未知を歩む
「……50!」
りんりんと虫の鳴き声が響く夜、風がひやりと冷たくなってきた季節に似つかわしくなく、額にじんわりと汗を滲ませる少年────のような青年が部屋にひとり。
アーチャー・真名ギルガメッシュのマスター、苗字名前である。
上体をひねりながら起こすクラッチ運動を加えた腹筋を現在50回ほどしている。元々体力があまりないためか、運動の秋ということで手始めに筋トレから手をつけたのだ。もっとも、おおよそは「ギルガメッシュのマスターとして、(自称)臣下として恥じないように」という気持ちで行っているのだ。
丁寧か、生真面目か、汗で王の部屋を汚さないように、苗字名前の自室で。
──────黄金の粒子がふわりと舞う。
「! ギルガメッシュ。おかえり。」
ギルガメッシュは夕食後、気まぐれに夜の散歩に出掛けていた。現在時刻は二十二時を過ぎたころである。
元々ギルガメッシュは散歩にふらりと姿を消すことが多いのだが、ここ最近はその頻度が多い。夏よりは蒸し暑くもないし本人としても出歩きやすいのかと名前は一瞬思ったが、今自分がしていることを思い出した。
「……ウォーキング?」
「ふん、たわけめ。この玉体がそう簡単にバランスを崩してたまるか!貧弱極まる貴様に言われる筋合いなど無いわ」
「むむ、……貧弱か……。だからこうしてだな、筋トレしてるんだぞ」
もちろん俺の汗で王の部屋を汚したりしませんとも、と付け加えて、名前が腹筋を再開しようとした矢先。ギルガメッシュが宝物庫を開いたかと思えば、おもむろに服をぽいぽいと脱ぎ始める。
何を取り出すかと思えばそれは名前が買い与えた部屋着だった。安物だが臣下が一生懸命稼いで選んで買ったものは、流石に無下には出来なかったとギルガメッシュは語っていた。自分を純粋に慕う者に関しては器のでかい王である。
ギルガメッシュがするりと服に手を遠そうとしたそのとき、名前は思わず口にした。
「前々から思っていたけれども、ギルガメッシュのその肉体美すごいよなぁ。何食ってどんな鍛え方したらそうなるの?」
「この時代の鍛え方と我の時代の鍛え方を比べるか、大きく出たな名前」
「比べてるわけじゃないよ。強いて言えば参考にしたい……みたいな。こう、すごいぼんやりしたアレだよ」
「……ふむ、そうか。我の時代は現代とは違って魔獣も存在した。己が生活を守るために倒さねばならない時もある。それらを想定した訓練、鍛錬────人間にとっての生命の危機がない今の世では、そういったものはどう足掻いても補うことは適わないだろうよ。何しろ、我自身がが神代と袂を分かつ楔だったのだからな。本ばかりを読んで育った貴様なら、今の話に覚えもあろうな」
ギルガメッシュは難しいようでも物事をシンプルに説明する。彼にとって今の世の人々は彼の時代の人々よりも弱すぎるらしいので、その言葉にはたっぷりと皮肉が込められていた。
「ううん、なるほど……。確かに。……あ、でも、古代…メソポタミアとは少し違うかもしれないけど、すごい昔に行われてた殺し合いをベースにしたものは今も続いてるよ」
「何だ、申してみよ」
「スポーツっていうんですけどね。あれってモノによってはすごくすごく古い歴史があったりするんです。オリンピックって王様も聞いた事あると思うんですけど、あれって古代ギリシャのオリンピアで行われてたんですよ。ボクシングとか、レスリングとか。掘り下げるとパンクラチオンとか。今でこそ安全性を重視して多少ルールは変わったりしてますけど、土台は変わってないみたいです。」
名前は頭の中の本をぱらぱらとめくりながら、空でつらつらと自分で知識を確認するようにギルガメッシュに語りかける。俺が小さいころ、外で遊びたくても遊べなかった時にめちゃめちゃ読み漁って遊んだ気になった、とも付け加えて。
「つまるところ、王様が人々を人として歩ませてくれたから、歴史が積み重なって今ここまで繋がってると思うんですよ。だって王様が神様と袂を分かつことがなかったら、きっと人間たちは今より屈強だったと思うけど、歴史が積み重なることもなかったと思います。アスリートもそうですが、筋トレは本来筋肉を痛めつけてから回復の過程で進化するみたいなので!痛み無くして進化なしなんですよね、いつの世も。」
名前が独り言ちるように言葉を紡ぐと、ギルガメッシュはニヤついた顔を潜め、静かに、名前に問い掛けた。
「それは我が、我が神と袂を分かったことで、今の世の脆弱な人間を間接的に生み出したという意味か?」
先程ののどかさが嘘のように、空気が張り詰める。少し、息をするのが苦しい。
でも、俺は王の臣下だ。ギルガメッシュのマスターだ。これしきのことでは押し負けていられない。違うなら違うと、言うことが自分の意志だ。
名前はまっすぐにギルガメッシュの目を見て口を開く。
「……いいえ。いいえ。違います。……いや、違うよ。」
「ならば、何だ」
「ギルガメッシュが人間を歩ませてくれたから、歴史が積み重なった。積み重なったから、人々は生きるために安全性を求めた。形は変わったかもしれない。でも根っこは変わってない。土台も、叩き込まれる戦意の在り方も。それらを教える人々もいる、それを仕事にしてる人々がいる。仕事で世界は廻っていて、それが全部繋がっていて、王様のいう無駄こそ稀にあれど、不要なものなんて滅多にない。俺はそれが伝えたいんだ、ギルガメッシュ」
全部完璧な無駄のない世界、強いものだけしか生き残れない世界を、想像したことがあった。とても、寂しい世界だった。真水では魚は生きられないと、人はよく言ったものだ。その人間を、人間として歩めると信じて神様のもとから送り出したのは貴方だ、ギルガメッシュ。
もうちょっとだけ、人間の可能性を信じてくれると嬉しい。
名前はふわりと笑ってそう言った。
「……はあ、脳天気な。」
「む!嫌味ですか!?」
「褒め言葉だ、いつものように素直に受け取るが良い。覚えたての言葉をすぐ使うとは幼児か貴様は」
「ギルガメッシュの信頼を高めるためにも、俺は強くなるからね!」
王はくつくつと喉を鳴らす。
宝物庫から新たに椅子を取り出して座ると、そこは玉座に早変わりする。
「我が直々に見てやる、努、飽きさせるなよ。名前」
「もちろんですとも!」
臣下は目を輝かせた。
秋の夜は、まだまだ長い。