうと、それは大変な美丈夫だった。淡い黒の生地、その裾に金を散りばめたギルガメッシュらしいセンスである。
「して、その風鈴市とやらはいつ開かれる?」
「え?今日の夜」
「少しは我の都合も考えんか、たわけめ」
「今日の昼、ギルガメッシュ暑がってたからさ。スーパーでチラシ配ってたんだよ」
そんな話をしているうちに、真昼の太陽は夕暮れへと姿を変えていく。祭は夕方6時からだった。
「さて、行こうか」
「待て。貴様、浴衣とやらはどうした」
「浴衣……ああ、えっと、俺はないんだ。本では見たことあるけど……着たことは一度もなかったからな」
「……」
ギルガメッシュは考え込んだ。「どうした?」と、名前が顔をのぞき込むと、ギルガメッシュはいきなり薄い肩を掴む。
「えっ!?なに!?」
「ふむ、細いというか薄いというか…」
「何の話だよいきなり!?」
「王の傍につくのだ。その格好では我の品格を下げかねん。喜べ、我が見繕ってやる。何、この宝物庫に無いものの方が少ないぞ」
三日月のように瞳を細めたギルガメッシュは名前の服をさっさと脱がせていった───────
***
「……馬子にも衣装かな」
濃紺の生地に薄い白色で水紋を描いたシンプルな浴衣。綾が細身で中性的だからといっても、もちろんしっかりと男物である。着せた当初、それだけでは派手さが足りんと不服な顔をしたギルガメッシュは宝物庫から取り出したラピス・ラズリの腕飾りを名前の腕につけた。
「唯一無二の頂点はこの我なのだ。貴様はそれくらいで丁度良い。地味過ぎるのも我の臣下としての名が泣くぞ」
「ま、それはそうだなぁ。へへ、ありがとうございます。王様」
二人とも夕飯は軽く済ませてきたので、この祭ではデザートがメインだ。
何か食べたいものはあるか、と名前がギルガメッシュに聞くと、王は林檎飴を所望した。屋台の中にいた若い女性に「お姉さん、すみません。林檎飴ふたつください」と名前が笑って言うと、女性は「男ふたりでこの祭なんて珍しいね、近くの神社が縁結びのものだから男女ばかりだからさ」とけらけら笑う。
彼女に悪気がないのは名前もわかっているが、ギルガメッシュに想いを寄せる身としては少しばかり胸が痛む。しかし─────
「男ふたりも、悪くないですよ。大好きな人となら」
名前はそう言って林檎飴を受け取り、ギルガメッシュの手を引いて屋台を後にした。
風鈴市が近い。賑わいは落ち着いてきた。
「……はい!これ!ギルガメッシュの分!悪かったな、勘違いされるようなこと言って。」
少し投げやりにした言い方で名前が言うと、ギルガメッシュはくすくすと吹き出したあと、豪快に笑い始めた。
なんだよ、と名前が問う。
「いや、貴様も言うようになったと思ってな!……む、何を辛気臭い顔をして。誉めているのだぞ」
「え、あ、いや……怒られるかなって、思ってたから」
「素直もここまで来ると怒る気にならんわ」
ギルガメッシュは名前の横髪をするすると梳く。それが擽ったく、伏し目がちだった綾はくすくすと笑った。
下駄の音に混ざるのが雑踏ではなくなってきた。硝子細工が互いに触れ、弾ける音だ。
「ほら、これが風鈴市。音が涼しいだろ」
「……これは夏にしか開かれぬのか」
「ん?ああ、たぶんそうだね。風鈴って夏だけのものだし。でも、大切に保管しておけば毎年飾ることもできるよ。それがどうかした?」
「……いや?我の目に適うものがあるかとな」
「あるんじゃないかな、こういうのって職人がつくるものも多いよ」
「そうか」
ギルガメッシュの問いに答えた名前は「林檎飴食べ終わったから棒の部分ゴミ箱に捨ててくるね」とその場を少しばかり離れた。
すると、ひとりの老父───店主がギルガメッシュに話し掛ける。
「お兄さん、日本語は通じるみたいだねえ」
「……」
「何か買っていくかい?」
「この風鈴とやら、柄は夏のものなのか」
「んん?……ああ、それは珍しい柄のものだね。冬の鈴蘭だ。スノーフレークといったかな。洋柄は中々ないよ」
「……貴様は店主だったか。ならば良い、これを献上せよ」
***
「あれ、ギルガメッシュ。風鈴買ったの?」
「物珍しいものをひとつ見つけたのでな」
「王様のお眼鏡にかなうものがあって良かったよ」
「冬の鈴蘭を描いた風鈴だ」
人少なだったので、ギルガメッシュはその宝物庫の扉を開き中に入れた。
無論、すべてをみた人と語られるギルガメッシュはその花の意味を知っている。
笑みを零すと、夜空に花が煌めいた。
「あ、打上花火だ!ここ人少なだしよく見えるし穴場だなぁ」
「ふむ、偶然とはいえ有能な男だな。貴様は」
「ギルガメッシュが楽しめなきゃ俺も楽しめないからな、へへ」
ギルガメッシュの横でにこにこと微笑んで打上花火を見る名前の、なんと純粋無垢なことか。箱庭にいた少年は本の中でしか知らない世界を、今この時ギルガメッシュと歩んでいるのだ。
その鈴の音が、旅路のひとときのようで。刹那の、うたかたのような。
これは「記憶」にはならないだろう。
人はそれを「思い出」と呼ぶのだから。